仁王門
12:30に城崎ロープウェイの駐車場に着き、駐車場から北へ進んだ所に江戸時代の
明和年間(1764~1772)に再建された仁王門があります。
画像はありませんが、楼上に掲げられている扁額「末代山」は、能書家として知られる
後西天皇の皇女・理豊女王(りほうじょおう)の筆によるものです。
理豊女王は天和3年(1683)に宝鏡寺に入り、理忠女王のもとで得度して元禄2年(1689)に
宝鏡寺22世門跡となり、寺勢の興隆につとめ宝鏡寺中興の祖ともされています。
仁王像-左
仁王像-右
門の左右に安置されている仁王像は運慶・湛慶作と伝わり、
兵庫県の文化財に指定されています。
十王堂
門をくぐった右側に延宝9年(1681)に建立された十王堂があります。
十王堂-堂内
堂内には中央に閻魔大王と、その両側に閻魔大王を含めて地獄で亡者の審判を行う10尊、
及び蓮華王、祇園王、法界王を加えた13躯の石像が祀られています。
聖天堂
左側の聖天堂には大聖歓喜天が本尊として祀られていますが、
右側に隣接する建物の詳細は不明です。
金毘羅寺
奥に進んだ所に金毘羅寺がありますが、このお堂一つのようです。
金毘羅大権現
金毘羅大権現が本尊として祀られています。
薬師堂
参道の左側に文化年間(1804~1817)に再建された薬師堂があります。
総欅造り、四間四方の宝形造りで四方縁勾欄付の建物で、
国の有形文化財に登録されています。
本尊は薬師如来で、日光・月光の両菩薩を脇侍とし、
その周囲を十二神将等で守護されています。
西国薬師四十九霊場・第29番の札所本尊であり、城崎温泉とその入湯客を守護する
薬師如来として信仰を集めています。
薬師の湯
薬師堂の向かいには、薬師湯の湯飲み場があります。
本堂への石段
本堂へは城崎ロープウェイの中間駅(温泉寺駅)で下車するか、参道の450段の石段を上ります。
石段の右側の紐は本堂へと繋がれ、麓からでも本尊と結ばれることができます。
本堂
薬師堂から約15分登った所に至徳年間(1384~87)に再建された本堂があり、
国の重要文化財に指定されています。
5間4面で和様・禅宗様・大仏様が折衷された建物で、
本尊として十一面観世音菩薩立像が安置されています。
大和・長谷寺の観音像と同木同作とされ、国の重要文化財に指定されています。
33年毎に開帳される秘仏とされ、平成30年(2018)4月23日から3年間開帳されています。
また、毎年4月23・24日の開山忌(温泉まつり)には特別開帳されます。
本尊を祀る厨子の周囲には、平安時代後期の仏像に共通する特色を持ち、
県の文化財に指定されている四天王像が安置されています。
鐘楼-1
鐘楼-2
本堂の左側の石段を上った所に万治元年(1658)に建立された鐘楼があります。
多宝塔-1
更にその先の石段上の正面には明和4年(1767)に再建された多宝塔があり、
豊岡市の文化財に指定されています。
多宝塔-2
南北朝時代の創建で、その時代の様式を踏襲し、屋根がやや大きめに再建されています。
塔内には金剛界の大日如来坐像が安置されています。
開山堂
多宝塔の右側に開山堂があります。
開山堂-堂内
堂内には開山・道智上人の墓碑が祀られています。
温泉寺は養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人が、天平10年(738)に
大和・長谷寺と同木同作の十一面観世音菩薩立像を得て、寺を開創したと伝わります。
稽文会(けい もんえ)と弟の稽主勲(けい しゅくん)は長谷寺の観音像を刻み、
もう一躯の観音像を造ろうとしたのですが完成せず、海に投じました。
稽文会が湯治でこの地を訪れ、円山川河口近くの田結庄で漂着しているこの像を見つけました。
仏縁の不思議さを感じた稽文会は、像を完成させ、
道智上人を迎えて温泉寺を開創したと伝わります。
第45代・聖武天皇から城崎温泉の守護寺として、
「末代山温泉寺」の山号と寺号を賜ったとされています。

多宝塔の左側から山頂への登山道が続き、山頂には奥之院がありますが、
今回は時間の都合で見合わせました。
本坊
本堂まで戻り、本堂の先に本坊があります。
本坊・持仏堂には空海作と伝わり、重要文化財に指定されている
千手観音立像が安置されています。
中間駅
本坊前にロープウェイの中間駅がありますが、当日は運休中でした。
本坊前からの展望
駅前からは城崎の温泉街が少しだけ見えます。

下山して温泉で汗を流したい気持ちもありますが、温泉街を走り抜け、玄武洞へ向かいます。
続く