尾形光琳の顕彰碑-門
妙顕寺の寿福院塔の東を北へ進んだ東側に尾形光琳の顕彰碑の門があります。
尾形光琳の顕彰碑
以前に尾形光琳の墓碑があった場所で、平成27年(2015)の琳派400年と
尾形光琳300回忌の際に、この顕彰碑が建立されました。
山門と本堂
その北側に善行院(ぜんぎょういん)があります。
室町時代の文正元年(1466)、恵眼院日冨上人によって創建されたと伝わります。
天明8年(1788)の大火で妙顕寺本山と共に善行院も類焼し、焼失以前から
ほぼ現在の位置にあったと推定されています。
現在の本堂や庫裡などは平成15年(2003)の宗祖立教開宗七五〇年記念事業として
現代風な建物に建て替えられました。
日蓮聖人像
本堂前には日蓮聖人像が祀られています。
妙見堂-鳥居
北側の二階に、平成15年(2003)に建て替えられた妙見宮があり、
洛陽十二支妙見・子(北)の札所で、「西陣の妙見宮」と呼ばれています。
妙見堂
妙見宮に安置されている妙見菩薩像は、第111代・後西天皇(在位:1655~1663)から
厚く信仰され、皇居・清涼殿にて祀られていました。
ある時、天皇が「法華経によってこの妙見大菩薩を祭祀せよ」との夢告を受け、
妙見菩薩像が妙顕寺へと遷されました。
「天拝の妙見菩薩」と呼ばれ、近隣の人々の信仰を集めました。
天保年間(1831~1845)に善行院二十七世・日謙上人により妙見堂が建立され、
安置されるようになりました。
文久年間(1861~1864)には洛陽二十八宿妙見の12番札所として栄えました。
「二十八宿」とは、太陽の通り道に当たる黄道が通る星座のことで、
古代中国では28の星座がそれに充てられていました。
明治の神仏分離令による廃仏毀釈で衰退し、昭和61年(1986)になって京都市内の
日蓮宗寺院を中心とした「洛陽十二支妙見会」により復活されました。
善行院は1番「子(北)」の札所となりました。

妙覚寺へ向かいます。
続く
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