尺代
若山神社から戻ると車道は山中へと登り、それが下り坂となった先で
尺代の集落が一望できます。
集落の前に水無瀬川が流れ、河岸から山側の斜面を削るようにして、
民家が建ち並んでいます。
乙女の滝
集落から水無瀬川の上流は「山吹渓谷」と呼ばれ、川沿いのハイキングコースには
名所の「乙女の滝」があります。
「乙女の滝」はか細い線のような流れから名付けられました。

かって、渓谷では水車を利用して製油業や線香作りが営まれていました。
江戸時代から始まったとされ、昭和に入ってからは、使用済バッテリーの
エボナイトを粉末にして再生するようになったとされていますが、
現在は廃業されて水車も朽ちています。

また、アマゴ・ニジマスの管理釣り場もあります。
諏訪神社
集落の左側の最も高い所に諏訪神社があり、
神社から下って右に進んだ所に西光寺があります。
釈恩寺跡
右側の神社と同じ高さの位置に釈恩寺跡があります。
釈恩寺跡は、天平年間(729~48)に行基が、尺代の観音に開基したと伝わります。
その頃は、かなりの大寺であったことが推定されているのですが、
いつの頃からか当地に遷されました。
本尊であった十一面観音菩薩立像は島本町最古の仏像だそうです。
本堂
集落から府道734号線に入って北上し、その先のUターン状のカーブを曲がらずに
北上した先に乗願寺があります。
乗願寺は山号を浄土山と号する西山(せいざん)浄土宗の大本山・光明寺の末寺です。
大仏碑
入口の脇には愛宕山の石灯籠と「大ほとけ」と刻まれた石碑が建っています。
本堂-扁額
寺伝によれば乗願寺は天延年間(973~76)に、恵心僧都がこの地で修行中に
阿弥陀仏の来降を拝み、その姿を写して仏像を刻み、
草庵を結んだのが始まりとされています。
浄土谷一帯は平安時代以前に開かれたとみられ、
「観音檀」からは九世紀の千手観音立像が出土しました。

平安時代の末期には浄土信仰が盛んとなり、乗願寺の伽藍も整えられたと伝わりますが、
その後は荒廃して変遷の詳細は不明となりました。
現在の本堂は江戸時代の寛政3年(1791)に建立されました。
本堂には「猫が入るため戸を閉めてください」と記されています。
阿弥陀仏
本尊の阿弥陀如来坐像は、西山の大仏(おおぼとけ)とも呼ばれ、
像高2.8mもあり圧倒されます。
平安時代後期の作とされ、定朝様式の顔立ちが整った美しい仏様で、
しばらく見とれていました。
阿弥陀如来坐像は、京都府の指定文化財ですが、触れることも許されています。
男性は大仏さまの左膝に、女性は右膝に触れて拝し、
現在の幸運が続くように願う場合は右回りに、不運の好転を願う場合は
左回りに大仏の周囲を回ります。
左右は大仏さま側からです。
十一面観音
阿弥陀如来坐像の右側に、洛西三十三所観音霊場・番外札所の本尊である
十一面観音立像が安置されています。
写真がブレてしまったのが残念です。
法然上人像
左側には、法然上人の木像が安置されています。
御谷神社-鳥居
乗願寺の右奥に御谷神社があります。
御谷神社の創建やその後の変遷の詳細は不明ですが、延長5年(927)にまとめられた
延喜式神名帳に見える「御谷神社」に比定されています。
室町時代の天文23年(1554)に湯河次郎左衛門春信が
本殿を修造した旨を記した棟札が残されています。
安土・桃山時代~江戸時代に、「五社明神」と称し、浄土谷の産土神とされました。
石清水八幡宮・春日大社・稲荷大社・上賀茂神社・下賀茂神社の祭神が
祀られていましたが、明治になって式内社の御谷神社と改められました。
御谷神社
本殿は覆屋に納められています。
天児屋根命(あめのこやねのみこと)・応神天皇・別雷神(わけいかづちのかみ)・
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られています。
弥勒谷石仏
車道に戻って先に進むと、柳谷通に合流します。
その合流点に弥勒谷十三石仏が祀られ、死者の冥福と極楽往生が祈願されました。
十三仏とは、江戸時代になってから日本で考えられた、追善菩提のために、
初七日から三十三回忌までの十三仏事に当てられた仏のことです。
案内地蔵
向かい側には「案内地蔵」が祀られています。
案内地蔵は柳谷道に沿って数体が祀られています。

柳谷観音へ向かいます。
ここから上り坂が更にきつくなります。
続く

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