2019年09月

南総門
南総門は昭和13年(1938)に再建されました。
南総門から本殿は正対していません。
本殿を参拝して帰る際、本殿に背を向けない配慮がなされています。
本殿の図
現在の社殿は寛永11年(1634)に徳川三代将軍・家光の修造によるもので、
平成28年(2016)に国宝に指定されました。
石清水八幡宮は神仏霊場の第81番札所となっています。
楼門
阿吽の鳩
楼門の正面、蟇股部分に一対の向かい合う鳩の錺金具(かざりかなぐ)が施されています。
向かって右側の鳩は少し口を開けた阿形を示し、八幡大神の神使いである鳩が
阿吽の呼吸で神前を守護しています。
また、蟇股の裏側には徳川家の「葵の御紋」が中央に、その両側に
御神紋「流れ左三つ巴紋」が彫られた錺金具が施されています。
参拝する者には見えませんが、八幡大神には正面になります。
龍虎の彫刻
極彩色の龍虎の欄間彫刻は、四神で考えると東の青龍、
西の白虎からすれば東西が逆となります。
社殿を修造した家光が辰年生まれで、家康が寅年生まれだったことから
上位の東側に虎を配したと考えられています。
東門
本殿は180mに及ぶ回廊によって囲われ、外部から見ることはできませんが、
東門から前殿の屋根の先端が見えます。
八幡造りの本殿は、前殿(まえどの)・後殿(うしろどの)と呼ばれる切妻造・平入の2つの
建物を前後に連結させ、中間には1間の相の間(あいのま)があります。
前殿は外殿、後殿は内殿と呼ばれ、前殿に椅子、後殿に帳台が置かれ、昼は前殿、
夜は奥殿に神が遷られるとされ、共に神座となっています。
前殿と後殿の軒の接する相の間に金属製の樋を渡して雨水を受ける構造となっていますが、
この樋は「黄金の雨樋」と呼ばれています。
長さ21.7m、幅54cm、深さ21cm、唐金(青銅)製の雨樋は、
織田信長によって寄進されました。
天正7年(1579)12月、山崎の寶積寺に逗留していた信長は、石清水八幡宮の雨樋が
木製で朽ちて雨漏りがしていることを聞き及び修理を命じました。
翌、天正8年8月、有事の際には換金できるようにと、
信長はこの「黄金の雨樋」を寄進したと伝わります。

石清水八幡宮の祭神・八幡大神とは、誉田別命(ほんだわけのみこと) 、
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)、比咩大神(ひめおおかみ)の
三柱を総称したものです。
誉田別命は第15代・応神天皇で、息長帯姫命(神功皇后)は応神天皇の母親です。
比咩大神は、多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、
多岐津比売命(たぎつひめ)の宗像三女神を指し、
神功皇后は三韓征伐の際、宗像三女神に航海の安全を祈願したと伝わります。
また、社殿内の摂社・武内社の祭神・武内宿禰(たけしうちのすくね)は、
三韓征伐からの帰途、神功皇后を待ち伏せしていた麛坂皇子(かごさかのおうじ)と
忍熊皇子(おしくまのおうじ)を撃退しました。
鬼門封じ
社殿の東北角の石垣は切り取られています。
艮(うしとら)の方角で鬼門とされ、鬼門封じのために切り取った造りになっています。
比叡山の延暦寺が平安京の表鬼門を守護し、石清水八幡宮は裏鬼門を守護する
国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきました。
また、木津川・宇治川・桂川の三川が合流して淀川となる地点に位置することから、
水運の神としての信仰も集めました。
天慶2年(939)に関東で平将門が、瀬戸内海で藤原純友が朝廷に反旗を翻すと、
朝廷は石清水八幡宮に調伏の祈祷が命じ
翌天慶3年(940)には平将門が討ち取られ、藤原純友も天慶4年(941)に捕えられ、
獄中で没し、乱は平定されました。
皇室からの崇敬は更に深まり、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は240余を数えました。
天慶2年(939)には伊勢神宮に次いで奉幣される地位となり、伊勢神宮と並び
二所宗廟(そうびょう=皇室の祭祀が行われる)とも称されました。
天慶5年(942)、第61代・朱雀天皇より平将門・藤原純友の乱平定の
報賽(ほうさい)として石清水臨時祭が始められました。
石清水臨時祭は、例祭である九月十五日の石清水放生会に対し、
陰暦三月牛の日に行われた祭礼で、宮中から勅使が参向し、幣を捧げ宣命を読み、
東遊・神楽・走馬等が行われましたが、現在では行われていません。
巨大神矢
正月には楼門前に大きな八幡神矢が設置されます。
石清水八幡宮は、貞観元年(859)に大安寺の僧・行教和尚によって
豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮から八幡大神を勧請し、翌貞観2年(860)に朝廷により、
八幡造の社殿(六宇の宝殿)を造営し、4月3日に遷座されました。
行教和尚は天安2年(858)に藤原良房の外孫・惟仁親王(後の清和天皇)の即位を
祈祷するため、九州の宇佐八幡宮へ派遣されました。
しかし、惟仁親王は同年8月27日(858年10月7日)に第56代天皇として即位したため、
翌貞観元年(859)、改めて天皇護持のため宇佐八幡宮に90日間参篭しました。
このとき神託を受け、八幡大神を男山へ勧請したとされています。

一方、大安寺にも八幡神社があり、石清水八幡宮の元宮であるとの伝承を持つ事から
元石清水八幡宮とも称されています。
入唐した行教が帰朝の途次に豊前宇佐八幡宮に参籠してその神影を奉戴、
大同2年(807)に大安寺・東室第7院の石清水房に鎮座したのが始まりと伝わります。
その後、神殿を造営して遷座し「石清水八幡宮」と号して大安寺の鎮守神としました。
貞観元年(859)、神託により山城男山へ遷座したため、改めてその跡に祀ったのが
八幡神社の創祀であるとされています。

また、大山崎町にある離宮八幡宮も、石清水八幡宮の元宮とされています。
清和天皇の勅命により最初に石清水八幡宮が創建されましたが、その後男山に
遷座されたため、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったので
社名を離宮八幡宮とした、と伝わります。

石清水八幡宮の創建以前の男山には、薬師如来を本尊とする石清水寺
(現在の石清水社)があったと伝わります。
「石清水」の社号は石清水寺に由来するとの説があります。
石清水八幡宮が創建されると石清水寺はその神宮寺となり、貞観4年(862)には
護国寺と改称され、神仏習合色が増していきました。
行教の甥、安宗(あんじゅ)が初代別当、行教の弟、益信(やくしん)が
初代検校(けんぎょう)となりこの宮寺を維持・運営しました。
また、貞観2年(860)に社殿が造営された際、行教は祖先とする
武内宿禰命(たけうちのすくね/たけのうちのすくね)を祀る武内社を
本殿内の右側(向かって左側)に造営しました。

清和天皇の子孫の多くが臣籍降下して清和源氏となり、中でも枝葉広く栄えたのが
第六皇子・貞純親王の子・経基王の子孫で、源頼朝・足利尊氏をはじめ武家源氏の
大半がこの系統から輩出しました。
八幡大菩薩は源氏の守護神として深く信仰され、源氏によって各地に勧請されていきました。
源氏一門の崇敬により、武神、弓矢の神としての信仰が更に厚くなり、石清水八幡宮の
御神矢は破邪顕正(はじゃけんしょう)・一発必中(邪悪な敵をうち払い、
正しきを守り、狙った的に必ずあたる)の霊験(れいげん)あらたかとして信仰を集めています。
橘の木
社殿前の左側には橘の木が植えられています。
八幡大神を勧請した行教の家紋が橘であったこと、また創建時の六宇の宝殿を
建立したのが木工寮権允(もくのりょうごんのじょう)・橘 良基であったことに由来します。
石清水八幡宮の御神紋である「流れ左三つ巴」とともに橘が御社紋として使われています。
神楽殿
楼門前の左側に神楽殿、その手前に勤番所があります。
巫女の舞
正月から2月3日の湯立神事などの際に、厄除け・開運の八幡神矢が授与され、
神楽殿で巫女の舞によって清められています。
神矢納め所
神楽殿の南側にある勤番所はその期間中、八幡神矢の授与所、
それ以降は納め所となります。
西総門
信長塀と西総門
神楽殿から社殿を囲むように、天正8年(1580)に織田信長により寄進された
築地塀が築かれています。
瓦と土を幾重にも重ねることにより耐火性と耐久性に優れ、織田信長が好んだ様式で、
通称で「信長塀」と呼ばれています。
楠木
信長塀の外側に聳える楠の大樹は、建武元年(1334)に楠木正成が必勝祈願参拝の折に
手植えしたと伝わる7本の内の1本で、御神木とされています。
樹齢約700年で京都府の天然記念物に指定されています。
北門
北総門
信長塀には江戸時代前期の西総門・北総門・東総門が設けられ、
いずれも国の重要文化財に指定されています。
三社殿
西総門の北側に手前から長田社・生田社・廣田社の三社殿があります。
長田神社生田神社廣田神社のいずれも神功皇后が三韓征伐から凱旋されたとき、
それそれの地先で「この地に祀れ」との神託をうけて祀ったのが始まりとされています。
校倉
北西の角に江戸時代中期に建立された校倉(宝蔵)があり、
京都府の文化財に指定されています。
住吉社
校倉の右側に住吉社とその手前に一童社(いちどうしゃ)が並んで建っています。
住吉三神は神功皇后の三韓征伐において皇后に託宣を下し、その征討を成功に導きました。
また、皇后は大和への帰還中に麛坂皇子(かごさかのおうじ)・
忍熊皇子(おしくまのおうじ)の反乱に遭い、更に難波へ向かうも、船が進まなくなりました。
住吉三神から現在の住吉大社の地に三神の和魂を祀るように託宣を受け、
そのように鎮祭すると、無事海を渡れるようになったと伝わります。
社殿は江戸時代初期に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。

住吉社の右側にある一童社(いちどうしゃ)には磯良命(いそらのみこと=
阿曇磯良/あづみのいそら)が祀られています。
神功皇后は三韓出兵の際、諸神を招きましたが、海底に住む磯良命だけは、
顔にアワビやカキがついていて醜いのでそれを恥じて現れませんでした。
住吉神は海中に舞台を構えて磯良命が好む舞を奏して誘い出し、磯良命は龍宮から
潮を操る霊力を持つ潮盈珠(しおみつたま)・潮乾珠(しおふるたま)を借り受けて皇后に献上しました。
そのおかげで皇后は三韓征伐に成功したと伝わります。
貴船社
一童社から北総門を挟んで東側に、右に貴船社、左に龍田社の二社殿があります。
貴船神社の祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で、龗(おかみ)とは、龍の古語であり、
龍は水や雨を司る神として信仰されていました。
龍田大社の祭神は天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)と
国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)で、別名を志那都比古神(しなつひこのかみ)と
志那都比売神(しなつひめのかみ)と称します。
天と地の間、大気・生気・風力を司る神で、「風の神様」として天地宇宙の
万物生成の中心となる「気」で守護されると信仰されています。
貴船社と龍田社は雨と風を司り、台風のような神ですが、
豊作を祈るように祀られているのかもしれません。
若宮社
二社殿の東側、手前の若宮殿社と奥に若宮社があります。
若宮社の祭神は応神天皇の第4皇子である第16代・仁徳天皇で男性の守護神とされています。
若宮殿社の祭神は応神天皇の皇女で、女性の守護神とされています。
この二社は、石清水八幡宮本社と同時期の江戸時代前期に造営され、
国の重要文化財に指定されていますが、現在は工事中で令和2年(2020)3月に完成の予定です。
気比社と一若社
若宮社の南側に氣比社、その南側に水若社があります。
敦賀市の氣比神宮(けひじんぐう)の主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)、
相殿(あいどの)に第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后が祀られています。
記紀には仲哀天皇が角鹿(=敦賀)に行宮として「笥飯宮(けひのみや)」を
営んだと記されています。
また、神功皇后の太子(後の応神天皇)が武内宿禰に連れられて
禊のため気比大神に参詣し、名を交換したとされています。
太子が伊奢沙別命から浦に出るように告げられ、浦に出ると
浦には一面に伊奢沙別命の献じた入鹿魚(イルカ)がありました。
これにより太子は伊奢沙別命を「御食津大神(みけつのおおかみ)」と称え、
のちにその名が「気比大神」となったと伝わります。

水若社の祭神は応神天皇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)で、
応神天皇の寵愛を受けて立太子されましたが、異母兄の
大鷦鷯尊(おおさざきのみこと=後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したとされています。
因みに菟道稚郎子は京都府の宇治市と関係が深く、宇治神社及び宇治上神社
祭神として祀られ、墓は史跡「宇治川太閤堤跡」付近にあります。
社殿は江戸時代前期のもので、国の重要文化財に指定されています。
おがたまの木
水若社の向かい、本殿側におがたまの木が立っています。
日本に自生するモクレン科オガタマノキ属の高木で、モクレン科唯一の常緑樹です。
「招霊の木」とも書かれ、天照大神の天岩戸隠れの際、天岩戸の前で舞った
天鈿女命(あめのうずめのみこと)が手にしていたとする説があります。
多くの神社に御神木として植栽され、榊の自生しない地域を中心に
神前に供える玉串として古くから代用されていました。

山上の周辺を巡ります。
続く

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二の鳥居
頓宮の南門から南へ進むと表参道で、
「頼朝松」から右側(西側)の石段を上ると裏参道となります。
表参道から登り、裏参道へ下りたいと思います。
表参道の入口には二の鳥居が建ち、ここから30分弱で本殿へ参拝することができます。
相槌神社への下り坂
鳥居をくぐり参道を進むと下りの石段があります。
下馬碑
石段を下った所に松花堂昭乗の筆と言われている下馬碑が建っています。
相槌神社
下馬碑の北側に相槌神社があります。
山ノ井-1
山ノ井-2
相槌神社に隣接して山ノ井があります。

相槌神社には髭切(ひげきり)、膝丸(ひさまる)と命名された名刀の
以下のような伝説が残されています。
『平安時代の中頃、多田(源)満仲公が筑紫国三笠郡土山に住んでいる鍛冶職人の男を
呼び寄せて「武将にも朝廷にも代々受け継ぐことのできるような、丁度三種の神器に
匹敵するくらいの立派な刀を打ってほしい」と要望され、
鍛冶職人は、石清水八幡宮に参籠して一心に祈りました。
やがて「汝の申すこと、よく分かった。良い鉄を使って作るがよい。
最上の剣を二つ与える」との託宣を頂いた。
その刀工は良質の鉄を持って来て山ノ井の水を焼刃の水に使って昼夜を問わず
懸命に刀を打っていると、何処からともなく相槌をしてくれる音がして、
ふと我に返ると向かいに神様がいて一緒になって刀を打っていた。
その刀鍛冶は霊験の厳かさに、神様をこの場所に祀り相槌稲荷社とした。
出来た二振りの刀は、早速、多田満仲公に献上した。
満仲は余りもの素晴らしさに、刀の切れ味を罪人を使って試したところ、
罪人の髭まで切れてしまった。
また、もう一方の刀も罪人の膝までも切れてしまい、その刀を髭切(ひげきり)
、膝丸(ひさまる)と命名した。
満仲の息子の源頼光の時、その二振りの刀の一振りは源頼光の配下の渡辺綱が持ち、
一条戻り橋で突然何者かに兜をつかまれた渡辺綱が切りかかると、
兜をつかんだままの鬼の腕だけ落ちていた。
更にもう一振りは源頼光が持ち、瘧(おこり、マラリヤ)で苦しんでいた時、
怪しい法師が現れ切ったところ、それが土蜘蛛だと分かった。
この様な奇怪な出来事が起こり、名前を鬼斬(おにきり)、蛛斬(くもきり)と改名した。
後世、この二振りの刀は北條氏に渡り、一振りを足利尊氏に、もう一振りを
新田義貞へ伝わり、その後新田氏から徳川氏に伝来したという。』
七曲り
参道へ戻ると七曲がりの石段が続きます。
大扉稲荷社-1
大扉稲荷社-2
七曲がりの石段を登りきると左側に大扉稲荷社があります。
文政12年(1829)当時、富くじが流行し、御利益を得た信者の寄進で建立されたそうです。
現在でも宝くじに御利益があるかは定かではありません。
かげきよの碑
大扉稲荷社の前に影清塚があり「舊跡(きゅうせき)かげきよ」の石碑が建っています。
駒返し橋の碑
影清塚から奥へ進むと「駒返し橋」の石碑が建っています。
祓谷
この谷は「祓谷(はらいだに)」と呼ばれ、参道沿いに小川が流れ、
曲がった所に駒返し橋が架かっています。
ここから先は登りが急峻となるので、馬がここから引き返したと伝わりますが、
七曲がりの石段下に下馬碑があり、ここまで馬で来れなかったと思われます。
かって、この辺りに祓谷社があり、人の穢れを早川の瀬で浄めるとされる
瀬織津姫(せおりつひめ)が祀られていました。
参詣の人々はこの小川に自分の影を写し、身繕いを正したことが
「影清」の由来となったと伝わります。
6月30日の夏越大祓と12月31日の年越大祓もここで行われていましたが、
現在は山上の祓所に移されました。
参道の先は松華堂跡や石清水社を経て、裏参道に合流します。
かげきよ塚の先
表参道に戻ります。
ここからは緩やかな登り坂が続きます。
橘本坊跡
緩やかな坂を登った所に東谷・橘本坊(きっぽんぼう)跡があり、石垣が残されています。
石清水八幡宮は宮寺として創建され、江戸時代までは
「男山四十八坊」と呼ばれる宿坊や僧坊が建ち並んでいました。
橘本坊もその一つで、足利氏の祈願所でした。
足利氏は、平安時代後期に石清水八幡宮の社頭で元服し、「八幡太郎」と呼ばれた
源義家の四男・義国が下野国(しもつけのくに)足利荘(栃木県足利市)を領地とし、
義国の次男・義康以降の子孫が「足利」と称したことに始まります。
室町幕府の第三代将軍・足利義光の母・良子は石清水八幡宮寺の長官を務めた
善法寺家の出身であったことから所縁も深く、
足利将軍の多くは何度も参詣し、放生会も執り行いました。
橘本坊には八幡太郎の産衣や甲冑が残されていましたが、
宝暦9年(1759)の大火で失われました。
男山の麓の南約300mの所に善法寺家ゆかりの善法律寺があり、
良子が寄進した紅葉が美しく「もみじ寺」とも呼ばれています。
また、善法律寺には神仏分離令後の廃仏毀釈で、頓宮の極楽寺から
宝冠阿弥陀如来坐像、本宮からは僧形八幡坐像が遷され安置されています。
橘本坊跡先の石段
橘本坊跡からは再び石段が続きます。
石段の曲がり角
石段は右側へカーブしています。
中坊跡
曲がった先に中坊と椿坊の跡があります。
椿坊は現在の社務所辺りにあり、平安時代後期から鎌倉時代にかけての
女流歌人・小侍従(こじじゅう)が住んでいたと伝わります。
小侍従は石清水八幡宮の別当・光清(こうせい)の娘で、異母姉は鳥羽天皇に嫁ぎ、
八幡市の地名・美濃山から美濃局と呼ばれました。
小侍従は女房三十六歌仙の一人に加えられ、私家集である『太皇太后宮小侍従集』、
『小侍従集』、及び『千載和歌集』以降の勅撰集、その他私撰集等に作品を残しています。
また、『平家物語』等に記されたエピソードから
「待宵の小侍従(まつよいのこじじゅう)」と呼ばれました。
小侍従の墓は大阪府三島郡島本町にあります。
四角い切り石が積み上げられた所には中坊の門がありました。
中谷の絵図
この辺りは「中谷」と呼ばれ、現在の社務所周辺まで所狭しと坊が建ち並んでいました。
豊蔵坊跡
中坊跡の石垣の上には豊蔵坊跡があります。
豊蔵坊は徳川家康が早くから祈願所とし、徳川将軍家の坊として最も栄えました。
石清水八幡宮の祀官家・田中氏の分家、正法寺(しょうぼうじ)の志水宗清の
娘・お亀の方は、文禄3年(1594)、22歳の時、家康に見初められ側室に入り、
慶長5年(1600)には尾張徳川家の祖である五郎太(後の徳川義直)を出産しました。
そのような関係からか、豊蔵坊は江戸幕府が直接修理や築造を行い、
客殿や庭園を備え、湯殿が2か所、3棟の蔵がありました。
また、文久3年(1863)には第121代・孝明天皇が攘夷祈願を行いました。
しかし、明治の神仏分離令により建物は全て破却され、
徳川家康の像は等持院へ遷されました。
茶処
石段を上った中間辺りに茶処がありますが、普段は営業されてないようです。
古地図にはこの付近に愛染堂が描かれていますが、
還俗した社僧らによって売却されました。
愛染堂は寛元4年(1246)に建立された隅切り八角形の仏堂だったそうです。
愛染明王像
安置されていた愛染明王像は現在、愛知県蒲郡市の永向寺に遷されています。
開山堂の絵図
愛染堂の向かいには、古絵図では開山堂が描かれていますが、
その後の変遷などの詳細は不明です。
神仏分離令後、石清水八幡宮から凄まじい勢いで仏教色が排除され、
貴重な文化財が換金されて散逸したそうです。
神馬舎
石段を上った左側に神馬舎があります。
昭和34年(1959)に新築され、神馬も奉納されましたが、
平成16年(2004)に死去してからは建物だけが残されています。
神馬舎の辺りには天治3年(1126)に平清盛の孫である平 宗実(たいら の むねざね)が
建立した「駿河三昧堂」と称した多宝塔がありました。
走上り参道
神馬舎の横にも古くからの参道があり、古絵図では小さな門が描かれています。
ナビタイムによると、走上りバス停まで1.1km、約15分、歩数は約1,506歩で、
消費カロリーは約185kcalだそうですが試してはいません。
三の鳥居
神馬舎の正面には三の鳥居があり、参道が南総門まで一直線に伸びています。
三の鳥居周辺には、平安時代に藤原道長の建てた仏塔がありました。
鳩峯寮の庭
鳥居をくぐった左側に、重森三玲氏による「鳩峯寮(きょうほうりょう)の庭」が築庭されています。
昭和36年(1961)9月16日の第二室戸台風で倒壊した三の鳥居の石材を用いて
昭和41年(1966)5月11日に作庭されました。
重森三玲氏は明治29年(1896)8月20日に岡山県で生まれ、昭和4年(1929)に
京都へ移り住み、生涯にわたって石清水八幡宮への月参りを続けられました。
第二室戸台風は最低気圧が882hPaを観測した超大型台風で、9月16日9時過ぎに
中心気圧925hPaで室戸岬西方に上陸し、風速計が振り切れてしまう
(84.5m/s以上)の風を観測しました。
関西に甚大な被害をもたらしたこの台風により、正保2年(1645)に建立された
三の鳥居が倒壊しました。
石灯籠

三の鳥居から南総門までの石畳の参道は100mあり、両側には400基の石灯籠が並び、
その一部にはかっての宿坊の名が残されています。
平成30年(2018)6月18日午前7時58分に発生した大阪北部地震では、境内や参道の
石灯籠約500基の内約40基が倒壊するなどの被害を受けました。
関係者からは「倒れた石灯籠は江戸時代以降のもので、それ以前のものは無傷であった」と
の話もありましたが、現在では全て修復されています。
一ッ石
石畳の参道の三の鳥居前の中央に、自然石が埋め込まれています。
「一ッ石」「勝負石」と呼ばれ、かって南総門の下にあった「五ッ石」まで、
競い馬・走り馬の出発点になっていました。
また、百度参り、千度参りの起点となっていたことから「百度石」とも呼ばれ、
江戸時代には本殿参拝を終えた参詣人が一ッ石の前で再び本殿に向かい
拝礼するという習わしがあったとも伝わります。
御鳳輦舎
参道を進んだ右側(東側)に御鳳輦舎(ごほうれんしゃ)があります。
ここに鳳輦(ほうれん)3基が納められています。
鳳輦とは、屋根に鳳凰の飾りのある天子の輦(くるま)で、神輿の原形と言われています。
石清水祭では、本殿から3座の神霊が鳳輦3基で頓宮殿まで降りられる際に使用されます。
御羽車舎
御鳳輦舎の北側に御羽車舎があります。
淀殿が再興した経蔵でしたが、明治の神仏分離で羽車2基を納め「御羽車舎」と改称されました。
羽車とは、御神体の移動などに用いられる輿(こし)のことです。
書院
御羽車舎の北側に書院があります。
石庭-1
石庭-2
書院石庭は昭和27年(1952)に重森三玲氏によって作庭されました。
南北約8m、東西約6mの方形のなかに白砂が敷き詰められ、
八幡大神の「海神」としての神格に因み、海洋を表しています。
白砂の上にはもともと男山に散在していた石14個を大海原に浮かぶ島に見立てて配し、
三尊石を組んだものもあります。
15個目の石として、石庭の東南の角には配置されている石灯籠には
「永仁3年(1295)未乙三月」の刻銘があり、国の重要文化財に指定されています。
社務所
書院に隣接して北側に社務所があります。
供御所
南総門への石段下の左側に供御所(くごしょ)があり、
現在の建物は慶長2年(1597)に造営されました。
竈神殿
また、末社の竈神殿(そうしんでん)としてかまどが祀られています。
台所守護神を祀り、神殿に供える食物を調理する所としての役割を持っていました。
カゴの木
南総門の右側(東側)に立つカヤの木は、御神木とされています。
樹齢約700年以上で樹高約20mあり、京都府下のカヤのなかでも有数の巨木とされています。
カヤの実からは油が採れますが、現在では石清水祭の神饌として使われ、
また茶道・裏千家の初釜式において「蓬莱山飾り」という新春のお飾りにも用いられています。

本殿へ向かいます。
続く

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京阪八幡駅
現在の京阪「八幡市駅」
京阪電車は令和元年(2019)10月1日に京阪線2駅と鋼索線2駅の
駅名を変更すると発表しました。
深草駅は「龍谷大前深草駅」に、八幡市駅は「石清水八幡宮駅」に変更され、
鋼索線の八幡市駅と男山山上駅は「ケーブル八幡宮口駅」と
「ケーブル八幡宮山上駅」に改められます。
これにあわせ、「京阪電車 石清水八幡宮・龍谷大前深草 駅名変更記念入場券」
(300円)が10月1日10時から石清水八幡宮駅、龍谷大前深草駅で販売されます。
販売期間は10月6日までで、各駅限定150セットで終了となります。
記念グッズとなる「京阪電車 石清水八幡宮・龍谷大前深草・石清水八幡宮参道ケーブル
駅名変更記念マグネット」(1200円)も用意され、こちらは10月5日、6日に開催される
「鴨東線開通&8000系誕生30周年記念イベント」の中で販売されます。
男山ケーブル
男山ケーブルは大正15年(1926)に男山索道によって開業されました
その後、男山鉄道に社名変更され、京阪電気鉄道の子会社となりましたが、
昭和19年(1944)に資材が供出され、廃止されました。
昭和30年(1955)に京阪電気鉄道の直営で復活され、
平成13年(2001)には現在の車両が導入されました。
男山ケーブル-新
令和元年10月1日には鋼索線の通称は、「男山ケーブル」から
「石清水八幡宮参道ケーブル」に変更されるのに伴い、
同年5月から6月にかけてリニューアル工事が行われました。
男山ケーブル-旧色
かっての車両色は京阪電車の特急色でした。
あかね
あかね
こがね
こがね
リニューアル工事に合わせ、車両デザインも一新されました。
太陽と月に見立て、「陽(赤)の遣い」と「月(黄)の遣い」がデザインのコンセプトとなり、
メタリックフィルムでラッピングされ、光の情緒感と神聖さが表わされています。
車両には「あかね」、「こがね」と命名され、石清水八幡宮の御神紋「流れ左三つ巴」を
モチーフにしたシンボルマークが採り入れられています。

ケーブルでは高低差82m、距離400mを3分で山上へと運び上げてくれますが、
石清水八幡宮へは歴史を知る上で、ケーブルよりも歩いて登る必要があります。
八幡市駅前のロータリーを進み、右に曲がると一の鳥居が見えます。
東高野街道
社標前は東高野街道の起点となっています。
東高野街道は洞ヶ峠(ほらがとうげ)を超え、大阪府の河内長野市で西高野街道と
合流して高野山へと至ります。
街道は、出来るだけ直線になるように計画されて通された古代道路と推定されていますが、
いつごろ開通したのかは定かではありません。
一の鳥居
一の鳥居は高さ約9m、最大幅約11mの花崗岩製で、最初は木製でしたが、
寛永13年(1636)に松花堂昭乗(1548~1639)の発案により石鳥居に造り替えられました。
扁額
鳥居に掲げられた扁額は元は、第66代・一条天皇(980~1011)の勅額でした。
長徳年間(995~999)に平安の三蹟と称えられる藤原行成(972~1027)が
天皇の勅を奉じて筆を執り、元和5年(1619)に松花堂昭乗が行成筆跡の通りに書写しました。
「八」の字は二羽の鳩がデザインされています。
八幡神とされる誉田別命( ほんだわけのみこと)が国内を平定するときに、
水先案内人となったのが鳩であったとされ、以来、鳩は八幡神の使いとされています。
また、男山にはかって、多くの鳩が住み、「鳩嶺(はとがみね)」とも呼ばれていました。
放生池
鳥居をくぐると参道の右側に放生池があります。
背後の山上に本殿があります。
筒井
参道の左側には筒井があります。
以前は井桁のみでしたが、寛延2年(1749)に「泉殿」が建てられたという記録が残っています。
筒井は、男山名水の一つで、八幡五水の中でも、一番の清水といわれましたが、今は...?。
北門
筒井の先に北門があります。
頓宮殿
頓宮殿
斎館
斎館
北門をくぐると周囲は回廊で囲われ、囲われた場所は「頓宮」と呼ばれています。
頓宮殿や回廊は慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いで焼失し、
頓宮殿は大正4年(1915)に、回廊は昭和44年(1969)に再建されました。
頓宮殿の左側には斎館がありますが、鳥羽・伏見の戦いで焼失する前は
元慶2年(878)に創建された極楽寺がありました。

頓宮には普段は誰もいませんが、三大勅祭の一つである9月15日の石清水祭では、
本殿から3座の神霊が御鳳輦(ごほうれん=神輿)3基で頓宮殿まで降りてこられ、
ここで勅使により奉幣が捧げられます。
石清水祭の始まりは、貞観5年(863)の旧暦8月15日に宇佐神宮に倣った「石清水放生会」で、
生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められました。
御鳳輦は頓宮で一晩滞在されることから、頓宮周辺は「宿院」と呼ばれていました。
天暦2年(948)からは勅祭となりましたが、室町時代になると戦乱のため
度々延期されるようになり、文明年間(1469~87)以降は中絶しました。
江戸時代の延宝7年(1679)に200年ぶりに再興されましたが、明治の神仏分離令により
仏式で行われていた「石清水放生会」は明治元年(1868)年に「仲秋祭」、
同3年に「男山祭」と改称され、仏教色は一掃されました。
明治5年(1872)には神幸の儀が廃されて単に地方長官が奉幣使として
参向されることになりましたが、明治16年(1883)に明治天皇の旧儀復興の命により、
翌年から勅使参向が復活しました。
明治2年(1869)に「男山八幡宮」と改称されていた社号が「石清水八幡宮」に復したのに伴い、
「石清水祭」に改められました。
戦後、昭和20年(1945)に官制廃止により旧儀中絶となりましたが、
昭和24年(1949)に復興されました。

石清水祭は葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の一つで、15日午前2時に山上の
本殿にて御鳳輦(神輿)3基に3座の神霊を奉遷する儀式から始まります。
午前3時に約500人の神人と呼ばれるお供の列を従え、表参道を下ります。
午前8時に放生川にて魚や鳩が放たれ、午前9時には4人の童子による
「胡蝶の舞」が舞われます。
その日の夕刻に御鳳輦は山上へと還幸になります。
黒門
廻廊の西側にある黒門を出た所に全国最大規模の五輪塔があります。
但し、この門は通常閉まっていますので、一の鳥居前から
神應寺の方へ向かわないと行けません。
五輪塔
鎌倉時代の作で高さ約6m、地輪の一辺が2.4mあり、国の重要文化財に指定されています。
この石塔には刻銘が無く、造立の起源が不明なため、様々な伝説があります。

その①
摂津尼崎の商人が、中国宋との貿易の帰途、石清水八幡宮に祈って海難を逃れ、
その恩に報いるために建立されたと伝えられています。
航海の安全を祈って参詣されることから「航海記念塔」とも呼ばれています。

その②
亡き父母の忌明けの日に参り、喪の汚れを清めたことから「忌明塔」とも呼ばれています。

その③
鎌倉時代の武士の霊を慰めるために建立された武者塚。

その④
石清水八幡宮を勧請した行教律師の墓。

どれが真実なのか?それとも別に答えがあるのかあるのか?解明は難しそうです。
五輪塔-図
お墓の歴史HPで五輪塔が解説されていましたので、引用します。
『■ 五輪塔は真言宗開祖「空海」によって考え出された墓塔とされている。
空海は、この宇宙は六つの構成要素から成り立つとした。
これを「六大体大」と呼ぶ。
「六大」とは「地・水・火・風・空・識」の六つの存在要素を指し、
このうち「地・水・火・風・空」の五つを「五大」といい、物質的な存在を表す。
「地」は大地であると同時に、固体を表す。
「水」は流れたり、移動したり、下降するもの、つまり水や液体を表す。
「火」は燃え上がり、上昇するものであり、「風」は動く気体を表す。
そして、「空」は空間を表している。
この「五大」に、精神的な存在である「識」が加わって「六大」となる。
「識」とは認識作用のことで、宇宙は物質だけでなく、そこに認識作用が加わって
はじめて存在するとされる。
空海は「識」のことを「智」とも「覚」とも「心」とも言っているが、
つまりは我々の精神活動を言っている。
また、全ての物質の形は宝珠・半円・三角・丸(玉)・四角の五つの相で成り立つとし、
これらを組み合わせることによって五輪塔の形を作り上げた。
また、人間も小宇宙であり、五大要素によって構成されているとし、
    地輪(方形)=体
    水輪(円形)=血液
    火輪(三角形)=体温
    風輪(半円形)=呼吸
    空輪(宝珠形)=これらがうまく融合した状態のことであると説いている。
五大は人間の五体、つまり人を表し、大自然そのものを表している。
墓塔の五輪塔は、この宇宙観から生まれた。
墓石に「五大」の「地・水・火・風・空」を表し、宇宙=人間を表現する。
ここに「識」が加わってはじめて宇宙=人間が成り立つのである。
つまり、召還=お性根入れ=開眼法要を行うことによって、「六大」が完成するわけである。
新しく墓石を建立したとき開眼法要を行うのは、墓石に心=魂を入れることに外ならない。
そうしてみると、墓石には「魂」、「心」が宿っている訳であるから、
決して粗末には扱えない。』---引用はここまで。
五大思想は元来インドにあった思想で、五輪塔はインド思想を構築し直した密教が
日本に伝わり、平安時代後半頃から造立が始まったと考えられています。
南門
頓宮の南門は昭和13年(1938)に山上本宮の南総門が新築されたのに伴い、
ここに移築されました。
高良神社-鳥居

高良神社-本殿
本殿
南門をくぐった右側(西側)に摂社の高良神社があります。
高良神社は宇佐八幡宮から八幡大神を勧請した行教和尚が、貞観2年(860)に社殿を建立し
、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)を祭神として祀ったと伝わります。
高良玉垂命は記紀にも登場しておらず、その正体は諸説あり、現在も定かではありません。
藤井
鳥居前の左側には男山名水の一つでもある藤井があります。
高良神社-拝殿
鳥居をくぐり石段を上った正面に拝殿があります。
タブの木
拝殿の左側(南側)に聳えるタブの木は樹齢約700年で御神木とされています。
根回り約7.5m、樹高約24mの大きさがあります。
古絵図
神社前には江戸時代後期の高良神社と宿院の図が描かれています。
かっての賑わいは『徒然草』「第52段」に記されています。
『昔、仁和寺の僧侶が年寄りになるまで石清水八幡宮に参拝したことがないのを
苦にしていて、ある日思い立って徒歩で一人石清水八幡宮へ向った。
男山山麓の極楽寺、高良神社を参拝して帰った。 
京に帰って、同僚の僧に「長年の念願をやっと果たすことができました。
 石清水八幡宮は、うわさに聞いていたよりずっと素晴らしく感動いたしました。
ところで、たくさんの人が山へ登るのを見ました。
行ってみたいという気持ちもありましたが、八幡宮の参拝が目的でしたから、
山には登りませんでした。」 と言った。
僧侶は、山上の本殿を拝むことなく帰ってしまったのです。
「どんな小さなことでも、案内人は必要だと痛感した』という戒めが込められています。
当時の極楽寺も壮大な伽藍を持つ大寺院だったそうですが、
高良神社もまた慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いで焼失しました。
現在の社殿は明治12年(1879)に再建され、地域の人々の氏神として、
毎年7月17日、18日に例祭が行われています。
高良神社太鼓まつり ※17日-宵宮 18日-本宮 18日19時頃-宮入り
頼朝松
参道を進んだ左側に「く」の字のように見える「頼朝松」があり、
その背後に見える石段は裏参道です。
建久6年(1195)、東大寺の大仏殿落慶供養に参列するため上洛した源頼朝は、
石清水八幡宮を参拝し、持参した6本の松の苗木を境内に植えたと伝えられています。
昭和の初めまで、1本がかろうじて生き残っていたですが、
昭和22年(1947)に落雷によって焼失しました。
現在の松は、昭和30年(1955)に奉納されたものです。
安居橋
頼朝松から石畳の車道を横切った所に放生川が流れ、安居(あんご)橋が架かっています。
この橋は、石清水祭の放生会の舞台になります。

表参道から本殿へ向かいます。
続く

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京都には、いくつかの七福神めぐりが存在しています。
その中でも有名なのが、都七福神巡りです。
七福神めぐりは、室町時代に京都から始まったと伝わり、日本最古とされています。
正月に参詣すると福がもたらされ、また毎月7日が七福神の縁日となります。

【ゑびす神】
七福神はインドや中国由来の神ですが、唯一ゑびす神は日本の神で、古来から漁業の神でした。
ゑびすの本来の神格は、人々の前にときたま現れる、外来物に対する信仰であり、
海の向こうからやってくる海神です。
平安時代末期にはゑびすを市場の神(市神)として祀った記録が残っており、
中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神として祀られるようになりました。
同時に福神としても信仰されるようになり、やがて七福神の一柱とされ、
ふくよかな笑顔(えびす顔)で表現されるようになりました。
えびす神は耳が遠いとされているため、神社本殿の正面を参拝するほか、
本殿の裏側に回りドラを叩いて祈願しなくてはならないとされています。
ゑびす神社

住   所:〒605-0811 京都市東山区大和大路通四条下ル小松町125
電話番号:075-525-0005
参拝時間:9:00~17:00(受付は16:30まで)
公共交通:京阪「祇園四条」駅から徒歩約6分
        阪急「河原町」駅から徒歩約8分

年間行事:1月1日 歳旦祭
       1月8日~12日 十日ゑびす大祭(初ゑびす)
       2月節分 節分祭
       5月第3日曜日 例大祭並びに神幸祭
       6月30日 夏越の大祓式
       9月第4日曜日 名刺感謝祭
       10月19日~20日 二十日ゑびす大祭(ゑびす講)
       11月16日 お火焚祭
       12月31日 大祓式並びに除夜祭

【大黒天】
大黒天(だいこくてん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ
(サンスクリット語:Mahaa-kaala、音写:摩訶迦羅など)のことで、インド密教に取り入れられました。
密教の伝来とともに、日本にも伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、
富貴爵禄(ふうきしゃくろく)の神とされました。
後に、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、
習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰されました。
その後、豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となりました。
室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、
さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となりました。
また、大国主が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の計略によって焼き殺されそうになった時に鼠が助けた
という説話から、鼠が大黒天の使いであるとされています。
松ヶ崎大黒天(妙円寺)

住   所:〒606-0943 京都市左京区松ヶ崎東町31
電話番号:075-781-5067
参拝時間:9:00~17:00(受付ハ16:00まで)
公共交通:地下鉄烏丸線「松ヶ崎」駅」から徒歩約20分
     叡山電鉄「修学院」駅」から徒歩約15分。
年間行事:1月1日 年頭会
       1月27日 初甲子大祭(今年初めての大黒さんのご縁日) 
       2月3日 節分会
       2月15日 加持大祭(荒行僧による水行・祈祷・お火焚祭)
       3月21日 春彼岸会
       3月28日 甲子大祭(大黒さんのご縁日)
       4月7日 花祭り(釈尊降誕会)
       4月14日 福寿大祭
       5月27日 甲子大祭(大黒さんのご縁日)
       7月26日 甲子大祭(大黒さんのご縁日)
       8月4日~13日 棚経
       8月15日 盆施餓鬼
       8月16日 五山送り火 
       9月23日 秋彼岸会・月見祈祷
       9月24日 甲子大祭(大黒さんのご縁日)
       11月24日 お会式
       11月23日 納め甲子大祭(今年最後の大黒さんのご縁日) 
   

【毘沙門天】
インド神話の財宝神・ヴァイシュラヴァナが中央アジアを経て、中国に伝わる過程で武神としての信仰が
生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになりました。
原語を意訳すると多聞天、音訳すると毘沙門天になり、四天王では多聞天で表されています。
仏教の聖地である須弥山(しゅみせん)頂上・忉利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え、
北部の北倶廬洲(ほっくるしゅう)を守護しています。
 教王護国寺(東寺)

住   所:〒601-8473 京都府京都市南区九条町1
電話番号:075-691-3325
納経時間:8:00~17:00(受付は16:30まで)
公共交通:近鉄「東寺」駅から徒歩約10分
       京都駅八条口から徒歩約15分
年間行事:毎朝6時 生身供 御影堂での朝のお勤め
       毎月1日 大般若経祈願会
       毎月20日 御逮夜法要
       毎月21日 御影供 弘法市
       1月1日、2日、3日 新春祈願
       1月1日~3日 新春護摩
       1月3日 修正会
       1月8日~3月18日  五重塔初層公開
       1月28日 講堂修正会
       2月3日 星供
       2月15日 涅槃会
       3月15日 人類平和、地球安泰祈願会
       3月20日~5月25日 宝物館春の特別展
       3月彼岸期間中 彼岸会
       4月第一日曜日 献米法要
       4月15日 布薩法要
       5月3日 稲荷還幸祭
       5月15日 布薩法要
       6月15日 降誕会
       7月15日 布薩法要
       8月13日~16日 盂蘭盆会
       8月15日 万灯会、盆踊り
       9月15日 布薩法要
       9月20日~11月25日 宝物館秋の特別展
       9月彼岸期間中 彼岸会
       10月15日 布薩法要
       11月15日 八幡護摩供
       12月15日 布薩法要

【弁財天】
弁財天は、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名で、
七福神で唯一の女神です。
原語の「サラスヴァティー」はインドの聖なる河の名であったのですが、河の守護神とされるようになりました。
水を神格化し、言語や音楽の神とされています。
経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」ですが、「才」が「財」の音に通じることから
「弁財天」と表記し、金運・財運の神としての性格が付与されました。
六波羅蜜寺

住   所:〒605-0813 京都府京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町
電話番号:075-561-6980
納経時間:8:00~17:00
公共交通:京阪「清水五条」駅下車、徒歩8分
年間行事:元旦=皇服茶授与・開運厄除祈願・福徳自在初稲穂授与
       1月17日=初観音
       2月=節分会開運厄除祈願 星まつり
       3月=彼岸会
       8月8~10日=萬燈会
       9月=彼岸会
       12月13日~31日=空也踊躍念仏厳修

【福禄寿神】
古い中国の仙人が神格化したと言われ、「福(幸福)と、禄(生活の安定)と、寿(長寿)を授けるという神様」で、
背丈が低く、長い頭を持ち、長い髭をはやして、右手に枕を抱え左手に宝珠を持った姿で、
長寿の象徴である多くの鶴をお供に従えています。
中国では道教の神様で、南極星の化身とされています。
カノープス(南極星)は限られた時期にだけ地平線の近くに現われるので、古代中国では、
南極星の出現は、きわめてめでたい出来事と考えられていました。
 赤山禅院

住   所:〒606-8036 京都府京都市左京区修学院開根坊町18
電話番号:075-701-5181
納経時間:9:00~16:30
公共交通:叡山電鉄「修学院」駅から徒歩約20分
毎月行事:1日 早朝護摩供
       5日 泰山府君 五日講 御縁日
       15日 比叡山大阿闍梨御加持
       25日 赤山大明神縁日御加持
       28日 雲母不動尊縁日御加持     
年間行事:1月1日 初詣
       1月5日 新春八千枚大護摩供
       2月3日 節分会
       5月5日 泰山府君祭 端午大護摩供
       9月 仲秋名月 ぜんそく封じ へちま加持
       11月1日~30日 もみじ祭
       11月23日 珠数供養

【寿老神】
道教の開祖である老子が仙人となり、不老不死になったとする伝えがあり、南極老人星(カノープス)の
信仰とが融合して、中国の宋の時代に寿老人という神がつくられました。
南宋のさまざまな文化を学んでいた鎌倉時代の禅僧によって日本に伝えられ、
江戸時代半ば過ぎに七福神に加えられました。
酒を好み頭の長い長寿の神とされ、不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、
長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従えています。
また、人々の難を払う団扇を持っていることから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の功徳ありと云われています。
革堂(行願寺)

住   所:〒604-0991 京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
電話番号:075-211-2770
納経時間:8:00~17:00
公共交通:京阪「神宮丸太町」駅下車、徒歩約10分
年間行事:毎月15日・30日=愛染明王縁日/毎月18日=観音縁日

【布袋尊】
布袋は、唐末の明州に実在したとされる伝説的な仏僧で、本来の名は釈契此(しゃくかいし)ですが、
常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられました。
太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩き、生臭ものであっても構わず施しを受け、
その幾らかを袋に入れていたと伝えられています。
死後に弥勒菩薩の生まれ変わりだと信じられるようになり、神格化されました。
中世以降、中国では布袋になぞらえた太鼓腹の姿が弥勒仏の姿形として描かれるようになり、
寺院の主要な仏堂に安置されるのが通例となりました。
日本では鎌倉時代に禅画の題材として布袋が伝わり、やがて七福神の一柱として信仰されるようになりました。
布袋が背負っている袋は堪忍袋ともいわれています。
万福寺

住   所:〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34
電話番号:0774-32-3900
納経時間:9:00~17:00(受付は16:30まで)
公共交通:JR奈良線・京阪宇治線「黄檗」駅から徒歩約5分
年間行事:1月1日~3日 新年年頭法要
       1月17日 百丈忌
       2月15日 涅槃会
       3月11日 東日本大震災物故者慰霊法要
       4月3日 開山祥忌
       4月8日 降誕会
       4月第三日曜日 佛供講法要
       5月8日 厳有忌(第4代将軍徳川家綱公祥当忌)
       5月第三土・日曜日 全国煎茶道大会
       7月13日~15日 中元法要
       7月16日 祥當売茶忌
       9月19日 法皇忌(第108代天皇後水尾法王忌)
       9月23日 北向地蔵尊彼岸回向
       10月5日 達磨忌
       10月中旬 月見の煎茶会
       10月中旬 普度勝会
       11月4日 慈愍忌(宗祖生誕日)
       12月1日~8日 臘八大接心
       12月8日 成道会
       12月13日 煤払い
       12月29日 餅つき
       12月31日 除夜の鐘

十三仏霊場は、亡くなられた方の追善供養として執り行われる、初七日から三十三回忌までの仏事に割り当てられた、十三の諸尊を巡礼する霊場です。
十三仏信仰は、古代インドのバラモン教に説かれる輪廻思想を起源としています。
古代インドでは、人は死ぬと、魂だけが脱け出して上空へと昇り、やがて雨と共に地上へと降り注ぎ、変遷を経て再び生を受けると考えられていました。
仏教が中国に伝わると、儒教や道教の影響を受け、10度の年忌(ねんき)に10人の王によって審判を受けるという「十王信仰」が生まれました。
平安時代末期に日本に伝わった十王信仰は、鎌倉時代になると十王に十仏が相対されるようになりました。
その後、十王に七回忌・十三回忌・三十三回忌を審理する王が加えられ、江戸時代にはそれに対応する三尊が加えられた十三仏信仰が生まれました。
十三王の詳細は「多賀大社への参道」の真如堂をご覧ください。
昭和50年代になると、日本各地で十三仏霊場を選定する活動が広まり、京都十三仏霊場は最も早く昭和56年(1981)に誕生しました。
京都十三仏霊場に加盟する寺院は、歴史があり由緒正しく、名刹として人々の信仰を集めている寺ばかりです。
現世安穏にしてしかも後生浄土を乞い願う二世大安穏の霊場として、京都十三仏霊場は発足しました。

第一番(初七日) 不動明王 智積院
住   所:〒605-0951 京都府京都市東山区東大路七条下る東瓦町964
電話番号: 075-541-5362
納経時間:9:00~16:00
公共交通:京阪「七条」駅より徒歩約10分
       JR京都駅から市バス206系統、207系統、208系統で「東山七条」下車すぐ
年間行事:毎月12日 阿字観会
       毎月21日 写経のつどい
       1月1日 修正会(しゅしょうえ)
       1月8日~14日 後七日御修法(ごしちにちみしほ)
       1月15日 新年祝祷会(しんねんしゅくとうえ)・お昆布式
       2月3日 節分会
       2月15日 常楽会(じょうらくえ)
       3月6日~12日 伝法灌頂(非公開)・伝法大会
       春分の日 春季彼岸会法要
       3月21日 正御影供
       3月30日 得度式(とくどしき)(非公開)
       4月8日 仏生会(花まつり)
       6月15日 青葉まつり
       7月30日 得度式(非公開)
       8月1日~2日 暁天講座
       8月12日 大施餓鬼会(おおせがきえ)
       8月24日 地蔵盆会
       8月31日 永代・納骨・日月牌総供養法要
       9月10日 運敞僧正忌(うんしょうそうじょうき)
       秋分の日 秋季彼岸会法要
       10月3日 戦没者慰霊法要
       10月4日 玄宥僧正忌
       12月8日 成道会
       12月10日~12日 冬報恩講(ふゆほうおんこう)
       12月31日 除夜の鐘

第二番(二七日=十四日) 釈迦如来 清涼寺(嵯峨釈迦堂)
住   所:〒616-8447 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
電話番号:075-861-0343
納経時間:9:00~16:00
公共交通:JR「嵯峨嵐山」駅から徒歩約12分
       JR京都駅から市バス28番嵐山大覚寺行に乗車し、「嵯峨釈迦堂前」下車すぐ
年間行事:毎月8日 八日会法要と法話
       毎月第四日曜日 写経会
       3月15日  涅槃(ねはん)会及びお松明(たいまつ)式
       春分の日 彼岸会及び永代祠堂回向
       4月8日 お花まつり
       4月第一日曜日・第二土曜日・第二日曜日 嵯峨大念佛狂言
       4月19日 お身拭式
       5月8日 豊臣 秀頼公忌
       8月8日 盆施餓鬼会
       秋分の日 彼岸会及び永代祠堂回向
       11月第二日曜日 夕霧供養
       12月6日~8日 三千礼拝佛名会

第三番(三七日=二十一日) 文殊菩薩 戒光寺
住   所:〒605-0977 京都府京都市東山区泉涌寺山内町29
電話番号:075-561-5209
納経時間:9:00~17:00
公共交通:JR、京阪「東福寺」駅から徒歩約20分
       市バス202,207,208系統「泉涌寺道」バス停から徒歩約15分
年間行事:毎月8日 本尊釈迦如来御縁日(大数珠繰り 10:00~)
       毎月第三火曜日 雑談法話会「お坊さんに聞いてみよ!」19:00~
       毎月第三土曜日 阿字観体験 17:00~
       1月1日~3日 修正会
       1月15日 初丈六ご縁日(五大力尊お授け・厄除雑煮接待)
       成人の日 京都泉涌寺 泉山七福神めぐり大祭(秘仏融通弁財天御開帳)
       2月3日 節分星まつり大般若転読法要(甘酒接待)
       4月1日~15日 花祭り内陣特別参拝
       4月8日直近の日曜日 花祭り大法要(甘茶接待)
       6月25日 文殊菩薩智慧加持祈祷会
       8月20日 大施餓鬼法要
       8月22日 水掛地蔵尊の地蔵盆
       9月21日 秋季彼岸会先祖回向法要
       11月3日 泉山融通弁財天大祭
       11月中旬~下旬 秋の丈六市「おかげ大根」  内陣特別参拝
       12月8日 終い丈六ご縁日

第四番(四七日=二十八日) 普賢菩薩 大光明寺
住   所:〒602-0898 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
電話番号:075-231-0301
納経時間:10:00~16:00
公共交通:地下鉄「今出川」駅から徒歩約5分
年間行事:

第五番(五七日=三十五日) 地蔵菩薩 大善寺
住   所:〒612-8013 京都府京都市伏見区桃山町西町24
電話番号:075-611-4966
納経時間:9:00~16:00
公共交通:JR奈良線、京阪宇治線「六地蔵」から徒歩約10分

第六番(六七日=四十二日) 弥勒菩薩 泉涌寺
住   所:〒605-0977 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
電話番号:075-561-1551
納経時間:3月~11月=9:00~16:30(閉門17:00)
       12月~2月=9:00~16:00(閉門16:30)
公共交通:JR・京阪「東福寺」駅から徒歩約20分
       市バス208系統「泉涌寺道」停から徒歩約15分
年間行事:1月1日~3日 修正会
       成人の日 泉山七福神巡り(山内寺院) 
       2月節分 星供法要
       3月14日~16日 涅槃会
       4月1日~8日 開山忌法要
       7月14日~15日 盂蘭盆法要
       9月2日 静寛院宮法要 藪内献茶会
       10月7日~8日 舎利会法要 

第七番(七七日=四十九日) 薬師如来 平等寺
住   所:〒600-8415 京都市下京区烏丸松原東入る因幡堂町728
電話番号:075-351-7724
納経時間:9:00~16:00
公共交通:地下鉄「四条」または「五条」駅からそれぞれ徒歩約5分
年間行事:毎月8日 薬師護摩、因幡薬師手作り市
       毎月12日 薬師経奉読
       1月1日 元朝護摩
       2月3日 万灯会、北斗護摩祈願
       4月8日 花御堂灌仏
       8月第一土曜日 盂蘭盆、施餓鬼会
       9月彼岸頃 神佛一体法要

第八番(百ケ日) 観音菩薩 大報恩寺(千本釈迦堂)
住   所:〒602-8319 京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町1034
電話番号:075-461-5973
納経時間:9:00~17:00
公共交通:JR京都駅から市バス50系統・立命館大学前行に乗車
       阪急烏丸駅・大宮駅から市バス203系統・御室仁和寺行に乗車
       地下鉄今出川駅または京阪出町柳駅から市バス203系統銀閣寺行に乗車)
       いずれも「上七軒」で下車し、徒歩約3分
年間行事:2月節分 節分会(おかめ福節分)
       3月22日 千本の釈迦念仏
       5月8日 釈尊花祭
       7月9日~12日 陶器供養会
       8月8日~16日 精霊むかえ・ 六道詣り
       12月7日~8日 成道会と大根焚き

第九番(一周忌) 勢至菩薩 仁和寺
住   所:〒616-8092 京都府京都市右京区御室大内33
電話番号:075-461-1155
納経時間:9:00~16:30(受付終了16:00)
公共交通:JR嵯峨野線「花園」駅から徒歩約25分
       JR「京都」駅または阪急「西院」駅・「大宮」駅から市バス26系統で「御室仁和寺」下車すぐ
年間行事:毎月21日 御影供(御影堂)
       毎月28日 護摩供(大黒堂)
       1月1日 修正会(一般参拝不可)
       1月6日 御室流華道生初式
       1月7日 初祈祷会
       2月3日 節分会
       2月15日 常楽会
       2月27日 土砂加持法要
       3月21日 春季彼岸会
       3月24日 春季御室霊園水子地蔵尊供養会
       4月1日~5月26日 春季名宝展
       5月12日~13日 御室流華道流祖奉献全国挿花大会
       6月6日~8日 授戒会(一般参拝不可)
       6月15日 宗祖誕生会
       9月8日 開山忌
       9月21日 秋季彼岸会
       9月23日 秋季彼岸御室霊園供養会
       10月1日~11月24日 秋季名宝展
       12月1日 伝法潅頂(一般参拝不可)

第十番(三回忌) 阿弥陀如来 法金剛院
住   所:〒616-8044 京都府京都市右京区花園扇野町49
電話番号:075-461-9428
納経時間:9:00~16:00
公共交通:JR嵯峨野線「花園」駅から徒歩約3分
年間行事:

第十一番(七回忌) 阿閦如来 隨心院
住   所:〒607-8257 京都市山科区小野御霊町35
電話番号:075-571-0025
納経時間:9:00~16:30
公共交通:地下鉄東西線「小野」駅」から徒歩約5分
年間行事:毎月1日・5日 清瀧権現社月並法会
       毎月1日・16日 歓喜天浴油供(お聖天さん)
       毎月17日 写経・写仏奉納法会
       1月 清瀧権現社 法要
        修正会
        金光明最勝王経読誦会
       2月 常楽会
       3月 観梅祭(名勝小野梅園特別公開)
        春の彼岸法会
       3月最終日曜日 はねず踊り
       5月 開山忌
       8月 お盆 施餓鬼会法会
       9月 秋の彼岸法会       
       10月 放生会
        土砂加持法会
       11月 秋期夜間特別拝観
        隨心院ミス小野小町選考会
       12月 小町忌美心祈願法会

第十二番(十三回忌) 大日如来 教王護国寺(東寺)
住   所:〒601-8473 京都府京都市南区九条町1
電話番号:075-691-3325
納経時間:8:00~17:00(受付は16:30まで)
公共交通:近鉄「東寺」駅から徒歩約10分
       京都駅八条口から徒歩約15分
年間行事:毎朝6時 生身供 御影堂での朝のお勤め
       毎月1日 大般若経祈願会
       毎月20日 御逮夜法要
       毎月21日 御影供 弘法市
       1月1日、2日、3日 新春祈願
       1月1日~3日 新春護摩
       1月3日 修正会
       1月8日~3月18日  五重塔初層公開
       1月28日 講堂修正会
       2月3日 星供
       2月15日 涅槃会
       3月15日 人類平和、地球安泰祈願会
       3月20日~5月25日 宝物館春の特別展
       3月彼岸期間中 彼岸会
       4月第一日曜日 献米法要
       4月15日 布薩法要
       5月3日 稲荷還幸祭
       5月15日 布薩法要
       6月15日 降誕会
       7月15日 布薩法要
       8月13日~16日 盂蘭盆会
       8月15日 万灯会、盆踊り
       9月15日 布薩法要
       9月20日~11月25日 宝物館秋の特別展
       9月彼岸期間中 彼岸会
       10月15日 布薩法要
       11月15日 八幡護摩供
       12月15日 布薩法要

第十三番 (三十三回忌) 虚空蔵菩薩 法輪寺
住   所:〒616-0006 京都府京都市西京区嵐山虚空蔵山町68-3
電話番号:075-861-0069
納経時間:9:00~17:00
公共交通:阪急「嵐山」駅から徒歩約約5分
年間行事:2月8日 針供養法要
       3月10日 芸能上達祈願祭
       3月13日 春の十三まいり
       5月23日 電電宮大祭
       9月9日 重陽の節会
       10月1日 秋の十三まいり
       10月15日 人形感謝祭
       11月13日 うるしの日法要
       12月8日 針供養法要

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