大報恩寺は山号を瑞応山(ずいおうざん)と号する真言宗智山派の寺院で、
通称の千本釈迦堂として知られています。
特に毎年12月7~8日に催される「大根炊き」は、京都の師走の風物詩として有名です。
また、新西国霊場の第16番及び京都十三仏霊場・第8番の札所にもなっています。
大報恩寺は鎌倉時代初期の承久3年(1221)に義空上人によって開創されました。
義空上人は出羽の人で藤原秀衡の孫に当り、
比叡山で澄憲(ちょうけん)から天台宗を学びました。
当初は藤原光隆の従者であった岸高なる人物から寄進された領地に、
草堂を建てた簡素なものでした。
安貞元年(1227)に摂津国尼崎の材木商の寄進を受け、
現存する本堂の上棟が行われました。
義空上人は正式な寺院として第87代・四条天皇へ寺格の申請を行い、
嘉禎元年(1235)に俱舎(くしゃ)・天台・真言と三つの宗派の認可を受け、
その道場となりました。
文永年間(1264~1274)には二世・如輪により伽藍の整備が行われました。
また、『徒然草』228段には「千本の釈迦念仏は文永の比(ころ)
如輪上人これを始められけり」と記されています。
旧暦2月15日亥の刻(午後9時)~丑の刻(午前3時)まで念仏が唱え続けられました。
現在では3月22日の14時から催され、この日は自由に参加することができます。
三世・慈禅上人(じぜんしょうにん)は、釈迦が悟りを開いた12月8日を祝う
成道会(じょうどうえ)を創始しました。
法要の後に4本の大根を縦半分に切って8本とし、切り口に釈迦の種子(梵字)を書いて
供え、参詣者への「悪魔除け」とされました。
その後「悪魔除けの大根」は、他の大根と一緒に炊き上げて、
参詣者に振る舞われたのが「大根炊き」のはじめと言われています。
現在では毎年12月7~8日の両日に法要が行われ、「大根炊き」は信徒の尽力により
継承されています。
室町時代、応仁・文明の乱(1467~1477)では西軍の中心地となり、
伽藍は焼失しましたが、本堂は奇跡的に焼失を免れました。
西軍を率いた山名宗全の計らいがあったとも伝わります。
しかし、応仁・文明の乱で寺領を失い、衰微しましたが天正19年(1591)に
豊臣秀吉から寺領の替地100石を与えられました。
江戸時代の初期から智積院の能化の隠居所として護持され、
真言宗智山派に改宗されました。
享保15年(1730)に発生した「西陣焼け」とも呼ばれる大火では、
本堂だけは類焼を免れました。
明治3年(1870)に北野経王堂願成就寺が北野天満宮の境内から、
当初は観音堂として移築されました。
本堂は創建当初のもので、京都市内最古の木造建築物として国宝に指定されています。
応仁・文明の乱でも焼失は免れましたが、堂内の柱には刀や槍などによる
傷痕が残されています。
寛文9年~10年(1669~1670)の大修理では、末寺であった北野経王堂の
部材と瓦が使われ、屋根が瓦葺に改められました。
昭和26年~29年(1951~1954)に行われた解体修理工事で、旧北野経王堂願成就寺の
古材が一部、本堂の部材として使われていたことが判明しました。
昭和31年(1956)に本堂に使われた部材などで北野経王堂願成就寺が再興されました。
本堂の須弥壇内にある高御座式(たかみくらしき)の厨子内には像高89cmの
釈迦如来坐像が安置されています。
快慶の弟子・行快による鎌倉時代の作とされ、国の重要文化財に指定されていますが、
秘仏とされています。
須弥壇にある奥の壁、表裏2面には鎌倉時代に図が描かれ、国宝に指定されています。
残念なことに両面とも損傷が多く、相当な部分が剥がれ落ちているため、
図の全容を知ることは出来無い状態です。
画像はありませんが霊宝殿には十大弟子立像 10躯、六観音像 6躯、銅造釈迦誕生仏、
千手観音像などが安置され、いずれも国の重要文化財に指定されています。
境内の東側に「おかめ塚」があり、宝篋印塔が建立されています。
本堂造営の棟梁であった長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)は、
重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎました。
柱の予備は無く、苦悩していた時に妻の阿亀(おかめ)が「枡組(ますぐみ)で
補えばどうか」と助言して、夫の窮地を救いました。
しかし、阿亀は専門家でもない女の提案で棟梁が大仕事を成し得たことが
知れては夫の恥と考え、上棟式を待たずに自害しました。
高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた
扇御幣を飾りました。
その後、大工の信仰を得るようになり、上棟式にはお多福の面を着けた
御幣を飾る起源になったとされています。
塚には「おかめの像」も建立されています。
おかめの像の前では、毎年2月の節分の日に「おかめ福節分会」が営まれています。
法要を終えると茂山狂言社中によるユニークなおかめ福節分の狂言があり、
そのあと厄除け鬼追いの儀として、豆まきが行われます。
また、法要の前には番匠保存会による木遣音頭・上七軒の舞妓により、
おどりの奉納もあります。
本堂前の枝垂れ桜には「阿亀桜」と名付けられています。
境内には「ぼけ封じ観音菩薩像」が祀られ、
大報恩寺は「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」の第2番札所でもあります。
大報恩寺から南へ進み、七本松通りに面した東側の清和院へ向かいます。
続く
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