復員引揚桟橋からバイクで10分余り走った所に赤レンガ博物館がありますが、
その先に海上自衛隊の造修補給所があります。
海外では写真を撮ると逮捕されるかもしれないと思いながらも、こっそりと撮ってしまいました。
赤れんが博物館の建物は、明治36年(1903)に旧舞鶴海軍の魚雷の倉庫として建設されました。
日本に現存する建物では最も古い時代の建造物の一つで、国の重要文化財に指定されています。
建物の左前には「赤煉瓦倉庫壱号棟」の石標が建っています。
隣接して「銀座の柳二世」が植栽されています。
館内の見学は一通り行ったのですが、涼むのがメインになってしまい、
展示内容等の記憶が乏しくなりました。
赤れんがパークもスルーして成相寺へ向かいました。
途中、昼食で少し涼んだのですが、直射日光とアスファルトの照り返しで、
温風を受けて走るので、ヘルメットの中でも汗が流れます。
直進「宮津」と左折「大江」の標識が出ている三叉路に出ましたが、
スマホのナビは左折を指示しています。
疑問を感じながらもナビに従い左折したのですが、
誘導されたのは自動車専用道路の入口でした。
原付二種では入れないのでUターンして木陰でバイクを停め、
スポーツドリンクで水分補給を行いました。
心は萎えましたが、気を取り直し、三叉路まで戻ることにしました。
予定では丹後国分寺跡や山道の途中に祀られている子育て子宝地蔵尊にも
立ち寄る予定でしたが、時間のロスを取り戻すため通り過ぎ、
予定より20分遅れの14:00に成相寺に到着しました。
前回、成相寺へは北タンゴ鉄道の天橋立駅から智恩寺(文殊堂)を経て、
約1時間かけて天橋立を歩き、ケーブルとバスを乗り継いで訪れました。
パノラマ展望台へは時間的に無理があるので最初から諦めていました。
今回は成相寺の駐車場前で入山料500円を納め、
駐車場から成相山パノラマ展望台へ向かいました。
かなりの急坂を約7分バイクで登った所に展望台があります。
標高470mの地点にあり、「日本一 成相山パノラマ展望台」の石碑が建っています。
下界より気温が約3度低く、山を渡ってくる風は、幾分涼しく感じられます。
展望台の西側から遠くに冠島とその左側に画像では判りにくいですが沓島が望めます。
傘松公園には冠島・沓島遥拝所があります。
伝承では、冠島と沓島は元伊勢籠神社の奥宮で、籠神社のご祭神である
彦火明命(ひこほあかりのみこと)と市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)が
天降り夫婦となった神聖な島として古代から特別視されてきました。
また、『丹後風土記』には、大宝元年(701)に三日続きの大地震が発生し、
凡海郷(おおしあまごう)と呼ばれた集落が海に沈み山頂だけが海上に残って
冠島と沓島になったとの記述が見られます。
そして、「冠島の磯に鳥居ありて 老人島神社(おいとじまじんじゃ)といふ」との
記述があり、この老人島神社が籠神社の奥宮であったとされています。
現在も社殿が残され、彦火明命(ひこほあかりのみこと)が祀られています。
冠島周囲の海底の一部から弥生時代の遺跡のようなものが見つかっているそうです。
現在、冠島は国の天然記念物に指定されていて、沓島とともに
京都府指定冠島沓島鳥獣保護区にも指定されていることから、
一般の人は島に立ち入ることが出来なくなっています。
正面には天橋立の左側から複雑な形の半島が伸び、天橋立を形成したのは
この半島が何か関与したのではないかとと思われます。
2万年前は、現在の宮津湾にあたる一帯は完全な陸地で、その後、
6千年前の縄文時代に海面が上昇し、海底に砂州が形成され始めたと考えられています。
この付近には山田断層が存在し、宮津市北部から伊根町にかけては地滑り地形が集中しています。
約2千2百年前に発生した地震によって大量の土砂が宮津湾に流入し、
天橋立が形成されたと考えらています。
橋立の右側は「阿蘇海」と呼ばれる汽水域で、
阿蘇海の西端(右側)の野田川から大量の土砂が運ばれました。
半島は土砂をそれ以上奥へと流さない堤防のような役目をしていたのかもしれません。
展望台から下って成相寺へ向かいます。
続く
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