美術館別館-北
平安神宮から西へ進むと京都市美術館の別館があります。
美術館別館-南
南側に入口がありますが、現在は新型コロナの影響で臨時休館となっています。
昭和5年(1930)に建立された京都市公会堂東館で、
昭和35年(1960)からは京都会館別館として使用されてきました。
その後、平成12年(2000)に内部が全面改修され、京都市美術館別館となりました。
美術館-1
神宮道へ戻り、南へ進むと東側に京都市美術館があります。
昭和8年(1933)に開館した、公立美術館としては東京都美術館に次ぎ
日本で二番目に古く、昭和3年(1928)に京都で行われた昭和天皇即位の礼を記念して
計画が始まったため、当初は「大礼記念京都美術館」と呼ばれていました。
敗戦後に駐留軍により接収され、昭和27年(1952)の接収解除時に
「京都市美術館」と改称されました。
美術館-ザ・トライアングル
平成29年(2017)4月10日から施設リニューアルのため休館し、令和元年(2019)10月に
竣工して令和2年(2020)3月21日に開館を予定されていましたが、新型コロナの影響で
5月26日まで延期されました。
また、京都市はリニューアルの費用捻出のため命名権の募集を実施し、
これに応募した伏見区に本社を置く京セラに売却されました。
再オープン時から50年契約の総額は50億円で、
その間は「京都市京セラ美術館」の名称が用いられます。
北西のガラス張りのエントランスは「ザ・トライアングル」と称されています。
空にかける階段
南西隅には山形県鶴岡市の出身で、京都市立美術大学彫刻科
(現・京都市立芸術大学)で学んだ彫刻家・富樫実(1931~2019)の作品
「空にかける階段'88-Ⅱ」が展示されています。
大鳥居
その西側に平安神宮の大鳥居が建っています。
昭和3年(1928)に京都で行われた昭和天皇即位の礼を記念して
昭和4年(1929)に建立されました。
高さは24.4mで、建立当時は日本一の高さを誇りました。
慶流橋
南側の疎水に架かる「慶流橋」は、明治28年(1895)3月15日に平安遷都1100年を
記念して開催された第四回・内国勧業博覧会会場の正門の橋として
同年4月1日に架橋されました。
近代美術館
橋の北詰めの西側に京都国立近代美術館があります。
昭和38年(1963)に 京都市勧業館別館を改装し、
東京の「国立近代美術館京都分館」として開館しました。
昭和42年(1967)に東京国立近代美術館から独立して「京都国立近代美術館」となり、
昭和61年(1986)に現在の建物が竣工しました。
府立図書館
北側に京都府立図書館があります。
明治42年(1909)に武田五一の設計によりレンガ造り3階建てで建設されました。
平成7年(1995)の阪神・淡路大震災で建物に深刻な被害が生じ、平成12年(2000)に
図書館が新築されましたが、前面部分は文化財的価値を考えて保存されました。
二宮尊徳
図書館の北東側には二宮尊徳の像が建立されています。
京都書籍雑誌商組合により、昭和15年(1940)11月に
紀元2600年奉祝記念事業として建立されました。
京都市電
その北側に旧京都市電の車両が保存されています。
明治28年(1895)に京都電気鉄道が、日本初となる一般営業用電車での路線を
伏見から京都駅前付近まで開業しました。
その後、同年開催の第四回・内国勧業博覧会の交通手段として
岡崎まで延伸されました。
明治45年(1912)から京都市も独自に路線建設がなされ、大正7年(1918)に
京都電気鉄道は京都市に買収されました。
「岡崎公園前」の電停があった東山線も明治45年(1912)に開業し、
昭和53年(1978)10月1日に廃止されました。
保存されている車両は昭和43年(1968)から同53年(1978)にかけて70両製造された
1800形の1860号です。
ワグネルの碑
西へ進むとドクトル・ゴットフリード・ワグネルの碑が建っています。
ドイツの数学物理学博士で、アメリカの企業が長崎で
石鹸工場を設立する際に来日しました。
しかし、工場は軌道に乗らずに廃止され、その後は佐賀藩に雇われて
明治2年(1870)年4月より8月にかけて有田町で窯業の技術指導にあたりました。
科学的手法による伊万里焼(有田焼)の近代化に影響を与えましたが、
同年11月頃には大学南校(現在の東京大学)のドイツ語教師として東京に移りました。
明治6年(1873)に開催されたウィーン万国博覧会では事務局御用掛となり、
博覧会への出品物、特に陶磁器などの選定や技術指導、
目録・説明の作成を行いました。
明治2年(1870)から明治14年まで続いた舎密局(せいみきょく)では京都陶磁器、
七宝、ガラスの製法などを指導し、京都の七宝に鮮明な色彩を導入しました。
この碑は、その功績を顕彰したものです。
勧業館
二条通まで戻り、西へ進むと南側に京都最大のイベント会場・
京都市勧業館があります。
京都では明治4年(1871)に日本最初の博覧会が西本願寺で行われました。
これを機に京都府と民間によって京都博覧会社が創設され、翌明治5年(1872)に
西本願寺・建仁寺・知恩院を会場として第一回京都博覧会が開催されました。
京都博覧会社(後に京都博覧協会と改称)主催の京都博覧会は昭和3年(1928)まで
ほぼ毎年開催され、第二回~第九回まで
京都御苑内の仙洞御所などが会場となりました。
明治14年(1881)の第十回から京都御苑内の東南の一画に博覧会会場が常設されました。
明治30年(1897)に京都博覧会創設25周年記念として岡崎に博覧会会場が新設され、
明治44年(1911)に現在の京都市美術館に敷地に移築されました。
第一勧業館として使用されていましたが、
美術館建設のため昭和6年(1913)に撤去されました。
勧業館-モニュメント
大正2年(1913)に現在の敷地に第二勧業館が建設されましたが、
昭和9年(1934)の室戸台風で倒壊し、昭和12年(1937)に再建されました。
平成3年(1991)11月30日に閉鎖されて建て替えられ、平安建都1200年記念事業の
一環として平成8年(1996)に現在の建物が竣工し、
公募によって「みやこめっせ」が愛称に決定されました。
源氏物語
敷地には源氏物語の像が建立されています。
平成20年(2008)の「源氏物語千年紀」に、京都府石材業協同組合結成30周年記念事業の
一環として、石青会から京都市に寄贈されたそうです。
碑には『源氏物語』第十二帖「須摩の巻」で詠まれた贈答歌が記されています。
「身はかくて さすらへぬとも 君があたり 去らぬ鏡の かけは離れじ」
(私の身はたとえ都を離れ、はるかな地をさまよったとしても、
この鏡に映った私の影はあなたのそばを離れることは決してありません)
との光源氏の歌に対し、紫の上は下記のように詠みました。
「別れても 影だに止まる ものならば 鏡を見ても 慰めてまし」
(たとえお別れしても、あなたの影がとどまっているのでしたら、
その鏡を見てお会いできない寂しさを慰めていることにいたします)
延勝寺跡
北西側には六勝寺の一つ、延勝寺跡の碑が建っています。
北西側には六勝寺の一つ、延勝寺跡の碑が建っています。
延勝寺は第76代・近衛天皇(在位:1142~1155)の勅願寺で、
久安5年(1149)に落慶供養が行われました。
当地からの東大路通の西端付近まで、東西二町、南北一町の広大な寺域を
有していましたが、応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失後に廃絶しました。
京都会館
北側には京都会館があります。
京都府内で唯一2,000席の座席を越えるコンサートホールで、
昭和35年(1960)に開館しました。
施設の老朽化に伴い、平成24年(2012)3月に閉鎖され、
約110億円を投じて改修(一部は改築)されました。
平成28年(2016)1月10日にリニューアルオープンし、ロームに命名権が売却されて
「ロームシアター京都」と称されるようになりました。
平和の女神
西南の駐車場への入口の脇に建つ「平和の女神」の像。
昭和60年(1985)に京都会館の正面に建てられましたが、
改修後に現在地へ移されました。

妙傳寺へ向かいます。
続く
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