外環に面した入口
外環状線のJR奈良線の高架を南側へくぐった先に大善寺があります。
大善寺は山号を法雲山、院号を浄妙院と称する浄土宗の寺院で、
京都十三仏霊場5番、京都六地蔵1番の札所になっています。
鐘楼
外環状線に面した東側から入ると、左側に鐘楼があります。
鐘楼は江戸時代中期の寛文5年(1665)に東福門院により寄進されました。
東福門院は後水尾天皇の中宮で、明正天皇の生母となりますが、
その安産祈願として鐘楼が寄進されました。
本堂
参道の右側に本堂があり、堂内には本尊の阿弥陀如来像が安置されています。
本堂は江戸時代の宝永年間(1704~1711)に京都山科にある
勧修寺の寝殿が移築されました。
本堂前
本堂前
大善寺は、奈良時代の慶雲2年(705)に藤原鎌足の子・定慧(じょうえ)によって開山、
創建され法雲寺と称したと伝わります。
また、平安時代の仁寿2年(852)に小野篁(おののたかむら)が一本の桜樹から
6体の地蔵菩薩像を刻み「六地蔵」と称したのが起源ともいわれています。
平安時代には園城寺(三井寺)の智証大師・円珍により伽藍の修造が行われ、
天台宗に改宗しました。
鎌倉時代~室町時代には度々の兵火により焼失し、応仁・文明の乱後には衰退しました。
本堂-扁額
本堂に掛かる扁額
その後、戦国時代の永禄年間(1558~1570)に頓誉琳公(とんよりんこう)によって
中興され、浄土宗に改宗されました。
江戸時代の元禄16年(1703)にも焼失しましたが、翌宝永元年(1704)に勧修寺の
伽藍が移築され再建されました。
地蔵堂
参道に戻り、西側の正面に地蔵堂があります。
保元年間(1156~1159)に都で疫病が発生したため、後白河上皇の勅命により
平清盛が西光法師に命じて京都の街道の入り口、六ヶ所に六角堂を建て一体づつ、
地蔵菩薩像を安置しました。
地蔵堂-堂内
大善寺は伏見街道から奈良街道口に当たり、大善寺の地蔵尊が根本像となりました。
この地、六地蔵の地名のもとにもなっています。
観音堂
地蔵堂の右側に観音堂があり、千手観世音菩薩が祀られています。
山門
境内の南側に山門があります。

明治天皇陵へ向かいます。
続く

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