苗村神社看板
苗村神社は滋賀県蒲生郡竜王町の県道541号線を挟んで、
東本宮と西本宮に分かれています。
県道に面した駐車場に入り、道路を横断して東本宮から参拝しました。
長寸神社石碑
社標は「式内 長寸(なむら)神社」と記されています。
第11代・垂仁天皇の御代(BC29~70)、当地方を開拓された先祖を祀ったのが
苗村神社の始まりとされています。
当時、当地は「吾那邑(あなのむら)」と呼ばれていましたが、
その後「那牟羅(なむら)」に改まり、同音となる「長寸」の字を当て、「長寸神社」と称しました。
「寸」は村の古字で、「長」は最高位を意味しています。

『日本書紀』垂仁天皇3年3月条に新羅王子の
天日槍(あめのひほこ)が渡来したと記されています。
天日槍は初め淡路島に居住した後、菟道河(宇治川)を遡って吾名邑にしばらく滞在し、
近江国鏡村(滋賀県蒲生郡竜王町鏡に鏡神社が鎮座)の谷の陶人(すえびと)が
天日槍の従者となって、若狭国を経て但馬国に至り、
そこで持参した八種の神宝を納め居住したとされています。
吾名邑の人々は天日槍から当時の最新の技術を学び、豊かになったのかもしれません。
また、兵庫県豊岡市出石町にある出石神社にはその神宝が納められ、天日槍が祀られています。
東本殿-鳥居
「長寸神社」の扁額が掲げられた鳥居をくぐると高く聳える木立の中に参道が続きます。
井戸
鳥居の脇に井戸があり、その横には手水鉢が置かれていますが、現在は使われていません。
大神宮への参道
大神宮
参道を進んで右に入ると大神宮がありますが、いずれの境内社にも
祭神の記載が無く、祭神は不明です。
苗村神社東の鎮守の森は「東苗村古墳群」と称され、
現在は古墳時代後期(6世紀初めから7世紀の半ば頃)と推定される
円墳・八基が確認されています。
東本殿
鳥居をくぐって1分少々参道を進むと東本殿があります。
現在の建物は室町時代に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
東本殿前の石灯籠には永享4年(1432)の銘があり、
その頃に東本殿が建立されたと推定されています。
また、正徳4年(1714)には大半の部材を取替えて大修理が行われた資料が残され、
昭和33年(1958)の解体修理で復元・整備されました。

本殿を囲う瑞垣も無く、質素に見えますが、『延喜式神名帳』に見える
「長寸神社」は、日野町内の長寸神社と共に論社となっています。
東本殿には大国主命と素盞嗚尊が祀られています。
天神社
東本殿の左側に天神社があります。
佐々貴社
東本殿の右側に佐々貴社があります。
西本殿へ向かいます。
西本殿-鳥居
西本殿の社標は「苗村神社」となっています。
太鼓橋
参道を進むと太鼓橋が架かっていますが、渡ることはできません。
楼門
太鼓橋の正面に楼門があり、国の重要文化財に指定されています。
三間社一戸楼門入母屋造り茅葺で、応永年間(1394~1428)頃の造営と推定されています。
この地方で最大規模の和洋を基調とした遺構とされています。
掛け声の碑
楼門の右側に「雲生井戸掛大穂生 惣禮詣與下露(うんじょういどかけおおぼしょう 
それもよかろう)」と刻字された石碑が建立されています。
かっての苗村郷では溜井戸を造り、その水を汲み上げて稲作が行われ、
雲より生ずる恵みの雨を頼りとしていました。
惣(村中)が神に詣でて雨を願う「雨乞い」の文言で、水に感謝することを意味し、
往古から苗村郷の唱え言葉として伝承されてきました。
苗村郷三十三ヶ村の総社とする苗村神社では、祭礼の掛け声として
この言葉が唱えられ、五穀豊穣と家内安全が祈られています。
放生池
門をくぐると左側に龍神池があり、背後に見えるのは参集殿です。
龍神社
池の中島には龍神社があります。
子守りの像
門をくぐった右側には「子守りの像」が祀られています。
西本殿の祭神・國狹槌尊(くにのさつち の みこと)は子守り大明神と称され、
崇められてきました。
神輿庫
神輿庫は社伝によると、天文5年(1536)3月2日に第105代・後奈良天皇から
「正一位」の神位を授かった際、勅使の装束召替仮殿として建立されたものが
後に神輿庫として用いられました。
装束召替仮殿としての用途は限られた期間であり、当初から神輿庫あるいは
御供所などに再利用すること意図して建立されたと考えられ、
全国的に類例の少ない遺構として国の重要文化財に指定されています。

毎年4月20日に行われる苗村祭では9つの宮座から神馬渡御があり、
奉納神事のあと神馬10頭と神輿3基が行列して御旅所へと渡御します。
拝殿
拝殿
安和2年(969)3月28日、大和国吉野の金峯山から国狭槌尊の御神霊が、
神域の西方に遷座され、社殿が造営されました。
国狭槌尊は『日本書紀』では天地開闢で、国常立尊(くにのとこたち の みこと)の
次に生まれた神で、樹木や野菜を育てる土の神とされています。
この神を祀る社殿は、東本殿に対し西本殿と呼ばれました。
寛仁元年(1017)正月、朝廷に門松用の松苗を献上して以来、年々の吉例となり、
第68代・後一条天皇から苗村の称号を賜りました。
「長寸神社」は「苗村神社」と改められました。
本殿
西本殿は鎌倉時代の徳治3年(1308)に再建されたもので、国宝に指定されています。
三間社流造り、桧皮葺で、殿内の厨子も同時代の作と見られ、国宝に指定されています。
東本殿-2
祭神として那牟羅彦神(なむらひこのかみ)、那牟羅姫神(なむらひめのかみ)、
國狹槌尊(くにのさつち の みこと)が祀られています。
那牟羅彦神と那牟羅姫神の両神は、当地方に初めて工芸技術・産業を伝え広められた
産土の神で、夫婦和合・諸願成就の神として、古来より篤く尊崇された祖神とされています。
八幡社
八幡社
西本殿の玉垣内には左に八幡社、右に十禅師社があり、
共に室町時代に建立されたと考えられ、国の重要文化財に指定されています。
十禅師社
十禅師社は日吉 (ひえ) 山王七社権現の一社で、国常立尊から数えて
第10の神にあたる瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) を祀ると思われます。
綾之社
綾之社
恵比須社
恵比須社
また、八幡社の前に綾之社、十禅師社の前に恵比須社が祀られています。

画像を撮り忘れましたが、本殿玉垣の外、右側には護国社があります。
提灯
拝殿から南へ進むと参集殿があり、大きな提灯が吊るされています。
不動堂
境内の南側に不動堂があり、不動明王像が安置されています。
不動明王像
明治の神仏分離令以前まで苗村神社境内には「苗村宮庵室(なむらのみやあんしつ)」と
呼ばれる僧坊があり、そこに天文3年(1534)に護摩堂が建立され、
本尊として不動明王立像が安置されました。
不動明王像は像高96.9cm、鎌倉時代初期の作と考えられ、国の重要文化財に指定されています。

鏡神社へ向かいます。
続く

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