カテゴリ:京都市 > 京都市南区

山門
観音寺から西へバイクで5分余り走った所に万福寺があります。
万福寺は山号を 慈眼山と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で
京都洛西観音霊場の第17番札所です。
本堂
本堂
15歳で最澄に師事した円仁がこの地を訪れた際に、村人からの“おもてなし”に感謝し、
聖観音像を刻み一宇を建立したのが万福寺の始まりとされています。
本尊は聖観菩薩で、度々の火災にも難を逃れてきたことから
「火除け観音」と呼ばれ、信仰を集めています。
本堂-太鼓
民家のようですが、太鼓と半鐘が吊るされ、本堂の面目が保たれているような気がします。
住職が亡くなられたとのことで、納経は18番の西圓寺で行うようです。

西圓寺へ向かいます。
続く

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山門
万福寺から国道171号線まで戻り、国道171号線を北上して「久世殿城中」の信号を
右折して東に進み、その先で北上した先に西圓寺があります。
西圓寺は山号を朝日山と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で
京都洛西観音霊場の第18番札所です。
本堂
本堂
西圓寺は文化5年(1808)の火災で記録が焼失し、
創建された年代やその後の変遷は不明です。
本尊の阿弥陀如来、札所本尊の十一面観音菩薩は火災からも焼失を免れました。

安禅寺へ向かいます。
続く

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山門
西圓寺から桂川の堤防を北上し、国道171号線を左折してその先の
171号線が延長する道路を右折した先に安禅寺があります。
但し、車道からの細い通路にバイクを止め、境内に入った南側に山門があります。
安禅寺は山号を栖雲山(せいうんざん)と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で
京都洛西観音霊場の番外札所です。
地蔵堂
山門前の地蔵堂
本堂
本堂及び庫裏
安禅寺は室町時代に第102代・後花園天皇の第一皇女・観心女王(1434~1491)により、
京都御所内に創建されたと伝わります。
その後、江戸時代の元禄年間(1677~1703)に義空栖雲により現在地で中興され、
山号を「栖雲山」と号するようになりました。
本尊は阿弥陀如来です。
観音堂への参道
観音堂への参道
観音堂
観音堂-堂内
観音堂
観音堂には西国三十三所観音霊場のそれぞれの本尊が安置されています。
かって、当地は桂川の氾濫により度々被災しました。
被災した農民達は観音菩薩に救いを求め、各地で観音講が結成されました。
西国巡礼に先立ち、安禅寺で道中の“安全”が祈願されました。

光福寺へ向かいます。
続く

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鳥居
神仏習合時代を偲ばせる鳥居
安禅寺から南へ進んで府道201号線を西に進み、新幹線をくぐって次の丁字路を
北上した先に蔵王堂光福寺があります。
山号を醫(医)王山と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で、
京都洛西観音霊場の第19番札所です。
参道の桜は吉野との縁により植えられています。
仁王門
仁王門
天歴9年(954)、第62代・村上天皇の勅願を受けた浄蔵貴所(じょうそうきしょ)により
蔵王堂光福寺が創建されました。
浄蔵貴所は金峯山で蔵王権現を感得し、村上天皇の命を受けて
平安京の裏鬼門を守護する地を求めて桂川を遡っていました。
当地にさしかかった時、西の一村が光り輝き、背負っていた蔵王権現が
急に重くなって動けなくなりました。
「この地は薬師、弁財天女の地主なり」とのお告げがあり、蔵王権現有縁の地とされました。
寺号は弁財天女の異名「福宝光明女」により「光福寺」、
山号は薬師如来の別名「大医王仏」から「医王山」と定められました。
クスノキ
境内には京都市の保存樹に指定されているクスノキなど、
3本のクスノキが境内を取り囲むように聳えています。
「蔵王の森」と呼ばれ、京の七つの森の一つに数えられていました。
地蔵堂
地蔵堂
拝殿
拝殿
毎年8月31日の八朔祭では、国の重要無形民俗文化財に指定されている
久世六斎念仏が行われています。
六斎念仏は、平安時代に空也上人(くうやしょうにん)が念仏を広めるために行った
踊念仏が始まりとされ、日本各地に広まりました。
「六斎」というのも元々は仏教用語で、毎月8日、14日、15日、23日、29日、末日は
特に厳しく念仏のお勤めをしなければならないという、
六斎日(ろくさいにち)」の考え方からきているとされています。
六斎念仏を始めるに当たって、多くの場合は講が形成され、
各講は管轄の寺院より免許を受けるのが決まりとなっていました。
京都では干菜寺(ほしなでら=干菜山光福寺:京都市左京区田中上柳町)と、
空也堂(紫雲山極楽院光勝寺:京都市中京区亀屋町)で、
「干菜寺系六斎」「空也堂系六斎」と分類されることもあります。
「空也堂系六斎」は、使用する楽器に笛を取り入れ、念仏から離れた
娯楽要素の強い曲目が演奏されることから、
「六斎念仏踊り」とも「芸能六斎」とも呼ばれます。
京都では国の重要無形民俗文化財に指定されている保存会が15あり、
ほとんどが「芸能六斎」を演じています。
一方、「干菜寺系六斎」は芸能化を認めなかったとされ、
西方寺円覚寺六波羅蜜寺で伝承されています。
蔵王堂光福寺は、室町時代から江戸時代を通じて近郷民衆の諸事集合の
拠点となっていたことから久世六斎念仏が発祥したと考えられています。
蔵王堂
蔵王堂
中央に蔵王権現、向かって右側に役行者と浄蔵貴所像、
左側に観世音菩薩と地蔵菩薩像が安置されています。
蔵王堂光福寺は、創建当初は四宗兼学でしたが、寺の周囲が
教王護国寺(東寺)の領地であったことから東寺の支配下となり、
近世以降は天台宗の三鈷寺の末寺となりました。
その後江戸時代に復興され、西山浄土宗に改宗されたと伝わります。
子守勝手神社
子守勝手神社
弁天堂
弁天堂
まず弁天堂に参拝し、次に薬師堂、子守勝手神社、
そして蔵王堂へ参拝するのが順序とされています。
不動堂
蔵王堂の左側にある不動堂には大聖不動明王が祀られています。
不動堂-鬼瓦
不動堂の前には鬼瓦などが展示されていますが、詳細は不明です。
山門
山門
本堂
本堂

称讃寺へ向かいます。
続く

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