ケーブル八瀬駅
高野川に架かる西塔橋を渡ると叡山ケーブル八瀬駅があります。

ケーブルカー
令和3年(2021)1月4日から3月19日まで運休され、3月20日に車体のデザインが
リニューアルされて運行が再開されました。
大正14年(1925)に京都電燈により開業され、昭和17年(1972)に京福電気鉄道へ
譲渡されました。
路線距離は1.3kmで、ケーブルカーとして日本最大の高低差561mを誇ります。

瑠璃光院-山門
ケーブル八瀬駅から高野川沿いに下流方向へ進むと、瑠璃光院があります。
通常非公開で、春と秋に特別公開され、春は例年3月下旬頃から
公開されていましたが、本年は新型コロナの影響か、4月頃からとなります。

瑠璃光院は、岐阜市に本坊を置く「浄土真宗・無量寿山光明寺」の支院で、
本尊は阿弥陀如来です。
かって、この地は京福電鉄の前身である京都電燈などの創業者・田中源太郎
(1853~1922)が所有し、庵を営んでいました。
その庵に明治政府の太政大臣・三条実美(さんじょう さねとみ:1837~1891)が
「喜鶴亭」と名付け、直筆の命名額を下しました。
その額は現在も瑠璃光院に保存されています。
田中の死後は京都電燈重役の個人別荘となり、大正末期から昭和にかけて
現在のような建物と庭園が造営されました。
1万2000坪の敷地に、中村外二(なかむら そとじ)が数寄屋造りの建物を建て、
自然を借景とした庭園は佐野藤右衛門一統によるものとされています。

昭和17年(1942)に戦時の配電統制令により、京都電燈が解散され、
同社の鉄軌道事業を引き継ぐため京福電気鉄道が設立されました。
別荘も同社の所有となり、高級料理旅館「喜鶴亭」として
営業されていました。
その後、料理旅館は廃業され、光明寺が買収して本堂が置かれて
平成17年(2005)に寺院に改められました。
春と秋に特別公開されていますが、特に秋は紅葉の名所として、
過去には拝観迄、数時間の待ち時間を要したこともあったようです。

社号標-北
瑠璃光院の先で車道が南西方向に向きを変えた先に、御蔭神社の社号標が
建っていますが、その先の道は細くてちょっとした段差もあり、
スクータータイプのバイクでは、少し底をこすりました。
その先を左へ入りますが、この間は自動車は入れませんので、
バイクはどこに停めても差し支えありません。

鳥居
しばらく進むと鳥居が建っています。

史跡
左折して鳥居をくぐって進むと御蔭神社があり、
境内地は国の史跡に指定されています。
図の現在地は社号標が建っていた所です。

拝殿
太古、賀茂の大神が降臨された山と伝わり、「御生山(みあれやま)」と
呼ばれ、東山三十六峰の第二番目の山です。
また、太陽のただ射す所として「御蔭山」と呼ばれ、
それに因んで社名ともなりました。
神魂命(かみむすびのみこと)の孫とされる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
は、神武東征の際、高御産巣日神(たかみむすびのかみ=高木神)・
天照大神の命を受けて八咫烏(やたがらす)に化身し、熊野から橿原宮への
案内をして神武天皇元年(BC660)に初代・神武天皇が即位しました。

その後、この地に降臨され、第2代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)の
時代(BC581~BC549)に御蔭祭の起源となる御生神事が始まったとされています。
この地は山背北部豪族の祭祀の中心地であり、近隣には数々の遺蹟が残されています。
第40代・天武天皇6年(677)に山背国司により社殿が造営されたと伝わり、
賀茂神宮であったとする説があります。
現在地より北東の麓に造営されていたのですが、地震等で被災したため
現在地へ遷座されました。

本殿
現在の社殿は元禄6年(1693)の式年遷宮の際に造替されました。
また、一説では文政13年7月2日(1830年8月19日)に発生した亀岡市付近を震源とする
M6.5前後の文政の大地震により、比叡山西峰が崩落して旧社殿が埋没し、
現在地へ遷して天保6年(1835)の第27回式年遷宮に合わせ、
現在の社殿が造営されたとする説もあります。
昭和39年(1964)の第32回式年遷宮に合わせて本殿及び拝殿の檜皮葺が
柿葺きに替えられ、平成15年(2003)の第33回式年遷宮に合わせて
本殿の解体修理が行われました。

本殿は東殿と西殿があり、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と
賀茂建角身命の荒魂が祀られています。

明治17年(1884)には御生神事が名称を「御蔭祭」へ改められました。
御蔭祭は、御蔭神社で祀られている玉依姫命と賀茂建角身命の荒魂を
賀茂御祖神社(下鴨神社)へ遷し、本社の神威を込めるための重要な儀式です。
荒魂は御生となり、賀茂御祖神社の和魂(にぎたま)と合体し、
再生するとされています。
御蔭祭はかっては旧暦4月の午の日に行われていましたが、
現在では5月15日の葵祭に先立ち、5月12日に行われています。

社号標-南
御蔭神社から叡電・三宅八幡駅の方へ抜けると、参道や社号標も整備されています。
御蔭祭の当日はこちらから御蔭神社へ参拝されます。
荒魂が御生木に宿り、神霊櫃に納められて御蔭神社を発ちます。

叡電
横には叡山電鉄の線路が通っています。
ここから峠を越えると赤山禅院への近道ですが、
三宅八幡駅の方へ向かい川端通りから松ヶ崎大黒天へ向かいます。
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