陵-1
グーグルマップでは揚谷寺から東側へ下り、その先で右折した先に
土御門天皇の金原陵があると記されていますが、右折する道が分らず、
ナビに頼ってよくやくたどり着きました。
陵-2
土御門天皇は、建久6年11月1日または12月2日(1195年12月4日または
1196年1月3日)に第82代・後鳥羽天皇の第一皇子として誕生しました。
建久9年(1198)に後鳥羽天皇から譲位され僅か4歳で即位し、
後鳥羽天皇は上皇として院政をしきました。
土御門天皇は穏和な性格で、幕府に対して強硬であった上皇の意に添わず、
上皇から退位を迫られました。

承元4年(1210)に弟の順徳天皇に譲位し、上皇となりましたが、名目的なものでした。
承久3年(1221)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げ、
承久(じょうきゅう)の乱を起こしました。
後鳥羽上皇は敗北し、後鳥羽上皇は隠岐島、父の計画に協力した
順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流されました。
土御門上皇は、何も関与していなかったので処罰の対象にはならなかったのですが、
自ら申し出て土佐国に移り、後に鎌倉幕府の配慮により都に近い阿波国に移されました。
陵-3
寛喜3年(1231)に37歳で崩御され、阿波で火葬に付された後、この御陵に埋葬されました。
徳島県鳴門市大麻町池谷には土御門天皇を祭神とする阿波神社があり、
境内に火葬塚があります。

天福元年(1233)、母親の承明門院によって、塚の上に金原御堂(法華堂)が
建立され、後に御堂を管理するため金原寺が造営されました。
しかし、その後は御堂も金原寺も荒廃し、江戸時代には
石棺が露出して「石塚」と呼ばれていました。
文久年間(1861~1864)に修陵され、土御門天皇陵と定められました。
地蔵院
土御門天皇陵から府道204線まで戻り、湯川酒店を目印に右折し、
自治会館を通り過ぎた先の変則十字路を左折すると地蔵院があります。
地蔵院の本尊は、平安時代作の阿弥陀如来像で、
台座に「本山金原寺当仏」との墨書があります。
地蔵院は、金原寺の別院で地域に密着した小さな寺院です。
残念ながら、地蔵院の住職は亡くなられ、現在は無住となっていて、
本尊を拝見することはできませんでした。
石倉神社
府道を南へ進むと
小倉神社の末社・石倉神社へと戻ってきます。
長岡京市から大山崎町、大阪府島本町を巡って長岡京市へと戻ってきましたが、
この行程はバイクでも一日では無理で、3回に分け、一部は過去の記事を掲載しています。

次回はサントリーのビール工場から長岡京市及び京都市西京区大原野を巡ります。

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