止止呂支比売命神社(とどろきひめのみことじんじゃ)からほぼ南へ20分余り、
バイクで走った所に家原寺があります。
駐車場への入口脇に南大門(仁王門)があります。
建立された年代は不明ですが、家原寺最古の建造物とされています。
かっては運慶・快慶作と伝わる仁王像が安置されていましたが、明治の神仏分離令による
廃仏毀釈で家原寺は荒廃し、仁王像はフランス人に売却され、現在は米国ワシントンの
フーリエ博物館に収蔵されていることが確認されています。
現在の仁王像は明治時代に近郊の寺院から遷されました。
駐車場の東側には支院の中院と本坊の清涼殿があります。
駐車場の端まで進むと境内への入口があり、入った所に護摩堂があります。
護摩堂の右側から参道が伸び、放生池に架かる橋を渡って本堂へと続いています。
参道の右側(東側)北向地蔵尊が祀られています。
護摩堂の北側にある建物の詳細は不明です。
放生池は蓮で覆われています。
橋を渡った左側に鐘楼がありますが、台風か地震で被災したようで、
屋根はブルーシートで覆われ、付近は立入禁止となっています。
鐘楼の向かい側に地蔵堂があります。
堂内には水かけ清水地蔵尊が祀られています。
地蔵堂から奥へと進むと弁才天が祀られた祠があります。
祠の前方の池畔には観音像が祀られています。
池の西側の畔にも弁財天が祀られた祠があります。
池から西側へ進むと「行基菩薩誕生塚」があります。
行基は天智天皇7年(668)にこの地で誕生したと伝わります。
父は高志 才智(こし の さいち)で、王仁(わに)を祖とする百済系渡来氏族とされています。
塚の上には行基菩薩の像を安置したお堂が建立されています。
天武天皇11年(682)、行基は15歳で奈良の大官大寺で出家し、「法行」と称しました。
持統天皇5年(691)、24歳で受戒し名を「行基」と改め、法相宗の僧・道昭(どうしょう)から学びました。
道昭は白雉4年(653)に遣唐使の一員として唐に渡り、玄奘三蔵に師事して法相教学を学びました。
また、架橋や井戸の掘削などの技術を持ち帰り、それが後の行基の活動に影響を与えました。
慶雲元年(703)頃に父が亡くなり、父の追善供養のため、大宝4年(704)に母の実家だった
生家を家原寺に改め、母と共に大和へ移り住みました。
その後、40歳で生駒に移り、43歳の時に母を亡くしました。
行基は「知識結(しきゆい)」とも呼ばれる新しい形の僧俗混合の宗教集団を形成し、
貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動しました。
しかし、寺の外での活動を禁じた「僧尼令」に違反するとされ、糾弾されて弾圧を受けました。
養老7年4月17日(723年5月25日)に三世一身の法(さんぜいっしんのほう)が発布されると、
行基の活動は朝廷にとっても好ましものとなり、弾圧は緩められていきました。
天平12年(740)、第45代・聖武天皇は行基に大仏建立の協力を依頼しました。
天平17年(745)、行基は東大寺大仏造営の勧進で大きな成果を上げ、
朝廷より仏教界における最高位である「大僧正」の位を日本で最初に贈られました。
行基は大仏造営中の天平21年(749)に81歳で亡くなり、
朝廷からは「菩薩」の諡号が授けられました。
その時代から行基は「文殊菩薩の化身」と伝承されるようになりました。
「行基菩薩誕生塚」の北側に開山堂があります。
堂内には右に弘法大師、左に叡尊と思われる像が安置されています。
家原寺のHPでは中央に行基菩薩と思われる像が掲載されていますが、
出張されているのかもしれません。
経緯は不明ですが、家原寺は高野山真言宗の別格本山でした。
平成30年(2018)に独立し、単立寺院となりました。
叡尊は寛元3年(1245)に家原寺を再興しました。
多くの塔頭を有するようになりましたが、その後の戦乱で兵火を受け、衰退していきました。
江戸時代に徳川御三家に次ぐ家格を有する田安家の帰依を受け、
寺領が寄進されて本堂などが再建されました。
しかし、明治の廃仏毀釈で再び荒廃しました。
開山堂から東へ進んだ北側に「ぼけ除け観音像」が祀られています。
現在の本堂は慶安元年(1648)に再建されました。
本尊は文殊菩薩で、日本で最初に文殊菩薩を祀ったとされています。
「智恵の文殊」と呼ばれ、受験生などからの信仰を集め、
本堂の壁に直接願い事が書かれて「落書き寺」とも呼ばれるようになりました。
現在は壁への落書きは禁止されて「祈願ハンカチ」が授与され、
それに願い事を書き入れ、外壁に貼られています。
それに伴い現在の別称は「ハンカチ寺」となりました。
また、賓頭盧尊者像も安置されていますので、頭を撫でれば頭が良くなるかもしれません...。
本堂の右側(東側)へ進むと経蔵と思われる建物がありますが、
文字が消えていて確証はありません。
境内東側の小高い所に薬師堂があります。
本尊の薬師如来の両脇に、日光・月光の両菩薩像が安置され、
周囲を十二神将像が守護していますが、非公開です。
家原寺は西国薬師四十九霊場の第15番札所となっています。
薬師堂の前には堺市の保存樹に指定されている「やまももの木」が聳えています。
薬師堂の南方向に三重塔があります。
塔内は非公開ですが極彩色を施し、金剛界大日如来を本尊として安置されています。
家原寺は仏塔古寺十八尊霊場の第一番札所で、札所本尊は不動明王となっています。
家原寺は昭和の初めから復興が始まり、本堂の修復などが行われ、
三重塔は平成元年(1989)に再建されました。
三重塔の付近にはインド風の顔立ちの仏像が祀られています。
また、弘法大師像も祀られています。
石垣とそれに続く塀沿いには多数の石仏が祀られています。
法楽寺へ向かいます。
続く
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