新池
長法寺から下り、新池まで戻ります。
池の対岸に見えるのは西山体育館です。
ジャブジャブ池
新池から山側に登って行くと西山公園があり、今は水が抜かれていますが
ジャブジャブ池があります。
貯水タンク
公園の先に、コンクリート製の大きな
貯水タンクが2基並んでいます。
道標
タンクを越えると三叉路に出て、道標が建っていますので、
子守勝手神社の方へ進みます。
鳥居
突き当たりに子守勝手神社の鳥居が建っています。
不動の水
鳥居をくぐり石段を登った途中に、元禄年間(1688~1704)に整備されたという
「お不動さんの水」が流れ落ちています。
観音寺
更に石段を登った所に観音寺があります。
観音寺は山号を粟生山(あおさん)と号する天台宗の寺院で、
京都洛西観音霊場の第八番札所ですが無住のため、
納経は第七番の光明寺で行います。
観音寺は奈良時代に行基により創建されたと伝わります。
室町時代初期の暦応3年(1340)に文献での初見があり、
江戸時代の『都名所図会』にも描かれています。

本尊の十一面観音菩薩像は行基作とも伝わりますが、
普段は光明寺に遷され、正月などの行事の際に戻されるそうです。
本殿-鳥居
観音寺の境内の右側に隣接して子守勝手神社があります。
奈良県の吉野川水源に当たる青根ヶ峰の山頂付近に金峯(きんぷ)神社(奥千本)・
山腹に吉野水分(みまくり)神社(上千本)・山麓に勝手神社(中千本)があります。
勝手神社は、吉野山の入口に位置することから「入り口・下手」を意味する
「勝手」を神社名にされたと思われます。
吉野の勝手明神は単体でも諸国の神社に勧請され、
全国28社の勝手神社の総本社となっています。
吉野水分神社祭神の子守明神は女神で、
男神である勝手明神と夫婦神とされています。

室町後期成立の能「嵐山」では、吉野から移植された嵐山の桜の
花守(はなもり)である老夫婦は実は勝手、子守両神の化身であり、
金峯神社の蔵王権現、
勝手明神、子守明神は三身一体であることを宣する筋立てが語られています。

子守勝手神社は、勝手明神、子守明神を合祀し、子守勝手大明神として祀られ、
粟生(あお)村の産土神とされてきました。
付近に溜池が多く見られることから、
水の配分の神様として、子孫繁栄の守護神として粟生の地に根付いているようです。

子守社の祭神は大切な用水を司る水分神(みずまくりかみ)、
勝手社は国土を開き、国家を護り、悪魔を降伏せしめる天忍穂耳尊
(あまのおしほみのきこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)などが祀られています。
干支の竹細工
本殿の前には、「粟生十人衆」によって手作りされた干支の竹細工が奉納されています。
粟生十人衆とは粟生の長老とは、一老から十老の年寄りから構成されています。
もみの木
境内に立つモミの木は、御神木として祀られ、長岡京市の保存樹木に指定されています。
観音池
鳥居まで下り、その先の三叉路を北へ進むと観音池があり、
背後に光明寺の屋根が見えます。

三叉路まで戻り、光明寺へ向かいます。
続く

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