試峠を通って戻り、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の駐車場前の信号を左折して、
東へ進んだ先に「大覚寺門前」の信号があります。
その信号脇に福生寺跡があります。
当地の地名は「嵯峨大覚寺門前六道町」で、「六道の辻」があった場所とされています。
化野(あだしの)もまた、東山の鳥辺野(とりべの)と同じく葬送の地でした。
亡骸は福生寺へ運ばれ、野送りの法要が営まれて化野へと送り出されました。
境内には「鬼谷橋」が復元され、この橋がこの世と
あの世の境目だったのかもしれません。
境内の奥に井戸があります。
昭和35年(1960)にこの地で7基の井戸が発掘されましたが、
その後埋め戻され現在は宅地になりました。
この井戸も復元されたように思えますが、
かっては小野篁(おの の たかむら:802~852)が冥界から
生還したとの伝承が残されています。
小野篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで
裁判の補佐をしていたという伝説が残され、
冥界へと通ったとされる井戸が六道珍皇寺に残されています。
夜、六道珍皇寺の井戸から冥界へと入り、
朝にこちらの井戸からこの世へ戻ったとされています。
六道珍皇寺の六道の辻が「死の六道」に対し、福生寺は「生の六道」と呼ばれました。
井戸の横に延命地蔵尊が祀られています。
ある日、地獄に赴いた小野篁は猛火の中で苦しむ亡者を救い、自ら焼かれる
地蔵菩薩を目撃し、心を打たれてその姿を刻んだとされています。
地蔵菩薩像は福生寺に安置されていましたが、福生寺は明治13年(1880)に廃寺となり、
清涼寺塔頭の嵯峨薬師寺と合併されました。
福生寺跡の向かいに仙翁山六道院がありますが、詳細は不明です。
「大覚寺門前」の信号から北側が大覚寺への参道となります。
参道を進むと左側に駐車場がありますが、二輪車は突き当たった
左側の嵯峨御流華道芸術学院前に無料スペースがあります。
大覚寺へ向かいます。
続く
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