山門
国道367号線を途中越えから下り、新伊香立橋の手前で右折して旧街道を進んだ
右側に古知谷阿弥陀寺の駐車場があります。
山門は下層を白漆喰塗り込めとした中国風の楼門で、
門前の石柱には「弾誓仏一流本山」と刻まれています。
阿弥陀寺は山号を「光明山」と号する浄土宗の寺院で、
通称で「古知谷阿弥陀寺」と称されています。
参道
山門から本堂までは標高差約320mを15分程かけて登らなければなりません。
滝
谷川沿いに登り、上部には小さな滝があります。
カエデ-1
参道沿いに聳えるカエデは樹齢800年以上とされ、
京都市の天然記念物に指定されています。
日本では、本州以南の平地から標高1000m程度にかけての低山で多く見られる
イロハモミジで、「高雄楓」とも称され、紅葉の名所とされる阿弥陀寺周辺の
古知谷で、数あるカエデの中でも最大のものとなります。
カエデ-2
幹には多数の支根が絡みつく特異な形状となっています。
不明な建物
正面に懸崖造りの建物がありますが、詳細は不明です。
書院
正面の書院には宝物館があり、皇族との関係が深く、皇室から寄進された貴重品や
弾誓上人ゆかりの仏具などが展示されています。
廊下左の庭
書院からの渡り廊下の左側です。
石廟
渡り廊下の先に巌窟があり、巌窟内の石廟には弾誓上人
(たんぜいしょうにん:1552~1613)の即身仏が安置されています。
弾誓上人は尾張国で生まれ、9歳で出家して木食僧(もくじきそう)として
諸国を行脚し、修行を重ねました。
天正18年(1590)に39歳になった弾誓上人は佐渡島へ渡り、浄土宗の常念寺で
得度しました。
その後6年間、檀特山(だんとくさん:標高807m)で修行し、篭っていた洞窟に
阿弥陀如来が顕れ、 「十方西清王法国光明正弾誓阿弥陀仏」の
尊号と他力念仏の深義を授かったと伝わります。

佐渡から離れて京都に来た時、五条大橋で北の空に紫雲たなびき、
光明を発するの見てこの地へ訪れ、念仏三昧の修行を行いました。
その4年後の慶長18年(1613)に弾誓上人は、松の実と皮のみを食し、
体質を樹脂化して石棺に入り、即身仏となったと伝わります。
全国の即身仏では最南端に位置します。
中庭
渡り廊下と本堂との間の庭園
本堂
現在の本堂は享和元年(1801)に再建されました。
阿弥陀寺は慶長14年(1609)に弾誓上人により開創された念仏道場です。
享保年間(1716~1736)には弾誓上人を慕い、近江国の念仏行者・澄禅が参禅した
「禅公窟」が本堂から約300mの山上に残されていますが、非公開です。
澄禅は、享保6年(1721)に即身入定を果たしているとされていますが、
その即身仏は現在では残されていません。

本尊は像高74.2cmの弾誓上人像で、本堂内陣の中央にある宮殿内に安置されています。
「植髪(うえがみ)の木像」と呼ばれ、弾誓上人が自ら刻み、
自身の頭髪を植え込んだとされています。
一般的には阿弥陀如来を本尊とする浄土宗寺院で、阿弥陀如来と共に
弾誓上人像を本尊として安置することから「弾誓仏一流本山」と称されています。

向かって右側に安置されている像高70.6cmの木造阿弥陀如来坐像は、
鎌倉時代の作とされ、国の重要文化財に指定されています。

向かって左側には平安~室町時代の作とされる像高72.3cmの
阿弥陀如来立像が安置されています。
本堂前の庭園
本堂前には白砂が敷かれた枯山水の庭園が築かれています。
茶室
庭園の奥には茶室・瑞雲閣があります。
茶室-2
瑞雲閣も懸崖造りです。
地蔵像
本堂の右側は墓地で、地蔵菩薩が祀られています。
弾誓上人には70人余りの弟子が師事していたと伝わり、その墓と思われます。
鐘楼
鐘楼
六体地蔵
六体地蔵の奥は一般の墓地のようです。

旧街道を南下し、国道367号線に合流して三千院へ向かいます。
続く

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