駐車場
14:10に観音正寺の裏参道山上駐車場に到着しましたが、
林道通行料として300円が必要です。
駐車場から本堂までそれほど急では無い坂道を10分ほど歩きます。
奥之院
奥之院があります。
手前にあっても奥之院ですが、1200段の石段を登る表参道からは奥之院となります。
1400年、聖徳太子が近江国を遍歴されている時、巨岩の岩で舞う天人を見て、
その岩を「天楽石」と名付けたと伝わります。
現在は倒木や地滑りの危険があるため立入が禁止されていますが、
平成29年(2017)5月26日に訪れた時は、禁止されていなかったので、
その時の画像を使用します。
奥之院-正面の岩
石段は上部に行くほど傾斜が急となり、石段も崩れています。
鳥居をくぐると正面に大きな岩が立ち塞がり、左へと折れます。
奥之院-石窟前
その先に岩と岩が重なり窟となっている所がありますが、
神聖な場所として立入が禁止されています。
奥之院-石窟
少し下って岩の中を覗いて見ましたが、石仏は見られませんでした。
寺伝ではこの磐座の中に、聖徳太子が彫られたと伝わる妙見菩薩を中心に
五仏の石像が安置されているそうです。
ねずみ岩
更に参道を進むと「ねずみ岩」があります。
何かの伝承で「ねずみ岩」と名付けられたのだろうと思い調べてみましたが、
見つかりませんでした。
ネズミに似ていると言う説もありますが、最上部の石はそのようにも見え、
その理由だけで祠が祀られるのか?...謎だけが残りました。
鐘楼
境内は北西方向にある本堂に向かって参道があり、主な建物は右側(山側)に配され、
左側は谷側となります。
境内の南東端には鐘楼があります。
不明な建物
鐘楼の向かいに不明な建物がありますが、かってはその奥に山道があり、
それが参道となっていたようです。
観音正寺は天台宗系の単立寺院で、その参道の登り口には日吉神社があります。
仁王像-左
仁王像-右
観音正寺には仁王門は無く、仁王像のみが門固めをしています。
達磨像
仁王像の前に達磨像が祀られています。
仁王像背後の社殿
仁王像の背後に社殿がありますが、詳細は不明です。

仁王像の先に受付があり、入山料500円を納めますが、一人乗りのバイクだと
林道通行料と合わせて800円の出費となります。
バイクの通行料を見直してほしいと思いました。
弁才天-1
弁才天
受付を済ませると、右側に池があり、池の中には弁才天が祀られています。
手水
池の前には石臼のような手水があります。
本坊
池の北側に書院があります。
建物の南側は聖徳太子 千四百年御遠忌事務局となっていました。
聖徳太子は推古天皇30年2月22日(622年4月8日)に崩御され、
叡福寺境内にある磯長墓(しながのはか)に葬られました。
節目に当たる2022年に向けて、観音堂と閼伽井堂、及び秘仏本尊の再建が計画されています。
衝立
玄関には「韓信の股くぐり」の図が描かれた衝立が立てられています。
「韓信が若い頃、町のごろつきに喧嘩を売られたが、韓信は大志を抱く身であったから
ごろつきと争うことを避けた。
言われるまま彼の股の下をくぐらされるという屈辱をあえて受けたが、
その後韓信は大成し、天下統一のために活躍した。」
この故事から、「将来に大望のある者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという
戒め」とされています。
韓信は中国・秦末から前漢初期にかけての武将で、劉邦の元で数々の戦いに勝利し、
劉邦の覇権を決定付けました。
聖徳太子像
建物の向かい側には聖徳太子像が建立されています。
寺伝では、観音正寺は聖徳太子によって開創されたと伝わります。
1400年、聖徳太子が近江国を遍歴されている時、
湖水から浮かび出てきた人魚と出会いました。
人魚は「前世が漁師で、殺生を業としていたためこのような姿になった。
繖山(きぬがさやま)に寺を建て、成仏させるように」と懇願しました。
太子はその願いを聞き入れ、自ら千手観音像を刻み、堂塔を建立したのが
観音正寺の始まりとされています。
寺には人魚と伝わるミイラが保管され来ましたが、平成5年(1993)の火災で焼失しました。
一願地蔵-2
聖徳太子像の先に、悩みを除き勇気を与えてくれるとされる一願地蔵尊が祀られています。
一願地蔵
しかし、そのお堂は大きな樽に、多分杉の皮で葺かれた屋根を載せた簡素なものです。
大日如来
一願地蔵尊の先には大日如来を中心に、その左右に子授け・子育ての地蔵尊が祀られています。
阿弥陀像
大日如来の先に釈迦如来坐像とその前に観音菩薩立像が祀られています。
釈迦如来坐像は、屋外に安置されているため「濡仏」と称され、江戸時代から
祀られるようになりましたが戦時供出され、現在の像は昭和58年(1983)に再鋳されました。
胎内には信徒の書写した写経が納められています。
御神木守護の祠
釈迦如来坐像の先は御神木の杉に大樹が聳え、その前には白蛇大明神を祀る祠があります。
御神木
御神木の反対側には地蔵菩薩が祀られています。
先祖・水子供養
向かい側には先祖と水子を供養するお堂があります。
護摩堂
北側に護摩堂があり、繖峯修験根本道場となっています。
3月の山開き、11月山閉めと年に2回、修験者がこの道場に参集し、
二百数十ヶ所に及ぶ祈願所を巡る回峯行が行われています。
護摩堂-不動三尊
堂内中央には不動三尊像が安置されています。
護摩堂-役行者
左側に役行者像が安置されています。
護摩堂-千手観音
右側に千手観世音菩薩坐像が安置されています。
太子堂
護摩堂の先に太子堂があります。
太子堂-堂内
堂内には中央に千手観世音菩薩立像と左右に聖徳太子像が安置されています。
お砂踏み所
護摩堂の前に観音霊場お砂踏み所があります。
本堂
参道の正面に本堂があります。
観音正寺は山号を繖山(きぬがささん)と号する天台宗系の単立寺院で、
西国三十三所観音霊場・第32番、神仏霊場・第139番他の札所となっています。
現在の本堂は平成5年(1993)の失火による火災で焼失し、その後再建されたものです。
鎌倉時代から戦国時代にかけて、当地には佐々木六角により
居城である観音寺城が築かれました。
佐々木氏は第59代・宇多天皇の第八皇子・敦実親王(あつみしんのう)を祖とし、
その四男、源扶義(みなもと の すけのり)の子孫が佐々木氏を名乗るようになりました。
佐々木泰綱(ささき やすつな)は、父・信綱の跡を継ぎ、近江守護となりましたが、
六角東洞院にある京都屋敷を譲られたことにより、六角氏を名乗り、祖となりました。
その子孫である六角氏頼が、南北朝時代の建武2年(1335)に、南朝側の
北畠顕家(きたばたけ あきいえ)軍に備えて観音寺城に篭ったとの記述があり、
その頃には城が築かれていたと考えられています。
観音寺城地図
観音正寺は六角氏の庇護を得て大いに栄え、寺伝では最盛期には
72坊3院の子院を数えたとされています。
しかし、六角定頼が当主の時や永禄年間(1558年~1570)に
六角義賢(ろっかく よしかた=承禎)が観音寺城の拡張工事を行った際に、
山上の寺域は次第に観音寺城に取り込まれることとなりました。
観音正寺は麓の観音谷に移されました。
この移転以前の境内としては、本谷道を参道とし、伝後藤邸跡地にある石段を
真っすぐに上がり、現在境内となっている所をも超えて伝三井邸(西側の方の)跡地に至り、
山の頂上に近いそこにかつての本堂である観音堂があったと推定されています。

永禄11年(1568)9月12日、観音寺城の戦いで織田信長に敗北した
六角義賢・義治父子が観音寺城を捨てて甲賀郡に退却した時、
混乱で観音正寺は焼失しました。
しかし、慶長2年(1597)に再び山上に伽藍を建てることとなり、かつての参道を埋めて
境内地を確保し、山の中腹に観音正寺が再興されました。
明治13年(1880)に観音堂を建て替えの際に、観音堂を念称寺の本堂として移築されました。
明治15年(1882)彦根城の欅御殿(けやきごてん)貰い受けて移築され、本堂としました。
しかし、平成5年(1993)に本堂を焼失し、現在の本堂は平成16年(2004)に再建されました。
本尊
パンフレットに掲載されている本尊
本尊は像高像高3.56m、光背を含めた総高6.3mの千手千眼観世音菩薩坐像で、
仏師・松本明慶(まつもと みょうけい)氏によって造立されました。
素材となったのは香木・白檀の原木23tで、輸出禁制品であったインドから住職が、
20数回インドを訪れ、たび重なる交渉の後にインド政府から特例措置として
日本への輸出が認められました。
本堂+紫雲殿
紫雲殿
本堂の背後には納骨堂の「紫雲殿」があります。
石積み
本堂の右側には多数の自然石が積み上げられ、その上には観音菩薩像が祀られています。
源平池
積み上げられ石の前には「源平池」と称される池があります。
画像は平成29年(2017)5月26日の参拝時のものです。
縁結び地蔵
池には橋が架けられ、先には縁結び地蔵が祀られています。
魚濫観音-1
本堂の右側を奥へ進むと魚濫観音(ぎょらんかんのん)が祀られています。
三十三観音の一つで、中国で生れた馬郎婦観音(めろうふかんのん)と同体とされています。
中国・唐の時代、魚を扱う美女がおり、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探し、
めでたくこの3つの経典を暗誦する者と結婚したがまもなく亡くなりました。
この女性は、法華経を広めるために現れた観音とされ、
以後、馬郎婦観音(魚籃観音)として信仰されるようになったとされています。
魚濫観音-2
観音像は自然石を切断し、中を刳り抜いて像が彫られています。
おちゃこ稲荷-1
本堂の左側に鳥居が建っています。
おちゃこ稲荷-2
おちゃこ稲荷-3
鳥居をくぐって進むと「おちゃこ稲荷」が祀られています。
何か謂れがありそうですが、詳細は不明です。

桑實寺(くわのみでら)へ向かいます。
続く

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