金剛城寺から南東方向の神積寺へ向かうと、市川に架かる月見橋を渡ります。
橋を渡って少し南下した所で左折し、道なりに東へ向かった突き当りに
放生池があり、島には弁天堂があります。
弁天堂内にあった棟札から天保7年(1836)に再建されたことが判明しました。
堂内には像高48cmの弁財天坐像と、それを取り巻く十五童子像が祀られています。
横穴式石室は神崎郡域では最大級の規模で、全長12.4m、高さ6mの玄室がありますが、
現在は土が中に入り込み、高さが低くなっているようです。
古墳から山手へと進んだ所に神積寺の奥の院(開山堂)があり、
開山の慶芳上人が祀られています。
神積寺は山号を「妙徳山」と号する天台宗の寺院で、
西国薬師四十九霊場の第24番札所です。
寺伝によると、平安時代の正暦2年(991)、大納言・藤原範郷の子で
慈恵大師・良源(=元三大師:912~985)の高弟であった慶芳内供が
第66代・一条天皇(在位:986~1011)の勅願寺として創建されたと伝わります。
第67代・三条天皇(在位:1011~1016)の勅願所となり皇子である
覚照が帰依したことで、七堂伽藍と五十二院を数える大寺院として隆盛し、
更に第76代・近衛天皇(在位:1142~1155)の宣示により
播磨天台六山の1つに数えられました。
奥の院から山上に西国三十三所観音霊場の各本尊の石仏が祀られ、
こちらは出口のようです。
奥の院から本堂の方へ戻ると、江戸時代の寛文3年(1663)に建立された
鐘楼堂があります。
神積寺は鎌倉時代の延慶2年(1309)に全山焼失し、天正15年(1588)に再建されました。
明治3年(1870)までは、明治の神仏分離令以前の鎮守社であった岩尾神社の
文殊会式には毎年、勅使下向がなされていました。
本堂には、室町時代作で像高88.5cmの薬師如来坐像が安置され、
国の重要文化財に指定されていますが、60年に一度開帳の秘仏とされています。
脇侍には文殊菩薩と毘沙門天像、日光・月光の両菩薩像と
十二神将像などが安置されています。
本堂前には賓頭盧尊者像が安置されています。
本堂の左側に西国三十三所観音霊場の各本尊が祀られた入口があります。
山中を奥の院の方へと祀られています。
入口付近には行者堂があり、法道仙人が祀られています。
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