鳥居
今出川通を堀川通から約50m東へ進んだ北側に、今出川通に面して
白峯神宮の木製鳥居が建っています。
神門
鳥居をくぐると神門があります。
拝殿
神門を入った正面に拝殿があり、その手前には左近の桜と
右近の橘が植栽されています。
社務所
境内の南西側に社務所があり、その前には家内安全・夫婦和楽の
三葉の松が植栽されています。
蹴鞠の庭
北側に蹴鞠の庭があり、毎年4月14日の春季例大祭・淳仁天皇祭と
7月7日の精大明神例祭「七夕祭」では蹴鞠が奉納されています。
かって、この地には蹴鞠の宗家であった飛鳥井家の屋敷がありました。
飛鳥井家は難波頼経(生誕不詳~1217)の子・雅経(1170~1221)を祖とします。
難波頼経は、源頼朝・義経兄弟が対立した際に義経と親しかったために配流され、
雅経も連座して鎌倉に護送されました。
雅経は、頼朝から和歌・蹴鞠の才能を高く評価され、
建久8年(1197)には赦免されて帰京しました。
その後は後鳥羽上皇の近臣として重んじられ、勅撰和歌集『新古今和歌集』の
撰者の一人となりました。
また、蹴鞠の優れた才能から、上皇からは「蹴鞠長者」の称号を与えられ、
後に飛鳥井流蹴鞠の祖となりました。
明治維新に伴って邸宅は東京に移転し、その跡地が白峯神宮となりました。
本殿
現在の本殿には第75代・崇徳天皇(すとくてんのう:1119~1164)と
第47代・淳仁天皇(じゅんにんてんのう:733~765)が祀られています。
崇徳天皇は、永治元年(1141)に鳥羽上皇から退位を迫られ、近衛天皇(在位:1142~1155)
へ譲位して上皇となりましたが、実権は鳥羽法皇に握られたままでした。
保元元年(1156)に鳥羽法皇が崩御されると保元の乱が起こり、崇徳上皇は敗れて
讃岐国へ配流され、8年後の長寛2年(1164)に46歳で崩御されました。
遺詔により白峯寺で荼毘に付され陵墓が造られました。
白峯寺は空海が弘仁6年(815)にこの地を訪れ、標高357mの白峯山頂に如意宝珠を埋めて、
仏に供える水を汲む閼伽井を掘り、衆生救済の請願をした所に貞観2年(860)、
智証大師円珍が訪れ、千手観世音菩薩を刻んで本尊とし、
安置する仏堂を建立したのが始まりとされています。

上皇の崩御後、天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、上皇が葬られた
白峯陵(香川県坂出市)の隣に、上皇の菩提を弔う為に府中の木丸殿が移築され
法華堂(現:白峯寺の頓証寺殿)が建立されました。
以後、朝廷の命により白峯寺による供養会が営まれるようになりました。
第121代・孝明天皇(在位:1846~1867)は、慶応2年(1866)に幕府に命じて
白峯宮の建設を始めましたが間もなく崩御されました。
第122代・明治天皇(在位:1867~1912)はその遺志を継ぎ、慶応4年(1868)の
旧暦8月18日に白峯宮の創建を宣命し、勅使を白峯陵に送り、上皇の命日の
旧暦8月26日に宣旨を読みあげさせ、その翌日に即位しました。
その勅使により、同年旧暦9月6日上皇の御霊が讃岐国から京都へ遷されました。
頓証寺殿(旧:法華堂)の本尊であった崇徳上皇僧形座像図が白峯神宮で安置され、
その翌日に明治天皇が参拝され、その翌日の旧暦9月8日には明治に改元されました。

第47代・淳仁天皇の神霊は、明治6年(1873)に合祀されました。
淳仁天皇(在位:758~764)は、天平宝字2年(758)に即位しましたが、
政治の実権はほとんど藤原仲麻呂(706~764/後に恵美押勝に改名)に握られていました。
弓削道鏡(ゆげ の どうきょう:700~772)を弓削道鏡を寵愛するようになった
孝謙上皇を、仲麻呂の進言により天皇がこれを諫めたところ上皇は烈火のごとく激怒し、
天皇は上皇と対立するようになりました。
上皇が「天皇は恒例の祭祀などの小事を行え。国家の大事と賞罰は自分が行う」と
宣言したため、天平宝字8年(764)に藤原仲麻呂が政権を奪取しようと
兵力を集めましたが密告され、捕らえられて斬首されました。(藤原仲麻呂の乱)
淳仁天皇は乱には加担していなかったのですが、「仲麻呂と関係が深かったこと」を
理由に廃位を宣告され、天平宝字8年10月14日(764年11月11日)に親王の待遇をもって
淡路国に配流されました。
孝謙上皇は重祚して第48代・称徳天皇(在位:764~770)となり、淳仁天皇は
称徳天皇の意向により、長らく天皇の一人と認められず、
「廃帝」または「淡路廃帝」と呼ばれていました。
廃帝は天平神護元年(765)10月に逃亡を図りましたが失敗し、
翌日に亡くなって淡路国三原郡に葬られました。
明治3年7月24日(1870年8月20日)に、明治天皇から「淳仁天皇」と諡号を賜られ、
白峯神宮へ合祀されると神宮は官幣中社となり、昭和15年(1940)8月1日には
官幣大社に昇格し、神宮の号を許され「白峯宮」から「白峯神宮」と改称されました。
現在は神社本庁の別表神社に列せられています。
本殿前の鈴
本殿前には重い鈴と軽い鈴が祀られ、鈴を持ち上げ、願い事を込めながら1~2回振り、
ガラガラと音を出すと新たな願いが成就するとされています。
潜龍社
本殿の右奥に潜龍社(せんりゅうしゃ)があり、白峯龍王命・紅峯姫王命・
紫峯大龍王命が祀られています。
昭和30年(1955)に本殿にて御火焚祭の斎行中、炎の中に出現した
三柱の龍神とされています。
社殿前に龍の口から湧き出ている潜龍井の水は、飲むと諸々の悪縁を断ち、
災難除・病気平癒・事業隆昌などに霊験ありとされています。
伴緒社
南側に伴緒社(とものおしゃ)があり、 源為義・源為朝父子が祀られ、
武道の神と信仰されています。
源為義(みなもと の ためよし:1096~1156)は、保元元年(1156)の保元の乱で
崇徳上皇方につき、敗れて為義の長男・義朝(1123~1160)により斬首されました。
為義の父・源義家(1039~1106)の死後、河内源氏は内紛によって都での地位を
凋落させていましたが、都から東国へ下向した義朝は、
在地豪族を組織して勢力を伸ばし、再び都へ戻って下野守に任じられました。
義朝は鳥羽法皇に接近し、為義は摂関家と結んで競合・対立していくことになり、
保元の乱では敵対して争いました。
源為朝(1139~1170)は為義の八男で、保元の乱では父と共に崇徳上皇方に参加したため、
敗れて伊豆大島へ配流されました。
為朝は剛弓の使い手で、身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、伊豆大島でも
国司に従わず、大暴れして伊豆諸島を事実上支配したことから、
追討を受け自害して果てました。
崇徳天皇歌碑
南側には崇徳天皇欽仰(きんぎょう=尊敬し慕うこと)之碑が建立されています
「瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の われても末に あはむとぞ思ふ」
現代語訳:浅瀬の流れが速く、岩にせき止められた滝川が2つに分かれても
その後には合流するように、愛しいあの人と今は分かれても、
いつかはきっと再会しようと思っている。
地主神社-1
地主社の右御前には柊大明神(ひいらぎだいみょうじん)と
糸元大明神が祀られています。
糸元大明神は織物繁栄・和装の神で、柊大明神は魔除・厄除の神とされ、
毎年2月3日に行われる節分祭では、その時期に限り厄落しには絶大なる
「柊護符」が授与されます。
地主神社-2
中御前には精大明神(せいだいみょうじん)が祀られています。
「まり精大明神」とも呼ばれ、飛鳥井家の邸内社として祀られていたものを
地主社として引き継がれています。
球技・スポーツ芸能上達の神とされることから球技のボールが多数奉納されています。
また、毎年7月7日に例祭が行われることから「七夕の神」とも呼ばれています。

左御前には学業成就の神とされる白峯天神と無病息災の神とされる
今宮大神が祀られています。
白峯神宮の創建時に中御前へ左右御前の神々を合祀して地主社とされました。
蹴鞠の碑
右側には蹴鞠保存会の創立百周年を記念する「蹴鞠の碑」が建てられ、
球技上達の「撫で鞠」が埋め込まれています。
蹴鞠保存会は明治36年(1903)に創立され、蹴鞠の技術・作法・有職故実等の伝統継承が
行われています。
オガタマの木
境内の南東側に聳える「オガタマの木」は、飛鳥井家の邸宅であった時代に
植えられたものと推定され、市内最大で京都市の天然記念物に指定されています。
西村尚歌碑
その左側には西村尚(ひさし:1935~2014)の歌碑が建立されています。
「小賀玉の しじ葉がもとの 飛鳥井の 井筒むかしの 物語せよ」
手水舎
手前にある手水舎は、清少納言が『枕草子』第百六十八段で
「飛鳥井は、ほりかねの井」と他にも八つの名水をあげていますが、
明確に現存するのは飛鳥井のみです。
室町第の碑
白峯神宮を後にして今出川通を東へ進むと、室町通との角に
「従是東北足利幕府室町第址」の碑が建っています。
室町第は足利第3代将軍・義満(在職:1369~1395)が永和4年(1378)に造営した邸宅で、
室町通に面して正門が設けられたことから「室町殿」、「室町第」と呼ばれました。
元の室町家の花亭と今出川家の菊亭を併せて1つの敷地としたため、広大な敷地を
有する邸宅で、現在の同志社大学今出川校地の烏丸通を挟んで向かい側の場所にある
同志社大学・寒梅館以南に位置していました。
鴨川から水が引かれ、花がたくさん植えられた庭園の美しさから「花の御所」とも
呼ばれましたが、度重なる戦乱により消失と再興が繰り返されたため
当時の建物は残されていません。

今出川通から烏丸通を北上し、同志社大学・寒梅館の南に隣接する
大聖寺へ向かいます。
続く
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