結界
金輪公園から緩やかな坂道を登って行った先に女人堂があります。
車道の両側には大きな石標が建ち、かっての結界を示しています。
女人堂
明治5年(1872)に女人禁制が解かれるまで、
高野山は女性の立ち入りが厳しく禁じられていました。
高野山へは「高野七口」と呼ばれる7つの参詣道があり、
かっては各登り口に女人堂がありました。
女人堂は女性のための参籠所で、女人堂に籠り奥之院の弘法大師御廟を遥拝しました。
現在の女人堂は、参詣道の中でも最も賑わった
京大坂道の不動坂口に建てられたもので、現存する唯一の女人堂です。

女人禁制の時代、女性信徒は山内を囲む七口の女人堂を巡り歩いたとされています。
この道は「女人道」と呼ばれ、現在でも整備され、延長約17km、約5時間半の行程となります。

堂内には大日如来を中心に、左に役行者、右に弁財天が祀られています。
小杉明神社
女人堂の左側に小杉明神社があります。
不動坂口の女人堂は文永年間(1264~1274年)に「小杉」という娘によって創建されました。
小杉は越後の国の本陣宿「紀の伊国屋」で働いていましたが、
数奇な人生を送られ、弘法大師に救われました。
そこで尼僧となり、高野山へ登って不動坂口に最初の女人堂を開きました。
お竹地蔵
女人堂の向かい側に「お竹地蔵」が祀られています。
「横山たけ」さんが亡き夫の供養のため高野山へ登り、女人堂で参籠していた時、
地蔵尊が夢の中に現れたと伝わります。
地蔵像の造立を思い立ち、延享2年(1745)5月15日に造立しました。
高野山上の鋳銅製仏像としては最大級のものとなります。
弁天岳
お竹地蔵の右側に標高984mの弁天岳への登山道があり、で山頂まで約1km、
所要時間は1時間余りだそうです。
山頂には弘法大師が大和の天河弁天社より勧請したと伝わる
嶽弁才天(だけのべんざいてん)が祀られています。
かっては「妙音坊」という天狗が一本杉に住んでいて、嶽弁才天を守護していたとの
伝承もあり、江戸時代は山内の僧によって維持されてきました。
現在では地域の一般の方々によって弁天講が結成されて引き継がれ、
毎年10月18日に大祭が行われているそうです。

高室院へ向かいます。
続く

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