社号標
三寶寺から国道162号線まで戻り、国道を市内方面へと走った五差路の角に
福王子神社があります。
かって、この地には延喜式に名前が見える深川神社がありました。
仁和2年(886)に第58代・光孝天皇の勅願により、福王子神社の東方に
仁和寺の建立が着手されました。
しかし、光孝天皇は翌年に崩御され、第59代・宇多天皇が遺志を継ぎ、
仁和4年(888)に仁和寺は落成しました。
昌泰3年(900)に光孝天皇の妃で、宇多天皇の母である班子女王
(はんし/なかこじょおう)が崩御され、神社付近に陵墓が造営されて葬られました。
鳥居
応仁・文明の乱(1467~1477)で深川神社は焼失し、寛永21年(1644)、跡地に
第3代将軍・徳川家光と仁和寺第21世・覚深法親王により社殿が造営され、
仁和寺の鎮守社となりました。
班子女王が祀られ、班子女王が多くの皇子・皇女を生んだ事から
「福王子神社」と称されたと伝わります。
鳥居・拝殿・本殿は寛永21年(1644)に建立され、
国の重要文化財に指定されています。
拝殿
拝殿
入母屋造、銅板葺
本殿
本殿
春日造、銅板葺
夫荒神社-1
本殿の左側に夫荒神社(ふこうじんしゃ)があり、
深川神社が転訛したとの説があります。
夫荒神社
江戸時代には「松尾大明神」とも称され、平安時代に氷室から宮中へ氷を献上する
習わしがあり、その運搬の際に命を落とすこともあった役夫たちの霊を祀り、
安全を祈願したとも伝わります。

仁和寺へ向かいます。
続く

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