木津川
笠置寺から木津川の方への下り道は道幅が狭く、急勾配でカーブが続きます。
バイクなら難なく離合できますが、四輪車なら奈良からの方がお勧めです。
木津川に架かる笠置橋から上流を見ました。
山門-外
橋を渡り、国道163号線を西方向へ進んだ先に、海住山寺への案内板があり、
右折して進んだ道路脇に山門があります。
六地蔵
山門付近には六地蔵が祀られています。
解脱上人墓所
山門を超えた所の広場にバイクを停め、山側へ登って行くと中興一世・解脱上人
及び二世・慈心上人の墓所があります。
海住山寺はかつて、恭仁京(くにきょう)があった瓶原(みかのはら)を見下ろす
三上山(さんじょうさん)の中腹にあります。
瓶原は奈良時代初期に第43代・元明天皇(在位:707~715年)が離宮を設け、
第45代・聖武天皇(在位:724~749年)は、天平12年(740)12月15日に
平城京から恭仁京へ遷都しました。
それに先立つ天平7年(735)に聖武天皇は大盧舎那仏造立を発願し、
その工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、
十一面観音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と号したのが海住山寺の始まりとされています。
その後、保延3年(1137)に全山焼失し、承元2年(1208)になって貞慶(解脱上人)が
笠置寺から移り住んで中興され、観音寺から補陀洛山海住山寺に改められました。
山号の補陀洛山はインドの南方海上にあり、観音菩薩が降臨するという伝説上の山で、
『明本抄』「良算聞書」の、「海」とは観音の衆生を救済しようという誓願が海のように
広大であることを意味し、海のような観音の誓願に安住するという意味が
海住山寺の由来となったとされています。
貞慶は晩年の5年間を海住山寺で過ごし、建暦3年(1213)に59歳で亡くなりました。
平成24年(2012)、解脱上人八百年御遠忌にあたり、供養塔が建立されました。

慈心上人は後鳥羽上皇の側近でしたが、解脱上人の徳を慕って海住山寺で出家し、
五重塔の建立など寺観の整備に尽力され、中興二世となりました。
恭仁京への道標
墓所の先には恭仁京跡へのハイキングコースもあります。
開山堂
墓所から北へ進むと薬師堂(開山堂)があります。
三社
薬師堂の北側に三社があり、右から天満宮、春日大明神、稲荷大明神が祀られています。
五重塔
三社の東側に五重塔があり、国宝に指定されています。
貞慶の在世中に建立が開始され、遺志を引き継いだ弟子・慈心上人が
貞慶一周忌の建保2年(1214)に完成させました。
塔には後鳥羽上皇から賜った仏舎利二粒に五粒を加えた七粒の仏舎利が安置されています。
塔の総高は17.7mで、屋外にある木造五重塔で国宝・重要文化財に
指定されているものとしては、室生寺五重塔に次いで日本で二番目に小さく、
初層の屋根の下に裳階(もこし)があります。
初層に裳階が付いた五重塔は法隆寺中山寺にしか見られませんが、
現存する平安~鎌倉時代の五重塔では海住山寺の塔が唯一となります。
裳階には壁を造らず吹放ちとなり、心柱は初層天井の上から立っています。
初重内部の厨子状の造りは現存する塔には他に例が無く、仏舎利そのものを
塔の本尊として祀った例もありません。
初重内部の四天柱の間には東西南北の4面とも両開扉を設け、厨子状の構えとし、
8枚の扉に一体ずつ、華麗な彩色で梵天・帝釈天などの天部や比丘像が描かれています。
塔内の四方には、かって四天王像が安置されていましたが、
現在は奈良国立博物館に寄託されています。
木造四天王立像は鎌倉時代の作で、国の重要文化財に指定されています。
海住山寺は仏塔古寺十八尊霊場の第3番札所となっています。
本堂
五重塔から北へ進んだ所に本堂がありますが、現在は工事中でした。
現在の本堂は明治元年に山津波で倒壊した後、明治17年(1884)に再建されました。
海住山寺は鎌倉から室町時代に大いに栄え、塔頭五十八ヶ坊を数えましたが、
天正年間(1573~1593)に豊臣秀吉の検地によって寺領地を失い、以後衰微しました。
海住山寺は鎌倉時代に貞慶により再興されてからは、法相宗で興福寺の末寺でしたが、
現在は独立して真言宗智山派に属しています。
本尊は平安時代作で像高189cmの十一面観音菩薩立像で
、国の重要文化財に指定されています。
賓頭盧尊者
本堂の縁側には賓頭盧尊者像が安置されています。
岩風呂
本堂前にある岩風呂には正嘉2年(1258)の銘があります。
茄子の腰掛
岩風呂の前方に「願いを叶える茄子の腰掛」があります。
「茄子の花は、一つの無駄なく実を結び、また「成す」と語呂が同じことから、
努力は報われ願いは叶えられるという縁起が含まれています。
二人で座って、深く縁を結び、一人で腰かけて良縁成就を祈願してください。」と記されています。
山門-中
本堂前の正面には山門があります。
鐘楼
山門の手前北側に鐘楼があります。
梵鐘
梵鐘は堺の鋳物師・丹治国忠により正嘉元年(1257)に鋳造されたもので、
京都府の文化財に指定されています。
修行大師像
鐘楼の北側に修行大師像が祀られています。
文殊堂
鐘楼の西側に鎌倉時代の正和元年(1312)の建立された文殊堂があり、
国の重要文化財に指定されています。
当初は檜皮葺で経蔵として使われていましたが、
鎌倉時代作の文殊菩薩坐像が安置され、文殊堂となりました。
また堂内には、家宅の災禍を祓い消し鎮めるとされる鎮宅霊符神が祀られています。
やる気地蔵
やる気地蔵
持ち上げ大師
本堂の右側にもちあげ大師、その前に仏足石が祀られています。
「大師像を持ち上げ願をかける」と記されています。

もちあげ大師の右側に輪廻塔があり、「輪廻車を一心に念じて廻すと諸々の苦悩から
抜け出すことができる」と記されています。
土蔵
輪廻塔の向かい側に土蔵があり、その横から本坊へと行けますが、
特別公開の日以外の立ち入りは禁止されています。
本坊
本堂及び本坊への拝観料900円を納め本坊へと向かいます。
本坊前
本坊前
庭園-1
庭園-2
本坊では庭園が特別公開されていました。
本堂及び本坊の建物内の撮影は禁止されています。
庭園-3
庭園-4
江戸時代に作庭されました。
本坊-外
外から見ると正面の建物が本坊で、その右側に奥書院があり、
画像はありませんが奥書院の右側に奥之院があります。
展望台
本堂の北側を西へ進んだ所に展望台があります。
寺号標
駐車場へと下る手前には寺号標が建っています。

次回は慈尊院から高野山を巡ります。

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