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円山応挙生誕地から金剛寺(応挙寺)
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自宅を5:30に発ち、国道9号線から県道4号線に入って進んだ先で、
左側を流れる矢田川に鯉のぼりが渡されていました。
山側には東大寺・大仏殿に似た建物と、
日本第二位の高さを誇る70mの五重塔が建立されています。
長楽寺は「但馬大仏」とも呼ばれていますが、奈良時代の天平年間(729~749)に
行基がこの地に足を留め、自ら一刀三拝して薬師如来像を刻み、
安置したことが始まりとされています。
天平9年(737)には六坊及び三重塔の七堂伽藍が創建され、八鹿山薬師寺と称しました。
延暦年間には弘法大師も訪れたと伝わる由緒ある古刹です。
天文年間(1532~1555)に洪水災害によって流失し、天文11年(1543)に現在地で再建され、
川会山長楽寺と改められました。
しかし、江戸時代から明治時代までの度重なる火災により、古建築と文化財の大半は焼失しました。
昭和61年(1986)に大阪の相互タクシー株式会社の創業者で「タクシー王」と呼ばれた
故・多田清氏の寄進により、現在の伽藍が着工されることになりました。
大仏殿は高さ40mの重層寄棟造りで、屋根には対の鴟尾(しび)が光り輝いています。
この鴟尾は高さ2.7m、重さが1.1tあり、1.8万枚の金箔が貼られています。
大仏殿の中央には、木造座像としては世界最大の像高15.8mで、
光背と須彌壇と蓮座で総高は25.3mにもなる釈迦如来坐像が安置されています。
中尊の左側には像高15.2mの阿弥陀如来坐像、
右側には像高15.2mの薬師如来坐像が安置されています。
これらの三躯の仏像は中国人仏師延べ2万人余りが、3年の歳月をかけて製作し、
日本に運ばれ大仏殿で組み立てられました。
樟材の寄せ木作りに、金箔132万枚(21.8kg)が使用され、
平成6年(1994)4月に落慶開眼されました。
大仏殿の北側には本堂(薬師堂)があり、薬師瑠璃光如来像が安置されていますが、
7年ごとに10日間だけ開扉される秘仏とされています。
但し、行基が刻んだとされる薬師如来像は焼失したそうです。
大門には像高8.2m、重量9.5tの阿形像と像高8.4m、重量10tの吽形像が安置されています。
大門と大仏殿は、直径42cmの欅の柱と桧で軒、天井が作られた回廊で結ばれ、
その長さは100m近くにも及びます。
開門は午前9時からで、30分以上待たなければならないので
最初の目的地である大乗寺へ向かうことにしました。
大乗寺は山号を亀居山と号する高野山真言宗の寺院で、
西国薬師四十九霊場・第28番札所となっています。
江戸中期の画家・円山応挙やその一門の画家たちの襖絵など、重要文化財に指定されている
165点が残され通称で「応挙寺」と呼ばれています。
駐車場からは石段があり、その上にある山門は兵庫県の文化財に指定されています。
山門をくぐった正面に客殿があり、県の文化財に指定されています。
大乗寺は天平17年(745)に行基が自ら一刀三拝して聖観世音菩薩像を刻み、
安置したことが始まりとされています。
その後、戦乱を受け寺勢は衰退し、安永年間(1772~1781)になって密蔵法印により再興されました。
大玄関には円山応挙像が祀られています。
円山応挙は享保18年(1733)に穴太寺がある、穴太村の農家の次男として生まれました。
生い立ちについての詳細はこちらをご覧ください。
水嶋 元(はじめ)氏の著書「円山応挙伝 報恩の画」によると、
密蔵法印は京都東寺に向かう途中、絵師になる志を持ち裸一貫で
京に上ろうとする応挙と出会い、金銭を与え励ましたと記されています。
応挙は明和3年(1766)頃から「応挙」と名乗り始めました。
中国宋末~元初の画家・銭舜挙(せん しゅんきょ)に応ずるという
意味が込められているとされています。
この頃、圓満院の祐常(ゆうじょう)門主や豪商・三井家の援助を受け、
圓満院時代と呼ばれるほど多くの作品を生み出しました。
天明6年(1786)に密蔵法印が亡くなり、翌年、後を継いで再建に乗り出した
密英上人が京都に出かけ、応挙に襖絵製作を依頼しました。
客殿は中央に仏間があり、十一面観音立像が安置され、その周囲の部屋には
四天王が守護するのと同様の意味を持たせた図が描かれて
立体曼荼羅の空間が形成されています。
また、オリジナルの襖絵保護のため、一部が平成15年(2003)5月に竣工した
収蔵庫で保管され、再製画に置き換えられています。
客殿前の楠木は樹齢1200年と伝わりますが、根の部分だけ撮って、
木そのものを撮るのを忘れました。
山門をくぐった左側には欅の巨木が聳えています。
客殿前を左に進み石段を上った左側に鐘楼があります。
鐘楼先の石段を上った所に瑠璃光殿の扁額が掲げられた薬師堂があります。
瑠璃光殿の本尊・薬師如来坐像は西国薬師四十九霊場・第28番札所本尊でもあり、
県の文化財に指定されています。
薬師堂と観音堂の間にある石段を上った所に鎮守社があります。
薬師堂の右側に観音堂があり、「大悲殿」の扁額が掲げられています。
観音堂には聖観世音菩薩立像、四天王立像が安置され、聖観世音菩薩立像は
国の重要文化財、四天王立像は県の文化財に指定されています。
観音堂の奥に地蔵像があり、水子地蔵尊が祀られています。
客殿の右側にある庫裡から客殿の拝観ができますが、室内の撮影は禁止されています。
拝観料は800円で、ガイドの説明があり、所要時間は約40分です。
山陰海岸国立公園内にあり、国の名称に指定されている岡見公園へ向かいます。
続く