鳥居
神仏習合時代を偲ばせる鳥居
安禅寺から南へ進んで府道201号線を西に進み、新幹線をくぐって次の丁字路を
北上した先に蔵王堂光福寺があります。
山号を醫(医)王山と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で、
京都洛西観音霊場の第19番札所です。
参道の桜は吉野との縁により植えられています。
仁王門
仁王門
天歴9年(954)、第62代・村上天皇の勅願を受けた浄蔵貴所(じょうそうきしょ)により
蔵王堂光福寺が創建されました。
浄蔵貴所は金峯山で蔵王権現を感得し、村上天皇の命を受けて
平安京の裏鬼門を守護する地を求めて桂川を遡っていました。
当地にさしかかった時、西の一村が光り輝き、背負っていた蔵王権現が
急に重くなって動けなくなりました。
「この地は薬師、弁財天女の地主なり」とのお告げがあり、蔵王権現有縁の地とされました。
寺号は弁財天女の異名「福宝光明女」により「光福寺」、
山号は薬師如来の別名「大医王仏」から「医王山」と定められました。
クスノキ
境内には京都市の保存樹に指定されているクスノキなど、
3本のクスノキが境内を取り囲むように聳えています。
「蔵王の森」と呼ばれ、京の七つの森の一つに数えられていました。
地蔵堂
地蔵堂
拝殿
拝殿
毎年8月31日の八朔祭では、国の重要無形民俗文化財に指定されている
久世六斎念仏が行われています。
六斎念仏は、平安時代に空也上人(くうやしょうにん)が念仏を広めるために行った
踊念仏が始まりとされ、日本各地に広まりました。
「六斎」というのも元々は仏教用語で、毎月8日、14日、15日、23日、29日、末日は
特に厳しく念仏のお勤めをしなければならないという、
六斎日(ろくさいにち)」の考え方からきているとされています。
六斎念仏を始めるに当たって、多くの場合は講が形成され、
各講は管轄の寺院より免許を受けるのが決まりとなっていました。
京都では干菜寺(ほしなでら=干菜山光福寺:京都市左京区田中上柳町)と、
空也堂(紫雲山極楽院光勝寺:京都市中京区亀屋町)で、
「干菜寺系六斎」「空也堂系六斎」と分類されることもあります。
「空也堂系六斎」は、使用する楽器に笛を取り入れ、念仏から離れた
娯楽要素の強い曲目が演奏されることから、
「六斎念仏踊り」とも「芸能六斎」とも呼ばれます。
京都では国の重要無形民俗文化財に指定されている保存会が15あり、
ほとんどが「芸能六斎」を演じています。
一方、「干菜寺系六斎」は芸能化を認めなかったとされ、
西方寺円覚寺六波羅蜜寺で伝承されています。
蔵王堂光福寺は、室町時代から江戸時代を通じて近郷民衆の諸事集合の
拠点となっていたことから久世六斎念仏が発祥したと考えられています。
蔵王堂
蔵王堂
中央に蔵王権現、向かって右側に役行者と浄蔵貴所像、
左側に観世音菩薩と地蔵菩薩像が安置されています。
蔵王堂光福寺は、創建当初は四宗兼学でしたが、寺の周囲が
教王護国寺(東寺)の領地であったことから東寺の支配下となり、
近世以降は天台宗の三鈷寺の末寺となりました。
その後江戸時代に復興され、西山浄土宗に改宗されたと伝わります。
子守勝手神社
子守勝手神社
弁天堂
弁天堂
まず弁天堂に参拝し、次に薬師堂、子守勝手神社、
そして蔵王堂へ参拝するのが順序とされています。
不動堂
蔵王堂の左側にある不動堂には大聖不動明王が祀られています。
不動堂-鬼瓦
不動堂の前には鬼瓦などが展示されていますが、詳細は不明です。
山門
山門
本堂
本堂

称讃寺へ向かいます。
続く

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村