鳥居
大将軍八神社は、立本寺前の七本松通を北上し、一条通を左折した先の
北側にあります。
延暦13年(794)、第50代・桓武天皇は平安京遷都にあたり、王城鎮護のため
陰陽道を重視して都の四方に大将軍堂を建立しました。
大内裏の北西に当たるこの地は、天門守護として、陰陽道の暦神・八将神の一柱であり
金曜星(太白)の神格である方位神・大将軍を奈良の春日山麓から勧請し、
大将軍堂が造営されました。

大将軍堂は暦応3年(1340)から約100年の間は祇園社(現、八坂神社)の
管理下にありました。
祭神の大将軍が祇園社の祭神・素戔嗚尊(牛頭天王)と習合し、
八将神は素戔嗚尊の御子神八柱もしくは牛頭天王の眷属である八王子と
習合して祀られるようになりました。
応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失した後には神社として復興されました。

江戸時代には方除厄除12社参りが流行し、その時期に建立された
天保11年(1840)の標石が現在も門前に残されています。
明治時代に入ると神仏分離の流れの中で、陰陽道等の外来神は廃され、
正式な祭神は素戔嗚尊とその御子神八柱に変更され、
社名は大将軍八神社に改められました。
三社殿
鳥居をくぐった先の左側に命婦神社・厳島神社猿田彦神社の三社殿があります。
命婦神社は、稲荷大神の神使いである白狐の霊が祀られています。
五社殿
その先には恵比寿神社稲荷神社天満宮・長者神社・金毘羅神社
五社殿があります。
長者神社は、青森県八戸市の長者山にある長者山新羅神社の祭神が
大将軍八神社の祭神と同じであることから勧請されたと推察されます。
神輿庫
北側には神輿庫があります。
10月第3日曜日の天門祭で神輿巡幸が行われています。
本殿-2
現在の本殿は昭和4年(1929)11月に八棟権現造(やつむねごんげんづくり)で
再建されました。
楽の間
拝殿と本殿が石の間で接続され、拝殿の両側には楽の間があります。
本殿-3
本殿
祭神は大将軍(素戔嗚尊)と八将軍です。
八将軍とは、太歳神(天忍穂耳命)、大陰神(市杵嶋姫命)、歳刑神(田心媛命)、
歳破神(湍津姫命)、歳殺神(天穂日神)、黄幡神(活津彦根神)、
豹尾神(熊野櫲樟日命)になります。

太歳神(たいさいしん)は、木星(歳星)の精とされ、1年の四季において
万物の生成を司るとされ、樹木や草に関する性格を持ち、太歳神の位置する方位に
向かって、樹木や草木等を植えつけることなどは吉、樹木の伐採や草刈りなどは
凶とされています。
また、君主的な立場にあり、八方に影響力を持つとされ、争いごとや葬儀・解体などは
疫災にあうとされる、一方で貯蓄や家屋の建築や増改築、移転、商取引、結婚、
就職などは大吉とされています。
太歳神の在位する方角は、その歳の十二支の方位と同じ方角となります。

太陰神(たいおんじん)は、太歳神の后で土星(鎮星)の精とされています。
太歳神が在位する方角の3つ後(太歳神に向かってまっすぐ右)の方角に在位する
とされ、その方角に向かって女性に関すること(嫁取り、出産など)をすることは
凶であり、学問・芸術に関することは吉とされています。

歳刑神(さいぎょうしん)は、水星(辰星)の精とされ、殺罰、刑殺を司る神とされ、
この神の在位する方角に向かって事業を始めたり、移転することは凶とされています。
一方で、この神は武力・武器を好むことから武器や刃物などの製造や購入・訴訟や
争いごとなどは吉とされています。

歳破神(さいはしん)も土星(鎮星)の精とされ、太歳神の方位の反対側に在位
しますが、太歳神に攻められ破られることがほとんどであり、凶神とされています。
この神は、土の性格を有しており、この神が在位する方角に向かって動土
(土地の造成や庭造りなど土を動かすこと)や建築、移転、婚姻、旅行
(特に船舶による旅行)は避けたほうがよいとされています。
また、ペットや家畜を求めることも凶とされています。

歳殺神(さいせつしん)は、金星(太白星)の精とされ、金星は陰気の極みであり、
この神は殺気を司り、万物を滅するとされています。
この神は土の性格を有するその年の丑・未・辰・戌の方角に在位するとされ、
その方角に向かって移転、旅行、結婚、訴訟などは避けたほうがよいとされています。
また、この神は武を好むとされ、この神の在位する方角に向かって武器や刃物を
得るのは吉とされています。

黄幡神(おうばんしん)は、別名で「万物の墓の方」とも、「兵乱の神」とも
呼ばれています。
この方角に向かって土を動かすのは凶、武芸に関することは吉とされています。

豹尾神(ひょうびしん)は、計都星の精とされ、気性が激しく、天宮神という
女神を伴うとされています。
この神は不浄なものを嫌い、また、この神の在位する方角に向かって
家畜などを求めるのは避けるべきとされています。
豹尾神は受け入れを嫌い、天宮神は出すことを嫌うことから、豹尾神の在位する方角
への嫁(婿)入りや、天宮神の在位する方角からの嫁(婿)取りは凶とされています。
方位盤
本殿前には方位盤があります。
御神木
本殿の左側には御神木の「招霊(おがたま)ノ木」が植栽されています。
地主神社
奥には地主神社があり、 大杉大明神と豆吉明神が祀られています。
大杉大明神の絵馬には白蛇が描かれていますが、詳細は不明です。
豆吉明神
豆吉明神は、一願成就の神とされています。
錨
本殿の背後には錨が...
方徳殿
本殿の右側に収蔵庫の方徳殿があります。
神社が所有する木造大将軍神像80躯が国の重要文化財に指定されたため、
昭和47年(1972)に神饌所を取壊してその跡地で着工され、
昭和50年(1975)に竣工しました。
木造大将軍神像は、平安時代中期~末期の作で、甲冑を着用した武装形の像50躯、
束帯姿の像29躯、童子形の像1躯の古神像で、
残念ながら一部に破損が見られれます。
古天文暦道資料は、陰陽師・安倍家に関わるもので、土御門家に仕えた皆川家から
昭和60年(1985)に寄贈され、府の文化財に指定されています。
天球儀は江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家である渋川春海(1639~1715)
が延宝元年(1673)に製作した、日本最古の天球儀と同時期のものと推定されています。
方徳殿は毎年5月1日~5月5日と11月1日~11月5日に一般に公開されています。
方徳殿前にはその大将軍神の模像が祀られています。
大金神神社
方徳殿の南側に大金神神社と歳徳神社を祀る社殿があります。

大将軍八神社前の一条通を西へ進み、椿寺地蔵院へ向かいます。
続く

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