(この記事は平成29年(2017)12月22日のものです)
長浜八幡宮は平安時代後期の延久元年(1069)に、源義家が後三条天皇の勅願を受け、
石清水八幡宮を勧請して創建したと伝わります。
源義家は長暦3年(1039)に河内源氏の本拠地である河内国石川郡壺井
(現・大阪府羽曳野市壺井)に生まれたと伝わり、七歳の春に石清水八幡宮で
元服したことから八幡太郎義家と名乗りました。
以後、この地は八幡の庄と称され、庄内十一郷の産土神(うぶすなかみ)として
深く崇敬されるようになりました。
当時その社頭は三千石、一山七十三坊と伝わりますが、戦国時代にはたびたび
兵火にみまわれ、社殿はほとんど消失しました。
天正2年(1574)に長浜城主となった羽柴秀吉により復興され、秀吉の男子誕生を
町民が祝って曳山を造ったのが長浜曳山祭の起源とされています。
境内の南西隅に一の鳥居が建立されています。
鳥居をくぐり、真っ直ぐに伸びる参道を東へと進むと中間辺りの北側に二の鳥居があり、
参道を直角に曲がって本殿へと向かいます。
二の鳥居をくぐった左側に縁松(えにしまつ)があり、二本の松が寄り添うように
立っているのですが、片方の松はまだ若く、親子のように見えます。
松と松の間に張られているしめ縄をくぐると「縁」がいただけるそうです。
鳥居の正面に拝殿があります。
拝殿の右側に神輿庫があり、背後にすっかり雪化粧した滋賀県の
最高峰・伊吹山(標高1,377m)が望めます。
拝殿を回り込むと幣殿があります。
本殿の中御前に誉田別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇)、東御前に
足伸彦尊(たらしなかつひこのみこと=仲哀天皇)、
西御前に息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)が祀られています。
仲哀天皇と神功皇后は夫婦であり、応神天皇の両親となります。
本殿は八幡宮には珍しい神明造となっています。
本殿の右側に摂社の高良神社があり、武内宿禰(たけうちのすくね)が祀られています。
武内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の第12代から第16代まで、
5代の天皇に仕えた忠臣とされています。
八幡神とされる応神天皇にも仕えていたことから、多くの八幡社で祀られています。
長浜八幡宮では、武内宿禰が長寿で5代の天皇に仕えた故事により、
高良神社は「ボケ封じの宮」として崇敬されています。
高良神社の社殿の右側には「ボケ封じ大石」が祀られています。
幣殿の左前に「亀願石」と記され、その背後には穴が空けられた岩が立っています。
「願い通して矢」と称され、願い事を祈念し、
岩の前方にある矢を射って穴に通せば、成就するそうです。
境内を西側へと進んだ所に放生池があり、池泉回遊式の庭園として
長浜市の名勝に指定されています。
羽柴秀吉が八幡宮を復興し、放生会を行うために造られました。
池の島には摂社の都久夫須麻神社があり、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。
竹生島の都久夫須麻神社が勧請されたものと思われます。
市杵島姫命は天照大神の子で、邇邇芸命(ににぎのみこと)が降臨した際に、
養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、
子供の守護神として、崇敬されています。
石清水八幡宮では比咩大神(ひめのおおかみ)として、左御前に祀られています。
放生池から北へ進むと摂社の天満宮があり、菅原道真が祀られています。
天満宮の左側に末社の地主神社があり、大地主神(おおとこぬしのかみ)が祀られています。
土地ごとにそれぞれの地主神がいるとされ、その土地を守護する神とされています。
地主神社の左側に末社の熊野神社があり、家津御子神(けつみみこのかみ)、
熊野速玉神、熊野夫須美神が祀られています。
熊野速玉神と熊野夫須美神は夫婦神とされていますが、家津御子神は定かではありません。
家津御子神は熊野本宮大社の第三殿に祀られ、
素盞鳴尊(すさのおのみこと)の別名とされています。
家津御子神は元は、出雲の熊野大社で祀られていた櫛御気野命(くしみけぬのみこと)が、
和歌山・熊野の地に勧請され、家津御子神として祀られるようになったとされています。
「けつみこ」は「木津御子」とも表記され、櫛御気野命の子・五十猛命(いたけるのみこと)が
紀伊国に木種を撒いたという伝承から命名されたと伝わります。
熊野神社の左側には摂社の金刀比羅宮(ことひらぐう)と末社の
河濯神社(かわそぎじんじゃ)が一つの社殿内に祀られています。
金刀比羅宮には三輪明神の別名を持つ、大物主命(おおものぬしのみこと)が祀られています。
河濯神社には瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)で、人の穢れを早川の瀬で浄めるとあり、
祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神とされています。
金刀比羅宮の左側に末社の末広稲荷神社があり、稲荷三神である
宇迦之御魂(うかのみたまのかみ)・佐田彦神(さだひこのかみ)・
大宮能売神(おおみやのめのかみ) が祀られています。
長浜八幡宮の東側に隣接して舎那院があります。
舎那院は、山号を勝軍山、寺号を新放生寺と号する真言宗豊山派の寺院です。
平安時代初期の弘仁5年(814)に空海により開基されたと伝わります。
山号の勝軍山は学頭別当職に就いた源義家による中興の時代
(11世紀後半)に第71代・後三条天皇より賜ったものです。
その後、長濱八幡宮が創建されてからは神宮寺としての勝軍山新放生寺の一院でした。
16世紀後半の度重なる兵火を受けて堂宇を焼失し、羽柴秀吉による
長浜八幡宮復興の際に、新放生寺も再興されました。
明治初年(1868)の神仏分離令により、新放生寺は廃され、神社境内の仏堂は
名称・用途を変更し、仏教に関するものは新放生寺の学頭であった舎那院に移されました。
山門を入った左側に宝暦5年(1755)に建立された鐘楼があります。
美しい彫刻が施されています。
右側には聖徳太子が祀られた太子堂があります。
太子堂の左側に観音堂があります。
観音堂の左側に地蔵堂があります。
堂内には地蔵菩薩像が安置されています。
観音堂の向かいには池があり、池の畔には地蔵菩薩像が祀られています。
参道を進んだ奥に本堂があり、昭和14年(1939)からの長浜八幡宮社域の整備に伴い、
文化7年(1810)に建立された建物が八幡宮から移築されました。
本尊の愛染明王坐像は、鎌倉時代の作で国の重要文化財に指定されています。
元は新放生寺の本堂に安置されていました。
阿弥陀如来坐像は、平安時代後期の作で国の重要文化財に指定されています。
元は新放生寺の本尊でした。
画像はありませんが本堂の左側に室町時代に建立された護摩堂があり、
滋賀県の文化財に指定されています。
本堂と同じく昭和14年(1939)に八幡宮の境内から移築され、
県内の護摩堂としては最も古い遺構です。
その他にも茶室、書院、庫裡、などの建物があります。
近江鉄道ミュージアムに続く
にほんブログ村