鳥居
国道162号線を高雄から市内方面へと走った左側(東側)に平岡八幡宮があります。
明治の神仏分離令で神護寺から独立しました。
旧社格は村社で、梅ヶ畑一帯の産土神として祀られ、
「梅ヶ畑八幡宮」とも呼ばれています。
拝殿-1
拝殿
文政9年(1826)に第120代・仁孝天皇の命により現在の社殿が再建されました。
僧形八幡大菩薩
大同4年(809)に空海が神護寺の鎮守社として、宇佐八幡宮から勧請され、
自ら描いた僧形八幡神像をご神体として祀ったのが始まりとされています。
本殿-1
本殿-その1
山城国最古の八幡宮とされていましたが、平安時代末期には神護寺が荒廃したのに伴い、
八幡宮も荒廃し、一時廃絶しました。
建久元年(1190)に神護寺を再興した文覚(もんがく:1139~1203)により、
八幡宮も復興されました。
本殿-2
本殿-その2
貞応元年(1220)には文覚の高弟・上覚により、北から現在地へと遷座されました。
応永14年(1407)に社殿が焼失した際は、第3代将軍・足利義満により再建されました。
義満の夫人が高雄へ紅葉狩りに訪れた際に荒れ果てた八幡宮の姿に
心を痛めたことが、社殿を再建したきっかけとなったという伝承が残されています。
本殿-3
本殿-その3
現在の本殿は、市内に現存する数少ない切妻造本殿の一つであり、
平成12年(2000)に市の有形文化財に指定されました。
花の天井
本殿内陣の天井には極彩色で44枚の花絵が、内陣長押しには紅白の熨斗(のし)に
包まれた梅や椿が描かれ、春と秋には有料(800円)で特別公開が行われているようです。
足利義満の御所・室町第が「花の御所」と呼ばれ、自らも花を愛した事から、
これらの天井画は、義満の再建時に描かれていたと推定され、
文政9年(1826)の再建時にもそれに倣い描かれました。

現在は祭神として誉田別命(ほむたわけのみこと)が祀られています。
例祭は毎年、10月上旬の日曜日に行われ、当日催される「三役相撲」は
市の無形民俗文化財に指定されています。
「三役相撲」は地元の子供と大人が取り組み、神の加護を受けた
子供が勝つという古くから伝わる神事です。
安産・子宝の樹
本殿の玉垣脇に植栽されている木は「安産・子宝の樹」と称され、
「樹をなでて御祈願ください」と記されています。
山の神石
山の神石は江戸時代の『都名所図会』に描かれていた神殿傍らの大石で、
里人は山神として怖れたと伝わります。
現在の山の神石はさざれ石で、獅子の姿に似ていると言われていますが、
けして大石ではありません。
やぶ椿
やぶ椿は、ツバキ科ツバキ属に属する日本固有の常緑樹で、
日本最古の観賞用花木あるいは代表的な茶花とされています。
室町時代(1336~1573)には既にこの場所にあったとされ、
樹齢は300年とも500年とも伝わり、境内の椿では最も古い木とされています。
日本武尊(やまとたける)の父である第12代・景行天皇(在位:71~130)は、
即位12年(82)に現在の南九州に居住していたとされる熊襲(くまそ)征伐のために
九州に巡幸し、まず、豊後国の碩田(おおきた=大分県大分市)で、
天皇に背く土蜘蛛を退治しました。
退治の際、特に勇猛な兵士を選んで与えられたのが椿の木槌で、椿は邪気を払うとされ、
平安時代から椿は長寿・招福・吉兆の木として愛されるようになりました。
白玉椿伝説
平岡八幡宮の故事に、「願い事をすると白玉椿(形の良い白椿)が一夜で開花し、
願い事が成就した」との記録があり、「白玉椿伝説」と呼ばれています。
本殿の内陣長押しには白玉椿が描かれています。
為朝の試し石
為朝の試し石は、大男(身長2m10cm)で弓を引くために生まれたような体つきを
していたと伝わる源為朝(みなもと の ためとも:1139~1170?)が
射貫いたとされる石です。
源為朝は、頼朝・義経兄弟の叔父にあたり、気性が荒く、
父に持て余され九州へ追放されました。
九州では手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗りました。
保元元年(1156)の保元の乱(ほうげんのらん)では、父と共に崇徳上皇方に
参戦したため、敗れて伊豆大島に流されました。
しかしそこでも国司に従わず、追討を受け自害しました。

試し石には、後に「京鹿子」を創刊した鈴鹿野風呂(すずか のぶろ:1887~1971)の
句が刻まれました。
「眞開らきの 龍胆(りんどう)玉の 如き晴れ」
その左側には佐々木一水の句碑「啄木鳥(きつつき)の 天鼓の響き 山桜」が
建っています。
武内社
竹内社には武内宿禰(たけのうち の すくね)が祀られています。
武内宿禰は第12代・景行天皇から第16代・仁徳天皇まで5代の天皇に仕えた忠臣とされ、
神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐の後に、麛坂皇子(かごさかのおうじ)・
忍熊皇子(おしくまのおうじ)が起こした反乱から応神天皇を護り、
神功皇后に協力して乱を平定したとされています。
貴布禰社
貴布禰社には貴船神社の祭神・高龗神(たかおかみのかみ)では無く、
罔象女神(みづはのめのかみ)が祀られています。
地域の貴重な水源を護る神として、平岡八幡宮の創建期より鎮座されていました。
若宮社
若宮の祭神も誉田別命(ほむたわけのみこと)で、巫女を通じて怨霊の祟りを
封じるために勧請され、鎌倉時代(1185~1333)には若宮社の前に
専用の参道と鳥居がありました。
神庫
神庫
地主社
地主社(じぬししゃ)には大地主大神(おおどこぬしのみこと)が祀られ、
古くは地蔵谷に鎮座していました。
土地を護る神として信仰を集め、現在でも最初に詣でる習わしがあります。
ツブラジイ-1
ツブラジイ-2
御神木のツブラジイは、樹齢600年と伝わり、高さ約15m、幹回り約4.8mで、
幹回りでは市内最大とされています。

三寶寺(さんぽうじ)へ向かいます。
続く

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