山門
法楽寺は山号を紫金山(しこんざん)、院号を小松院と号する真言宗泉涌寺派の大本山で、
近畿三十六不動尊・第3番、神仏霊場・ 第47番、役行者霊蹟札所などの札所となっています。
法楽寺の開基は平清盛の嫡男・平重盛(たいら の しげもり)で、
六波羅小松第に居を構えていたことから「小松内大臣」と呼ばれ、それが院号となりました。

重盛は船頭の妙典(みょうでん)に黄金三千五百両を託し、子子孫孫に先祖の後生を祈るため、
宋の仏教の聖地、育王山(いおうさん)との結縁を求めました。
宋に渡った妙典は、育王山で佛照(ぶっしょう)禅師と逢い、重盛の意志を伝え、
育王山の僧達に一千両を贈りました。
二千両は宋の皇帝に贈られ、皇帝からは五百町の田畑が育王山に下賜され、
育王山の伽藍の維持に充当されました。
また、佛照禅師から育王山伝来の佛舎利二顆が贈られ、妙典はそれを持ち帰り、
残った500両は妙典の経費などに消費されました。
佛舎利二顆は「紫金二顆の仏舎利(紫色を帯びた最高の純金のような輝きを放つ
二粒の仏舎利)」と称され、山号の由来となりました。

法楽寺には平治元年12月9日(1160年1月19日)に発生した平治の乱で、
平清盛ら平氏軍と戦って敗れた源義朝の念持仏、如意輪観世音菩薩が安置されました。
平家と源氏とで相争いで命を落とした人々の菩提を、
敵味方の別なく篤く弔った(怨親平等)と伝わります。
三重塔
山門をくぐった正面には、礎石上塔総高約23mの三重塔が建っています。
平成8年(1996)11月26日に三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)
臨席のもと落慶法要が営まれ、「平成の三重宝塔」と呼ばれています。
金剛界大日如来を本尊とし、江戸時代の作と伝わる不動明王立像と
愛染明王坐像を脇侍としています。
内陣の密壇には宝篋印塔が安置され、塔内には「紫金二顆の仏舎利」が奉安されています。
鶏-1
鶏-2
三重塔には鶏の像が本堂を向いて祀られていますが、意味は不明です。
鐘楼
三重塔の右側に鐘楼があります。
不動三尊石仏
鐘楼の横には不動三尊の石仏が祀られています。
大楠-1
不動三尊像の背後には樹齢約800年と
推定されている楠の巨木が聳えています。
大楠-天狗
天狗の面が付けられたこの楠は、大阪市では住吉大社・楠珺社(なんくんしゃ)の楠
(樹齢千年以上)に次ぐ古木とされ、樹高約26m、幹の外周約8mあり、
大阪府の天然記念物に指定されています。
楠大明神-1
楠の巨木の北側には稲荷社と思われる社殿があります。
庫裡
境内の北東側に庫裡とその左側に客殿の玄関があります。
英霊地蔵尊
客殿の玄関の左前方に修行大師像とその左側に英霊地蔵尊が祀られています。
本堂
本堂
法楽寺のパンフレットには「元亀2年(1571)9月に織田信長軍の兵火により全焼」と
記されていますが、信長はこの時比叡山の焼き討ちを行っています。
その前年、元亀元年(1570)8月26日~9月23日に信長軍は三好三人衆と石山本願寺軍、
雑賀衆・根来衆の連合軍と交戦して敗退しています。(野田城・福島城の戦い
法楽寺の復興は正徳元年(1711)から始まり、現在の本堂及び山門は大和大宇陀の
松山藩の信長の子孫・織田家の殿舎を譲り受け移築されました。

本尊は大日大聖不動明王立像で矜羯羅(こんがら)と制多迦(せいたか)の
二童子を脇侍としています。
近年は「田辺のお不動さん」と呼ばれ、親しまれています。
また、右脇陣には、釈迦牟尼仏を中尊として安置され、
脇侍には如意輪観世音菩薩と地蔵菩薩像が安置されています。
左脇陣には大聖歓喜天像が安置されています。

昭和53年(1978)秋に法楽寺の蔵から不動明王図像が発見されました。
この不動明王図像は、京都青連院の国宝「青不動」の原画と判明し、
「絹本著色不動明王二童子像」と名付けられ、重要文化財に指定されています。
賓頭盧尊者
本堂前には賓頭盧尊者像が安置されています。
記念館
本堂前を左側に進むとリーヴスギャラリー小坂奇石(こさか きせき)記念館があります。
当日は閉館のため館内の拝観はできませんでしたが、館内には書家・故小坂奇石
作品400余点が所蔵され、毎年11中旬~12月初旬の1ヶ月開館されています。
小坂奇石は明治34年(1901)1月13日に徳島県で生まれ、「奇石体」と呼ばれる独自の
書風を確立し、書家としては初めて日本芸術院恩賜賞を受賞しました。
アプサラ像
記念館の前には13世紀のカンボジアのアプサラ像(右側)などが展示されています。
堤婆達多
向かいには「堤婆達多(だいだだった)」の像が展示されています。
堤婆達多は釈迦の弟子の一人で釈迦の従兄弟(いとこ)で、有能な人物でしたが、
釈迦により厳格な戒律を定めるよう提言したのですが受け入れられませんでした。
この彫像は逆恨みした堤婆達多が、象を酒に酔わせて釈迦を襲わせた場面を表しています。
しかし、失敗して地獄に落ちたとされています。
釈迦の帰郷
横には「釈迦の帰郷」の像が展示されています。
古代北インドの小国・シャーキヤの王子だったゴータマ・シッダールタは29歳の時、
深夜に城を出て出家し、苦行を重ね35歳の時、菩提樹の下で悟りを開いて仏陀となりました。
梵天はその内容を衆生に説くよう釈迦に強く求め、釈迦はそれに従い、
教えを説いて各地を訪れました。
その足は故郷へも向けられ、この彫像は出家後初めて両親と対面した場面を表しています。
大根
田辺大根は東住吉区田辺地区周辺で、江戸時代からつくられた大根で、
天保年(1836)の『新改正摂津国名所旧跡細見大絵図』にも記されている
「なにわの伝統野菜」です。
明治時代の田辺大根は、短根で縦横がほぼ同じ長さでしたが、
次第に縦長な形に改良され「横門大根」と呼ばれるようになりました。
この「横門」とは法楽寺の山門とされています。
大師堂
記念館の南側に大師堂があり、弘法大師と真言八祖絵像が祀られています。
四国霊場
大師堂の右横には四国八十八箇所霊場の各本尊が浮き彫りにされた石碑が建っています。
納骨堂
大師堂の左側に納骨堂があります。
秋葉大明神
納骨堂の左側に鎮守・秋葉大権現が祀られています。
子安地蔵尊
鎮守社の左側に地蔵尊が祀られています。
子安地蔵尊でしょうか?
観音堂-1
地蔵像の左側に観音堂があり、その左前に手水舎があります。
観音堂-2
観音堂には石仏が祀られています。

京善寺へ向かいます。
続く

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村