上高地の明神池畔にある穂高神社の奥宮へ参拝してきました。
当日はGo Toトラベルを利用したバスツアーで、通常の直通バス料金の半額程度で、
弁当と地域共通クーポン2,000円の“おまけ”まで付きました。
ななもり清見からの景観
ななもり清見からの景観
名神高速道路から東海北陸自動車道、更に中部縦貫自動車道に入り、
高山西インターで降りた直ぐの所にある道の駅・ななもり清見で休憩しました。
現在のこの地・牧が洞集落は中世の頃、「七森」、「七郷」と呼ばれていたのが、
道の駅の名の由来となっています。
烏帽子岩
道の役に置かれている「烏帽子岩」は、かってこの地を支配する土豪に
崇拝されていた巨石で、中部縦貫自動車道建設のルート上にあったため、
この地へ移されました。
乗鞍岳
遠くに乗鞍岳(3,026)が望めます。
20年くらい前の夏に残雪でのスキーを楽しむために乗鞍スカイラインの駐車場で
車中泊し、翌朝登頂したことがあります。
ループの橋
平湯街道を走るバスの車窓からの光景です。
大きくループして坂を下り、この橋を渡って安房トンネルへと向かいます。
焼岳
大正池で下車することができました。
12時過ぎで、15:30までが自由時間となります。
大正池はこの焼岳(2,455m)が、大正4年(1915)6月6日に水蒸気噴火の大爆発を
起こし、流れ出た泥流により梓川が堰き止められて形成されました。
以後も度々水蒸気爆発を起こし、平成7年(1955)2月11日には、その爆発による泥流で、
安房トンネルの長野県側で、取り付け道路の工事に従事していた作業員ら4名の
尊い命が失われました。
大正池
有名な大正池からの穂高連峰。
左から西穂高岳(2,909m)、その奥に日本第3位の高峰・奥穂高岳(3,190m)、
吊尾根を挟んで右側に前穂高岳(3,090m)、その手前が明神岳(2,931m)です。
吊尾根の中央が岳沢で、上高地から前穂高岳や奥穂高岳への最短ルートが
開かれています。
上高地は中学時代に国語の教科書で読んだ浦松佐美太郎の『たった一人の山』の
一文「梓川」で引き込まれ、高校時代に友人から送って貰った上高地の絵葉書セット
で更に深みにはまることとなりました
大学に入った夏休みに上高地に向かいましたが、予想に反し、
都会のような賑わいでした。
興味は穂高連峰に移り、友人5人と山岳同好会を結成し、涸沢にべースキャンプを
置いたり、槍穂の縦走など、何度か上高地へ訪れましたが、散策するようなことは
ありませんでした。
ただ、心残りは秋の上高地で、絵葉書セットにあった雪化粧した穂高連峰と紅葉の
美しさが忘れられず、バイクで独り上高地へ向かい、敗退したことがあります。
当時の愛車も125ccで、国道をひた走り19号線までたどり着いたのですが、
余りの寒さに耐えかねて、温泉で一泊し、翌日は天気に恵まれず引き返しました。
その後はスキーなどに没頭し、秋の上高地は頭の隅からも消えていました。
何十年かぶりに夢は叶ったのですが、青空に恵まれなかったのが残念でした。
田代池
遊歩道が整備され、15分程歩くと田代池があります。
八右衛門沢などからの流れが、土砂の流入によって堰き止められ、辺り一帯に湿原が
形成されました。
その湿原の中で中心的な緩やか流れの部分が「田代池」と称され、
先で梓川に合流します。
田代橋
田代橋が見えてきました。
田代池の先で遊歩道は「梓川コース」と「林間コース」に分岐しますが、
いずれのコースを取っても所要時間は変わらず、
田代橋の手前で合流して橋を渡って対岸を進みます。
田代橋からの梓川
田代橋からの梓川
田代橋から西穂高岳と焼岳への登山ルートがあります。
西穂高岳まで登り約4時間、下り約2時間半、焼岳まで登り約2時間半、下り約1時間半。
六百山
田代橋を渡った対岸からは、左に六百山(2,450m)、中央の三本槍を挟んで
右に霞沢岳(2,646)が望めます。
六百山と霞沢岳の間に八右衛門沢があります。
ウエストン碑
その先にはウエストン碑が岩の中にはめ込まれていました。
ウォルター・ウェストン(1861~1940)は英国の宣教師で、日本に3度長期滞在し、
日本各地の山に登り『日本アルプスの登山と探検』などを著しました。
日本アルプスの素晴らしさと当時の日本の風習などを世界に紹介し、
日本に近代登山の楽しみを伝えました。
毎年6月第一日曜日の日本山岳会主催によるウェストン祭では、
前日に徳本峠(とくごうとうげ)越えで上高地に入り(所要時間8~10時間)、
当日に式典の他、山岳関係の曲の合唱・山の著名人の講演等が行われます。
西糸屋山荘
河童橋までの梓川の右岸には、4軒の山荘があります。
河童橋-1
河童橋が見えてきました。
大正池から、ほぼ予定通りに50分で到着しました。
対岸には五千尺ホテル、その先に上高地ビジターセンターがあります。
明神だけの崩れ
河童橋からは過去に何度も通った梓川の左岸を進みます。
明神岳が大きく崩れています。
明神
45分で明神に到着しました。
この先、徳澤園、横尾まではそれほどの高低差はありませんが、横尾から涸沢までの
標高差は約700mで所要時間は約3時間、
横尾から槍ヶ岳(3,180m)までは約6時間を要します
今回はここが目的地です。
明神橋
明神橋を渡ります。
カラス
カラスが止まっていますが、近付いても逃げません。
鳥居
鳥居が建っています。
嘉門次小屋
鳥居をくぐった先の左側に嘉門次小屋があり、
国の登録有形文化財に登録されています。
上條嘉門次(1847~1917)は12歳の時から上高地に入り、
松本藩の藩有林の見廻り人夫となりました。
30歳を越えるころ明神池畔に小屋を建て、夏にイワナ、冬にカモシカ、クマなどを
獲って生計を立て、山案内を行うようにもなりました。
ウエストン夫妻を北アルプスへ案内したことで有名になりましたが、猟師が本業で、
小屋での営業は行っていませんでした。
長男・嘉代吉の夫人が大正14年(1925)に山小屋としての営業を始め、
昭和40年(1966)に4代目の輝夫の代から本格的な営業が開始されました。
小屋の囲炉裏にはウエストンから贈られたピッケルと嘉門次が愛用した猟銃が
展示されています。
穂高神社奥宮
小屋の先に穂高神社の奥宮があり、日本アルプスと海陸交通の守護神と
縁結びの神とされる穂高見命(ほだかみのみこと)が祀られています。
穂高神社の本宮は安曇野市穂高に、嶺宮は奥穂高岳山頂にあります。
奥宮の社務所では御朱印の授与も行われています。
龍頭
明神池へは300円の初穂料が必要で、入った所に10月8日に斎行される御船神事の際に
使用される「龍頭(りゅうとう)」と「鷁首(げきす)」が展示されています。
龍は最も早く水を渡り、鵜に似た想像上の鳥である鷁は、風に耐えるに最も強いもの
との意味を有し、妖雲を祓って吉祥瑞気を招くとされています。
明神池-船
池には二隻の船が停泊しています。
毎年10月8日の御船神事で、この飾りを付けた船が池に浮かべられ、
山の安全を神に感謝する神事が繰り広げられます。
明神池は穂高神社の神域で、古くは「鏡池」とも称されていました。
峰宮揺拝所
桟橋の先には嶺宮揺拝所がありますが、正面には明神岳が聳え、
御神体と勘違いしそうです。
奥穂高岳に穂高見命が降臨し、この付近は神々を祀るのに最も相応しい
神聖な場所とされ、古くから、「神合地」、「神垣内」、「神河内」などとも
呼ばれてきました。
明神池-一の池
明神池は一之池と二之池の大小2つからなり、下流側に二之池があります。
梓川の古い流路の低地に明神岳からの湧水がたまってできた池で、
常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しません。
明神池-二の池
二之池は一之池ほど大きくなく、多数の島があります。
明神池-渡れる島
その中には渡れる島もあります。
明神池-多数の島
池の水は透き通り多数の岩魚が泳いでいるのが見えます。
明神池-岩魚
更に二之池の奥へと進みました。
右岸からの明神橋
梓川右岸からの明神橋
明神池から梓川の右岸にも遊歩道があったことを初めて知りました。
14:20にバスターミナルへ向かって下ります。
明神池-三の池
遊歩道沿いの明神池からの流れは「三之池」と称され、
奥に見えるコンクリート造りの橋は、
治山工事車用の林道の橋で、林道は歩行が禁止されています。
川の中の紅葉
流れの中に、枯れずに立ち向かい、葉を赤く染めている木がありました。
岸壁
岸壁の中の岩が人の顔のように見えました。
堆積した土砂
明神岳から大量の土砂が流出しています。
焼岳-2
焼岳が正面に見えてきました。
岳沢の支流
岳沢の支流
岳沢湿原
その先に岳沢湿原があります。
岳沢湿原を迂回
岳沢湿原を迂回するように進みます。
木道
その先も木道を進みます。
河童橋-2
河童橋に到着したのが15:20で、ここからバスターミナルへは約5分の距離です。
チロルのような景色
安房トンネルへ向かう車窓からは、冠雪すればチロルの里のように見えます。
ただ、チロルへは行ったことが無いので正解かどうかは不明です。

Go To第2号は立山・称名滝と黒部峡谷です。

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