鳥居
法金剛院から丸太町通りを東へ進み、JR花園駅前を通りぎた
「花園駅前」の信号を左折して北へ進んだ先に今宮神社があります。
長和4年(1015)、都に疫病が流行した際、第67代・三条天皇(在位:1011~1016)の
託宣により神殿が建立され、厄除け神である
素戔嗚尊を祀ったのが始まりとされています。
その後一時衰微しましたが、永承7年(1052)に再び疫病が流行したため、
第70代・後冷泉天皇は神社を造営して御霊会を執り行いました。
神仏が習合し法金剛院仁和寺の鎮守社となり、寛永21年(1644)には
第3代将軍・徳川家光の保護を受けて覚深法親王により、仁和寺再興の一環として
現在の本殿、拝殿、末社・松尾社が造営されました。
かつては祇花園社(ぎけおんしゃ/ぎはなぞのしゃ)、
花園社(はなぞのしゃ)とも呼ばれました。
社格は旧村社で、右京区花園、太秦安井などの産土神となっています。
松尾社
鳥居をくぐった左側(北側)に末社の松尾社があり、松尾大社の祭神・大山咋神
(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が
祀られていると思われます。
松尾社は寛永21年(1644)に造営され、壱千年を祈念して
平成26年(2014)に修復されました。
拝殿
拝殿は寛永21年(1644)に造営されてから、平成26年(2014)の壱千年を祈念して
屋根が木賊葺(とくさぶき)に葺き替えられました。
木賊は、トクサ科の常緑、多年生のシダで、山間の川辺などに生えています。
本殿-1
本殿は寛永21年(1644)に造営されてから、明和4年(1767)の修復、
それ以降も修理や修復が再三行われ、平成14年(2002)には
屋根が檜皮葺に葺き替えられました。
本殿-2
祭神は素戔嗚尊とされていますが、神仏習合時代には牛頭天皇だったと思われます。
牛頭天皇は祇園社の祭神であったことから、祇園天神とも称され、
平安時代から疫病神として崇められてきました。
本殿-3
その後の御霊信仰の影響をから御霊を鎮めるために祀られ、平安末期には
疫病神を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出して市中を練り歩いて
鎮祭するようになり、祇園祭の起源となりました。
その祇園祭も、今年は疫病が流行し、科学の力で感染のメカニズムが解明されて
巡行が中止されました。
治療薬やワクチンが開発され、疫病の終息を祈願しました。

妙心寺へ向かいます。
続く

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