指月橋
高山寺から国道162号線を南下し、「高雄神護寺前」から西側へ下って行った先に
西明寺への朱塗りの指月橋が架かっています。
聖天堂の碑
橋の手前には「槙尾山聖天堂」の石標が建っています。
参道の石灯籠
橋を渡った参道には石灯籠が建っています。
参道の石段-宝篋印塔
左側には苔むした宝篋印塔も建っています。
表門
表門は元禄13年(1700)に再建された薬医門で、市の文化財に指定されています。
西明寺は山号を槇尾山(まきのおさん)と号する真言宗大覚寺派の寺院です。
本堂
表門から入った正面に本堂があります。
画像はありませんが、本堂の扁額「霊山鷲心(りょうせんじゅしん)」は
空海の筆によるものです。
インドのビハール州にある山で、釈迦が『無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山
「霊鷲山(りょうじゅせん)」に因んでいます。
西明寺は平安時代の天長年間(824~834)に空海の高弟・智泉大徳により、
戒律道場として開かれました。
智泉大徳(789?~825?)の母は空海の姉と伝わり、
空海の十大弟子の一人に数えられています。
大同4年(809)に唐から帰国した空海が、第52代・嵯峨天皇の勅命により
高雄山寺(神護寺)に入った際は、智泉大徳も随行したと伝わり、
弘仁3年(812)には空海から高雄山寺の三綱の1人に選ばれました。
三綱(さんごう)とは、寺院を管理・運営し、僧尼を統括する上座(じょうざ)・
寺主(じしゅ)・都維那(ついな・維那とも)の3つ僧職の総称で、
杲隣(ごうりん)と実恵(じちえ)と共に選ばれました。

しかし、西明寺は平安時代末期には荒廃しました。
鎌倉時代の建治年間(1275~1278)に施福寺の我宝自性上人
(がほうじせいしょうにん)により中興され、本堂、経蔵、宝塔、
鎮守などが建立されました。
正応3年(1290)には後宇多法皇から「平等心王院」の院号を賜り、
神護寺から独立しましたが、室町時代の永禄年間(1558~1570)に兵火を受けて焼失し、
その後に神護寺と合併して別院となりました。

慶長7年(1602)に明忍律師(みょうにんりっし)により再興されました。
明忍律師(1567~1610)は代々朝廷に仕えてきた中原氏の出で、7歳の時に
高雄山寺の晋海僧正(しんかいそうじょう)の弟子となり、内外の諸典を学びました。
16歳にして正七位上相当の官職である太政官所属の少外記及び右少史
両職を拝命していましたが、21歳の時に出家し、西大寺で学びました。
しかし、戦国時代を経た当時の日本には、正しく戒律を受持する
僧侶が存在していませんでした。
そこで律師は真の仏教僧たるべく戒律復興を志し、日蓮宗の慧雲(えうん)、
西大寺の僧・友尊と寥海(りょうかい)らと共に高山寺で自誓(じせい)受戒
(仏前で自ら誓って大乗戒を受けること)しました。
荒廃していた平等心王院に庵を結び、律宗を中興しました。
律師は明に渡るため、対馬に滞在していましたが、
慶長15年(1610)の35歳の時に病に倒れ、他界しました。
律師は律と真言宗の思想を統合した立場をとり、
その思想的流れが真言律宗となりました。
また、律師の「自誓得戒の教え」に桂昌院が帰依され、
元禄13年(1700)に現在の本堂を寄進されました。
本堂は市の文化財に指定されています。

堂内正面の須弥壇には、本尊の鎌倉時代作の清凉寺式釈迦如来像
脇陣には平安時代作の千手観世音菩薩像・鎌倉時代後期作の愛染明王像の他、
多数の仏像が安置されています。
清凉寺式釈迦如来像と千手観世音菩薩像は、国の重要文化財に指定されています。
聖天堂
本堂前の右側に元禄時代(1688~1704)に建立された聖天堂があります。
堂内には歓喜天像が安置されていますが、秘仏となっています。
『大聖歓喜天使咒法経(だいしょうかんぎてんししゅほうきょう)』では、除病除厄、
富貴栄達、恋愛成就、夫婦円満、除災加護の現世利益が説かれています。
西明寺では「倍返りお守り」が授与されています。
出るお金に感謝すると、倍になって帰ってくるとされています。
渡り廊下
本堂と聖天堂とは渡廊で結ばれ、奥には苔庭があります。
苔庭-宝篋印塔
苔むした自然石の上に宝篋印塔が建っています。
土蔵
苔庭の左側には白壁の土蔵が見えます。
高野槙
本堂前の左側に樹齢700年とされる高野槙の木が聳えています。
鎌倉医時代に我宝自性上人により、手植えされたと伝わります。
歌碑
木の根には「白露の おのが姿を そのままに 紅葉におけば 紅の玉」と詠まれた
上人の歌碑が建っています。
鐘楼
鐘楼は元禄時代(1688~1704)に建立されました。
梵鐘には黄檗宗の僧・月潭道澄(げったん どうちょう:1636~1713)の
銘文が刻まれています。
庫裏
本堂の左側に庫裏があります。
客殿
庫裏の左側に本堂より古く、江戸時代前期に移築された客殿があります。
かっては食堂と称され、僧侶の生活や戒律の道場として使用されていました。
池
客殿前には池があります。
馬の塔
また、4頭の馬が立つ石柱が建っています。
仏教の重要な聖地のひとつであるサールナートにあるアショーカの尖塔(せんとう)を
模したものかもしれませんが、アショーカ王の尖塔は馬ではなく、
インドライオンが背中合わせに並んでいます。
橋
境内を西側へ進むと急傾斜の下り坂となり、境内を出て坂を下った所には
清滝川が流れています。
清滝川
橋から上流の方を見ましたが、ここからは西明寺に入る際に渡った
指月橋は見えませんでした。
川からは河鹿カエルの涼しげな鳴き声が聞こえてきます。

橋を渡り、清滝川沿いに下流の方へ進み、神護寺へ向かいます。
続く

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