実光院は、長和2年(1013)に寂源が勝林院を創建した際に、学僧の住坊として
現在の大原陵の地に建立されたと伝わります。
応永年間(1394~1428)に宗信法印により復興され、大正8年(1919)に
勝林院の塔頭で無住となっていた普賢院と理覚院を統合して
大原陵向かいの現在地に移転しました。
宮内庁の命令によるもので、大原陵は宮内庁の管理となりました。
本尊は地蔵菩薩坐像で、不動明王像と毘沙門天像が脇侍として安置されています。
右側の客殿は大正10年(1921)に、普賢院の跡地に建立されました。
客殿の床の間には、声明関係資料や楽器類が展示され、
バチが付属するものは自由に鳴らして実際に音色を確かめることができます。
サヌカイトの石盤は声明を練習するための楽器です。
編鐘は中国の周の時代(紀元前1046年頃~紀元前256年)に雅楽で用いられていた
楽器で、音律の基準音を定めるために用いられました。
中国の戦国時代(紀元前476-403年と諸説あり~紀元前221年)には、
16の鐘を連ねた現在の形となりました。
調律が困難なために日本では制作されませんでしたが、
昭和58年(1983)に南条一雄氏によって復元されたものが展示されています。
客殿の南側の庭園は、江戸時代後期に作庭されたもので、
普賢院から引き継がれています。
律川(りつせん)から水が引かれた「心字池」を中心とする池泉回遊式庭園で、
「契心園(けいしんえん)」と称されています。
右端に見える松の木は鶴、池の島は亀が表されています。
西側の庭園は理覚院の跡地で、荒廃していた所を統合後に歴代住職によって
作庭されました。
大原の山並みが借景とされているため、庭木を低く仕立てた開放的な庭園で、
多くの山野草が地植えされているため四季折々の花が楽しめます。
境内の地蔵菩薩像
境内の北側にある茶室・理覚庵は昭和50年(1975)に建立されました。
その内部
待合
大原念仏寺へ向かいます。
続く
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