山門
烏丸今出川から烏丸通を北へ進んだ二筋目の北西角に大聖寺があります。
山号を「岳松山」と号し、花の御所の跡地の一部にあって「御寺御所」とも称する、
天皇家ゆかりの尼門跡寺院で、臨済宗系の単立です。
神仏霊場・第98番札所ですが、普段は非公開で、御朱印の授与のみ可能です。

第3代将軍・足利義満の正室・日野業子(ひの なりこ)の叔母であり、
北朝初代・光厳天皇(1313~1364)の妃であった日野宣子(のぶこ:1326~1382)は、
貞治7年(1368)に光厳天皇の法事が天龍寺で行われた際、
春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を導師として落飾(出家)しました。
出家後「無相定円」と称し、義満に招かれ花の御所内の岡松殿に住しました。
永徳2年(1382)、無相定円が亡くなった後、西園寺実衡(さいおんじ さねひら)の
孫である玉厳悟心尼(ぎょくがんごしんに:生没年不詳)を開基として、
岡松殿を寺にしたのが大聖寺です。
寺号は無相定円の法名「大聖寺殿無相定円禅定尼」に因み、
山号の岳松山は岡松殿に由来します。

室町時代、北朝最後の第6代・後小松天皇の内親王が入寺して以降、
皇女が入寺するようになりました。
寺はその後、永享2年(1430)に長谷(現・左京区岩倉長谷町)に移転し、
さらに文明11年(1479)には毘沙門町(現・上京区上立売通寺町西入る)に
移転しましたが、延宝元年(1673)に焼失しました。
第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう/在位:1557~1586)の皇女が入寺した際、
天皇から尼寺第一位の綸旨を得、尼門跡寺院となっています。
江戸時代の元禄10年(1697)に現在地で大聖寺が再興されました。
現在地には聖護院がありましたが、延宝3年(1675)に焼失し、
翌年に現在地へ移転して跡地が残されていました。
その後、天巌永皎(てんがん えいこう:1733~1808)が住持職の時に
「御寺御所」の称号を授かり、天巌永皎は大聖寺中興の祖とされました。

山門は江戸時代後期(1751~1830)に建立されたものを、大正11年(1922)に
移築したもので、国の登録有形文化財に指定されています。
花山院慈薫の歌碑
門を入った左側に第27世・花山院慈薫(かさのいん じくん:1910~2006)の
歌碑が建立されています。
「九品仏 慈悲の眼の変らねば いづれの御手に 吾はすがらむ」
背後の高塀は国の登録有形文化財に指定されています。
表門から玄関への通路と境内前庭を区切り、玄関東南隅から南へ36m延び、
南面築地塀へと続いています。
玄関
宮御殿の東側にある玄関は大正12年(1923)に建立されたもので、
国の登録有形文化財に指定されています。
桁行15m、梁間5,3m、入母屋造桟瓦葺で、東面に唐破風造銅板葺の
大きな車寄せがあります。
南から応接室、玄関、内玄関、納戸を並べ、背面に廊下で本堂と繋がれています。
本堂は第123代・大正天皇の妃・貞明皇后の御殿であったものを、
昭和18年(1943)に東京の青山御所から移築されました。
本尊の釈迦如来像や地蔵菩薩、観音像が安置されています。
書院は「宮御殿」とも呼ばれ、第119代・光格天皇の皇女・普明浄院宮(1820~1830)が
入寺の際、宮中から移築されました。
普明浄院宮は幕末に門主を務めた24代の内親王の最後となりました。

本堂前庭の枯山水式庭園は、江戸時代中期の元禄10年(1697)に
第109代・明正天皇の「河原の御殿」から形見として樹木や石が
下賜されて作庭されました。
大聖寺庭園は京都市の名勝に指定されています。
冷泉家住宅
今出川通まで戻り、東へ進むと通りに面して同志社大学の一画に
冷泉家住宅が残されています。
大正6年(1917)に今出川通が拡張され、敷地は縮小されましたが、現在の建物は
寛政2年(1790)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。

冷泉家(れいぜいけ)は、冷泉為相(れいぜい ためすけ:1263~1328)を祖とし、
平安京の冷泉小路が家名の由来となりました。
為相の祖父は藤原定家(ふじわら の さだいえ/ていか:1162~1241)で、定家は
父・俊成(としなり:1114~1204)と共に和歌の家としての地位を確立しました。
第3代当主・冷泉為尹(れいぜい ためまさ:1361~1417)子の代から
上冷泉家と下冷泉家に分かれ、戦国時代には上冷泉家は地方に下向していました。
豊臣秀吉が現在の京都御苑周辺に公家町を形成しましたが、その成立後に
上冷泉家が都へ戻ることを許されたため、公家町内に屋敷を構える事が出来ず、
現在地に徳川家康から敷地を贈られ、屋敷を構えました。
明治維新で多くの公家が東京へ移住し、京都御苑内にあった下冷泉家や
他の公家屋敷は取り壊されましたが、上冷泉家は京都で住み続けたため、残されました。
上冷泉家第24代当主・冷泉為任(れいぜい ためとう:1914~1986)により
昭和56年(1981)に冷泉家時雨亭文庫が設立され、冷泉家住宅や昔ながらの
年中行事などの保持が行われています。
通常は非公開ですが、「非公開文化財特別拝観」の一環として、
毎年秋に4日間に限って公開されています。

相国寺へ向かいます。
続く
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