鐘楼門
「ねじりマンポ」の西口から西へ進んだ突き当りに円明教寺があります。
円明教寺は山号を医王山と号する真言宗東寺派の寺院です。
山門は重層構造で、上層は鐘楼となっていましたが、梵鐘は戦時供出され、
今はありません。
本堂
本堂
円明教寺は奈良時代に修験僧で白山を開山したと伝わる泰澄により、
円明寺として創建されたと伝わります。
また、平安時代後期に天台宗の寛済法師が円明寺を創建したとの説や、
平安時代中期に曼荼羅寺(後の隋心院)を創建した
仁海によって再建されたとも伝わります。
隋心院の末寺で真言宗善通寺派の寺院になったともされています。
その後、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての
公卿・西園寺公経(きんつね)に譲られ、別荘(円明寺山荘)の庭園の
一部として整備されたのが「御茶屋池」と伝わります。

円明寺は、鎌倉中期には西園寺公経の娘婿で、東福寺を建立した
九条道家に譲られ、池庭が更に整備されました。
その後、道家の息子で一条家始祖となる実経(さねつね)に譲られました。
室町時代の応仁・文明の乱(1467~1477)では、兵火を受け衰微し、
江戸時代初期には無住となって薬師堂を残すのみとなり、「薬師堂」と呼ばれました。
弘化3年(1846)、無住となった円明寺には観音寺から住職が派遣されていました。
円明教寺と呼ばれるようになったのは近代になってからで、
現在でも住職は他の寺と兼務しているようです。

本尊は、平安時代の薬師如来像で脇侍の日光・月光両菩薩像の他、
平安時代の毘沙門天立像と鎌倉時代の地蔵菩薩立像が安置されています。
しかし、住職が殆ど不在のため、参拝は無理なようです。
鎮守社
鎮守社でしょうか? 詳細は不明です。
庫裏
現在は本堂の薬師堂と庫裏を残すのみとなっています。
御茶屋池
寺から下った南側に「御茶屋池」があります。
斜面に高い堤防が築かれ、水が溜められています。
現在は潅漑用として、水利組合によって管理され、
池の北側には民家が立ち並んでいます。
かっては池に面して公経の山荘が営まれ、道家の時代には
別荘の数も増え、池庭も整備されました。
道家から譲られた実経は晩年、円明寺山荘で隠棲し、「円明寺殿」と称されました。
遠くに比叡山から東山連峰が一望でき、
閑静で風光明媚な地であったことが想像できます。

小倉神社へ向かいます。
続く

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