勝林院から西へ下り、「三途の川」に架かる橋を渡った先に宝泉院があります。
先へ進むと山門があります。
宝泉院は嘉禎年間(1235~1238)に大原寺(勝林院)住職の住坊として創建されました。
当初は「了性坊」と称し、その後「宝泉坊」から正徳6年(1716)に
「宝泉院」へ改められました。
門をくぐると石仏が祀られています。
その先に法然上人の衣掛けの石があります。
かっては「鯖街道」の路傍にあったものが移されました。
建物の入口
廊下には輿が吊るされています。
廊下の南側に鶴亀の庭があります。
池は鶴が羽根を広げたように象られています。
築山は亀を表し、山茶花(さざんか)の古木が蓬莱山を表しています。
沙羅双樹の木は樹齢300年とされています。
廊下の北側に囲炉裏の間があります。
囲炉裏の間の庭園は「鹿野苑」と称されています。
現在の書院は文亀2年(1502)の再建とされています。
縁側の天井は「血天井」と称され、慶長5年(1600)の伏見城の戦いで
自刃して果てた徳川軍の血で染まったとされる床板が天井に張られています。
書院南側の庭園は「盤桓園(ばんかんえん)」と称されています。
盤桓園には「立ち去りがたい」という意味があり、書院の柱や鴨居を額に見立てて
鑑賞することから、「額縁庭園」とも呼ばれています。
樹齢約700年とされる「五葉の松」は近江富士を象ったとされ、
樹高11m、枝張り南北11.5m、東西14mで、樹冠は、ほぼ扇形とされていました。
しかし、中央の一番大きな幹とその左側が松喰い虫の被害で痛々しい姿となり、
数本の枝が伐採されていました。
書院の西側には手水鉢に水琴窟が作られ、「理智不二」と称されています。
「サヌカイト」と称される美しい音が出る石が使用された二連式の珍しい構造で、
密教の教理を音色で伝えるものとされています。
宝泉院の拝観料800円は茶菓付で、書院にて盤桓園を愛でながら
一服の抹茶を楽しむことが出来ます。
書院を後にして宝楽園へ向かいます。
宝楽園は、仏神岩組雲海流水回遊花庭で、
平成17年(2005)に庭園作家の園治(えんや)により造園されました。
地球太古の創世に遡り、その原初の海を想像して作庭されています。
白川砂は海流水が、奥に見える石は蓬莱山が表されています。
手前の石橋は、仙人が住む世界の橋なので途切れています?。
奥に見えるのが「龍門瀑(りゅうもんばく)」で、石橋の下に見えるのが
「水分石(みくまりいし)」です。
凡人が渡れる石橋も用意されています。
宝船石
参道は奥へ続きます。
宝楽園には台付花桃、各種桜や梅、など花を咲かせる木や楓などの
紅葉が美しい木などが植栽されていますが、今はまだ緑のみです。
三尊石が配された島があります。
阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊石は念珠石(海石)が用いられ、
来迎の姿が表されています。
島の両側には盛砂されて、神聖な島であることが表されています。
手水鉢
手水で身を清めて三尊を拝するためのものと思われます。
鎮守社も祀られています。
実行院へ向かいます。
続く
にほんブログ村
コメント