巨木
パノラマ展望台から少し下ると車道の左側に巨木が聳えています。
本堂跡地
その巨木の付近に室町時代まで本堂がありました。
成相寺は寺伝によれば、飛鳥時代の慶雲元年(704)に文武天皇の勅願寺として
真応上人が創建したと伝わります。
成相寺は日本古来の山岳宗教の修験場で、
日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めていました。
その後の変遷は不明ですが、承和4年(1348)に成相寺を訪れた覚如上人は日記に、
多くの堂宇が建ち並び寺が隆盛していたことを記しています。
しかし、応永7年(1400)に山崩れが発生し、本堂は現在地に移されました。
こちらの旧境内地は、平成28年(2016)10月3日に国の史跡に指定されました。
仁王門
駐車場まで戻りましたが、駐車場は本堂に近い高い所にありますので、
歩いて山門まで下りました。
山門は入母屋造単層の八脚門で、宝徳4年(1452)に現在地で再建されましたが、
永正4年(1507)に一色氏と武田氏の兵火により、多くの堂宇が焼失し
、山門も失われ、現在の山門はその後の再建と思われます。
仁王像-右
仁王像-左
仁王像の像高は約2m80cmで、昭和59年(1984)に解体修理が行われた際に、
胎内から修理銘文が発見されました。
くずし字で書かれているため読み取ることができませんが、貞享5年(1687)と
文政11年(1828)に修復が行われたようです。
像はその様式から藤原時代(894~1185年)の製作されたと推定されています。
五重塔
山門をくぐり、山道の方を登って行くと五重塔の側面に出ます。
高さ33mの五重塔は、鎌倉様式を再現し、総工費10億円で平成10年(1998)に完成しました。
竜神のタモ
五重塔の南側の高台に「竜神のタモ」と呼ばれる古木を仰ぎ見ることができます。
樹齢300年以上とされる成相寺の御神木で、天に昇り行く龍をイメージさせることから
このように呼ばれるようになりました。
展望台
五重塔から西側へ少し登ると弁天山展望台があります。
本当の股のぞきとは、この展望台で行われてきたものが伝承されてきたそうです。
画像は平成29年(2017)3月に訪れた時のもので、股のぞきした画像ではありません。
蓮池
展望台から下ってきた所に蓮池があります。
蓮池は「底無し池」とも呼ばれ、大蛇が住んでいたと伝わります。
寺の小僧を次々と呑み込んでいったため、和尚が小僧に見せかけた藁人形を作り、
中に火薬を仕込みました。
藁人形を呑み込んだ大蛇の腹の中で火薬が爆発し、大蛇は苦しみながら山を下り、
阿蘇海に入り文殊の辺りで力尽きて沈んでしまったとの伝承が残されています。
弁天堂
池の中島には弁天堂があり、弁財天が祀られています。
鐘楼
本堂への石段を少し上った所に鐘楼があります。
梵鐘には慶長13年(1608)の銘が入り、府の文化財に指定されています。
この鐘を鋳造するため浄財の寄進を募ったのですが、府中で一軒だけ
「子供は沢山居るが寺に寄付する金はない」、と言って断った家がありました。
鋳造が始まると、二度続けて失敗し、三度目に取り掛かった時、
寄付をしなかった家の赤ん坊を誤って坩堝(るつぼ)の中に落としてしまいました。
出来上がった鐘をつくと、子供の泣き声、母を呼ぶ悲しい声が聞こえ、
聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、
以後、一切この鐘をつくのを止めたと伝わり、「撞かずの鐘」と呼ばれています。
観音堂
鐘楼から少し石段を上った左側に観音堂があります。
観音堂-堂内
堂内には、三十三霊場の各本尊の像が安置されています。
一願地蔵尊
観音堂の右前方に、約650年前に造られた「一願一言地蔵」が祀られています。
ただ一つの願いを一言でお願いすれば、どんなことでも必ず叶えてくれる地蔵と伝わります。
本堂-1
石段を上った正面に本堂があります。
本堂-2
現在の本堂は、江戸時代の安永3年(1774)に再建されたもので、
京都府の文化財に指定されています。
成相寺は山号を成相山と号し、平成19年(2007)に高野山真言宗から
独立して真言宗単立寺院となりました。
本尊
書写山圓教寺の参道に祀られている成相寺の本尊。
本尊は平安時代の聖観音菩薩ですが、33年に一度開扉の秘仏とされています。
この観音菩薩は美人観音と呼ばれ、室町時代の『御伽草子』に登場する
梵天国王の姫君が姿を変えた観音様と伝わります。
小野小町も信仰したと伝わり、拝む人は美しい人になると言い伝えられています。
また、西国三十三所観音霊場・第27番の札所本尊でもあり、
「成相寺」と称されるようになった由来も持っています。
「一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪の為、
里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。
死を予感した憎は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。
すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に傷ついた鹿が倒れているのに気付きました。
僧として肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、
決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。
やがて雪も消え、里人達が登って来て堂内を見ると、
本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていました。
それを知らされた僧は観音様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、
木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。
此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。」
真向きの龍
堂内の撮影は禁止されていますが、左甚五郎作の「真向きの龍」は撮影が許可されています。
雨乞いのため、龍の彫刻を成相寺に奉納することになり、
折しも宮津に滞在していた左甚五郎に製作の依頼を行いました。
しかし、龍の姿を見たことない甚五郎は、途方に暮れていたのですが、
ある夜夢の中で龍の住処を教えられます。
早速、教えられた場所、成相山のとある滝壺に降り立つと、龍が姿を現したと伝わります。
そして、完成したのが「真向きの龍」で、右から見ても左から見ても
自分の方を向いていることから、「真向きの龍」と云われています。
鉄湯船
本堂の左前に置かれている鉄湯船は、鎌倉時代の正応3年(1290)の銘があり、
重要文化財に指定されています。
現在は手水鉢に転用されています。
画像は雪が残る、平成29年(2017)3月の訪問時のものを使用しました。
楽寿観音
鉄湯船の左側に、安楽と健康長寿の御利益があるとされる、楽寿観音が祀られています。
多数の石仏
楽寿観音の北側には多くの石仏や五輪塔が祀られています。
鎮守社
本堂の右側に鎮守社があり、熊野権現が祀られています。
延宝4年(1676)に上棟されたもので、成相寺に現存する最古の建物であり、
府の文化財に指定されています。
社殿は覆屋の中に収められています。
十王堂
鎮守社の前方に十王堂があり、西向きに建てられています。
賓頭盧尊者
縁側に賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)が安置されています。
孔雀明王
堂内の左側に孔雀明王(くじゃくみょうおう)像が安置されています。
孔雀は害虫やコブラなどの毒蛇を食べることから、人々の災厄や苦痛を取り除く
功徳があるとされる孔雀明王として信仰の対象となりました。
後には人間の煩悩の象徴である三毒『貪(むさぼ)り・嗔(いか)り・痴行』を喰らって
仏道に成就せしめる功徳がある仏という解釈が一般的になりました。
また雨を予知する能力があるとされ祈雨法(雨乞い)にも用いられ、
孔雀明王を本尊とした密教呪法は「孔雀経法」と呼ばれ、真言密教において
孔雀経法による祈願は鎮護国家の大法とされ最も重要視されました。
像容は憤怒の相が特徴である明王のなかで唯一、慈悲を表した菩薩の姿をしています。
一面四臂の姿で、4本の手にはそれぞれ倶縁果(ぐえんか=レモン)、
吉祥果(きっしょうか=ざくろ)、蓮華、孔雀の尾を持っています。
閻魔大王
十王-右
十王-左
堂内の右側には閻魔大王を中心に十王尊が安置されています。

籠神社(このじんじゃ) へ向かいます。
続く

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村