山門
光悦寺の北向かいに圓成寺があります。
圓成寺は山号を清雲山と号する日蓮宗の寺院で、
洛陽十二支妙見めぐり・亥(北北西)の札所です。

延暦13年(794)に平安京に遷都された第50代・桓武天皇は、都の四方に妙見大菩薩を、
四隅に法華経を納め、建都されたと伝わります。
天皇は正月元旦の四方拝で、妙見尊星に一年の安穏を祈られました。
北方を守護する妙見大菩薩として、かってこの地に北山霊巌寺(れいがんじ)が
あり、毎年3月3日と9月9日に御燈会が執り行われ、勅使の奉幣がありました。

霊巌寺は、入唐八家の一人・円行が承和6年(839)に帰国してから後、
勅命を受けて創建しました。
円行(799~852)は、元興寺で華厳宗の僧として得度・受戒しました。
弘仁14年(823)からは空海に師事するようになり、承和5年(838)に
入唐請益僧(にっとうしょうやくそう)となって唐に渡りました。
帰国後に四天王寺の初代別当に任ぜられています。

平安時代末期に成立したと見られる『今昔物語集』第31の第20話に
「霊巌寺の別当、巌(いわお)を砕く」の題で、
「この寺は妙見菩薩が顕現(けんげん)される所である」と記されています。
「寺の前に三町ばかり離れて巌角(いわかど)があって、
人がかがんでやっと通れるだけの穴になっていた。霊験あらたかなので、
人々はこぞって参詣し、僧房を重なるように建て並べ、繁盛このうえもなかった。」
しかし、別当は自分の利益のために巌角を壊してしまい、以後寺は荒廃したと
記されています。

日任(にっとう)上人は、霊夢を受けて寛永7年(1630)に改めて
この由緒ある妙見霊場を開き、圓成寺を開山しました。

山内の撮影が禁止されていますので、画像はありません。
諸堂配置図-図
諸堂配置図-文
諸堂配置図の円の中に妙見宮があり、
札所本尊でもある妙見大菩薩像が安置されています。
「岩戸妙見大菩薩」と呼ばれ、像高2mの石像で大きな亀の上に乗り、
右手に破邪の剣、左手に白蛇を握り、光背に北斗七星を戴く姿で、
古墳状の石室の中に鎮座されています。

妙見宮の向かって右側に白雲弁財天社、左側に七面社があります。
白雲弁財天は御所にある白雲神社から勧請されたと伝わり、
代々の住職の守護神とされています。

七面社には七面大明神(しちめんだいみょうじん)が祀られています。
山梨県の七面山山頂に住み、法華経を守護する女神とされています。

諸堂配置図の円の上、③の常富殿には常富大菩薩が祀られていると思われます。
圓成寺では当地一帯の山神であり、北山霊巌寺の地主神であったとされています。
一方、常照寺では学僧に化けた白狐が正体を見破られ、
能勢・妙見山に登って修行を重ね、常富大菩薩となったと伝わります。

諸堂配置図の常富殿の上、④の巌門の滝は「常富光出の滝」とも呼ばれています。
巌門の滝-1
圓成寺の北方に霊巌寺の巌角の一部とされる岩が残されています。
府道31号線開通のために岩が削られたと推定されます。
巌門の滝-2
府道の下にも岩が続き、岩と岩の間は現在は水が乏しですが滝があり、
その滝に常富大菩薩が出現したと伝わります。
圓成寺を開いた日任上人がその滝の水を導いたとされています。

鷹峯から下り、今宮神社へ向かいます。

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