国道171号線から「サントリー通り」と呼ばれる府道204号線を西へ進み、
恵解山口(いげのやまぐち)の信号を左折し、その先で右折した先に
明智光秀の本陣跡があります。
集会所の左側に石碑と説明板が建てられています。
墓地への石段
光秀の本陣は、「境野一号墳」と呼ばれる、四世紀後半、古墳時代前期後半に
造営された前方後円墳上に築かれたと考えられています。
円墳への石段
石段脇には行基菩薩が祀られています。
円墳
発掘調査で、空堀跡や火縄銃の鉄砲玉が出土しました。
前方部分は、現在は墓地となり、後円墳部分は竹藪となって、サントリービール工場の
敷地内のためフェンスが張られ、立ち入ることはできません。
古墳のある場所は、標高25.2mあり周囲より高くなっています。
今は住宅が立ち並んでいますが、当時は天王山や西国街道が
見渡せたと想像されています。
しかし、最近になって恵解山口の信号を北に進んだ所にある恵解山古墳からも
濠や火縄銃の弾が発見され、光秀の本陣跡の可能性が出てきました。
境野一号墳から南へ進んだ京都縦貫道の下に造られた公園があります。
公園名は「天王山夢ほたる公園」と名付けられ、
公園の北側にヒメボタルの生息地があります。
公園内には「山崎合戦古戦場」の碑が建てられています。
背後の山が天王山です。
反対側は大山崎中学校のグランド越しにサントリービール工場が見え、
その右側の竹藪が光秀の本陣跡と思われます。
天正10年6月2日(1582年6月21日)の早朝、本能寺に滞在していた織田信長を
襲撃した明智光秀は、正午頃には二条城を攻め、信長の子・信忠は自害しました。
高松城に篭る毛利軍を包囲していた羽柴秀吉は、6月3日に
本能寺の変の報を入手すると直ちに毛利軍との和議を結び、
「中国大返し」と言われる機敏さで畿内へ軍を戻しました。
光秀の意に反し、高山右近ら摂津衆の多くが秀吉軍に味方し、
兵力の差は2~3倍の大差となりました。
それでも、光秀軍は10日に勝龍寺城の修築を行い、
本陣に濠を築くなど決戦に備えました。
12日頃から両軍は碑が建つ西側の円明寺川(現・小泉川)を挟んで対峙し、
秀吉の本陣は宝積寺に置かれました。
13日の午後4時頃、戦端が開かれましたが、僅か3時間余りで勝敗が決着し、
光秀軍は兵の脱走・離散が相次ぎ、その数は700余にまで減少して
勝龍寺城へと逃げ込みました。
光秀は夜陰に紛れて妻子が待つ坂本城への脱出を図りましたが、現在の伏見区の
小栗栖の藪で落ち武者狩りの竹槍に刺され、自刃したと伝わります。
翌日には勝龍寺城も秀吉軍に落ちました。
一方、先鋒となって本能寺を襲撃した明智秀満は、その後、安土城の守備に
就いていたのですが出陣し、打ち出浜で堀秀政軍と戦って多くの兵を失い、
坂本城へ敗走しました。
まもなく、堀秀政軍に坂本城は包囲され、秀満は光秀が所有する財宝を
堀秀政軍に贈呈した後、天守に火を放ち光秀の妻子もろとも落城しました。
落ち武者狩りに討ち取られた光秀の首は、秀吉が本能寺に晒されましたが、
密かに亀岡に運ばれ、谷性寺に墓碑が建てられたとされています。
谷性寺には江戸時代の安政2年(1855)に建立された首塚が残されています。
明智一族は大津市坂本の西教寺に埋葬され、西教寺に一族の墓があります。
また、高山右近らに京都府亀岡市にあった亀山城が包囲され、
光秀の息子・明智光慶は自刃して果て、明智氏は僧籍にいた者などを除いて滅びました。
公園の西側を流れる小泉川です。
小泉川に架かる「松田橋」の袂に「子供を守る河原の如来さん」が祀られています。
この如来さんは、江戸時代の初め、
難産で母子共に命の危険にさらされていた時、家族や村人が
「河原の大日如来」にお百度参りを行いました。
お参りを続けて3日後、無事に赤ちゃんは生まれたのですが、
如来さんが消えてしまいました。
昭和の初め、小泉川の改修工事で川底から如来さんが見つかり、
橋の袂に祀られるようになったそうです。
松田橋から西へ進むとJRの線路の下をくぐる
高さ140cmのトンネルがあります。
正式名称は円妙寺橋梁(えんみょうじきょうりょう)といい、
明治8年(1875)に完成した、土木学会の「日本の近代土木遺産」で
Bランクに指定されている貴重な土木遺産です。
大山崎町・町あるきマップでは、「ねじりマンポ」と紹介されています。
「マンポ」、聞き慣れない言葉ですが、鉄道の橋という意味だそうです。
田畑や水路、通路があった所に鉄道が敷設されたため、
分断された水路・通路を補うために設置されました。
図のように、線路に対し通路は斜めに交差しているのですが、
レンガは直角に交差しているように積まれています。
道路側から見ると、アーチ部分のレンガがねじったように見えることから、
「ねじりマンポ」と呼ばれています。
バイクではこのトンネルを通行できないので迂回しました。
西口
円明教寺へ向かいます。
続く
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