鳥居
光明寺から丹波街道を北上し、「宇ノ山」の信号を左折して
郵便局の先で左折した先に大歳神社があります。
大歳神社は京都市西京区大原野灰方町にあり、
創建は奈良時代の養老2年(718)2月とされています。
平安時代の『延喜式』神名帳に記載され、
山城国乙訓郡の大社「大歳神社」に比定されています。
神楽殿
鳥居をくぐると左側に神楽殿があります。
大歳神社の例祭は10月21日、氏子祭りは10月の第3日曜日に行われ、
江戸時代の中期から金剛流家元による奉納舞が催されているようです。
神門
本殿前に神門があります。
本殿
現在の本殿は、長岡天満宮の本殿を昭和16年(1941)の
皇紀2600年事業で移築されました。
本殿の主祭神は大歳神で、向日神社の主祭神である御歳神(みとしのかみ)の
親神に当たります。

大歳神は須佐之男命と大山津見神の娘である神大市比売(かむおおいちひめ)
との間に生まれたとされ、宇迦之御魂神と兄弟神であり共に穀物神とされています。
また、大歳神は毎年正月に各家にやってくる来訪神であり、
門松は年神が来訪するための依代(よりしろ)で、鏡餅は供え物でした。
来訪神は地方によってはお歳徳(とんど)さんと呼ばれ、
正月の飾り物を15日に焼く「とんど焼き」の語源と関係がありそうです。
その他にも家を守ってくれる祖先の霊(祖霊)としての信仰や、
歳神のいる方向を「恵方」として縁起の良い方角とされています。

相殿には石作神、豊玉姫命が祀られています。
石作神は、代々石棺などを作る豪族の祖神であり、
火明命(ほあかりのみこと)の後裔です。
弥生時代の垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が亡くなった際に、
石棺を献上したことから石作大連公(いしづくりおおむらじのきみ)の姓を贈られました。
石作氏の衰微によって、大歳神社に合祀されるようになりました。
石作神社の旧鎮座地は、早尾神社とも、八幡宮社ともいわれています。

豊玉姫命は、海の女神で、古事記では「海幸彦・山幸彦」の神話
山幸彦と結ばれました。
山幸彦は『古事記』では火遠理命(ほおり の みこと)、『日本書紀』では
彦火火出見尊(ひこほほでみ の みこと)と記され、
瓊瓊杵尊(ににぎ の みこと)の第2子で、神武天皇の祖父とされています。
大神宮社
本殿の左奥に大神宮社があり、天照大御神が祀られています。
境内社
本殿の左側には手前から稲荷社、向日社、西ノ宮社春日社の四社相殿があります。
稲荷社は大歳神の兄弟神である宇迦之御魂神が祀られています。
向日社には大歳神の御子神である御歳神(みとしのかみ)が祀られています。

四社相殿の手前には、天満宮社があり、菅原道真が祀られています。
揺拝石
「揺拝石」と刻まれているのでしょうか?
背後に「栢森(かやのもり)縁起」が記されています。
大歳神社は別名「栢(かしわ)大明神」とも称され、境内には栢の木が繁茂し、
「栢の社」とも呼ばれ、京都市の史跡に指定されています。
現在も栢の苗木が植樹され、栢森の復活・維持が図られています。

西迎寺へ向かいます。
続く

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