妙見堂
安楽寺の直ぐ南側に霊鑑寺の妙見堂があります。
霊鑑寺は洛陽十二支妙見めぐり・卯(東)の札所ですが、霊鑑寺は春と秋に
のみにしか開門されません。
妙見堂は門の外にありますので、閉門時でも参拝は出来ますが、
御朱印の授与は不明です。
寺号標
妙見堂の南に山門があります。
令和3年(2021)春は3/20~4/4まで10:00~16:30の時間帯に開門され、
拝観料は600円です。
山門
霊鑑寺は山号を「円成山」と号する臨済宗南禅寺派の尼門跡(あまもんぜき)寺院です。
慶長7年(1602)に持明院基子(?~1644)は、第107代・後陽成天皇の第六皇子・
堯然法親王(ぎょうねん ほっしんのう:1602~1661)を出産しました。
慶長17年(1612)、後に堯然法親王が門跡となる東山にある妙法院の領地であった
鹿ケ谷(ししがたに)の渓流沿いに屋敷を構え、寛永21年(1644)に薨去されました。
屋敷は第108代・後水尾天皇の皇女・谷宮(1639~1678=宗澄女王)に譲られ、
基子が薨去される前年の寛永20年(1643)に基子の希望により寺院が建立されました。
谷宮を開基として後水尾上皇により創建され、「谷御所」とも
「鹿ケ谷比丘尼御所」とも呼ばれました。
承応3年(1654)に東方山中にあった荒廃していた如意寺の本尊・如意輪観音と
霊鏡が遷され、「霊鑑寺」と改められました。
延宝6年(1678)に谷宮が薨去され、第111代・後西天皇の第3皇女・宗栄女王
(1658~1721)が霊鑑寺に入り2世となりました。
貞享4年(1687)、後西天皇の旧殿が下賜され、現在地へ移築されて、宗栄女王により
寺観が整えられました。
その後、代々皇女、皇孫女が住職となり、明治23年(1890)までは伏見宮の尼僧が
門跡として在院しました。
玄関
門を入ると左側に大玄関があり、椿で飾られています。
その手前、左奥に納経所があります。
玄関-衝立
大玄関は延宝3年(1675)に建立された後西天皇の御番所でした。
水瓶
大玄関前の水瓶
中門
大玄関の先に中門があります。
書院前庭園
門くぐった正面には池泉鑑賞式庭園が作庭され、かっては東から谷水が
引かれていましたが、現在は枯れてしまっています。
書院
北側の書院は延宝3年(1675)に建立された後西天皇の御休息所で、
貞享2年(1685)に天皇が崩御された後、貞享4年(1687)に下賜され移築されました。
書院・居間には狩野永徳(1543~1590)、狩野元信(1476?~1559)、
円山応挙(1733~1795)により描かれた襖絵がありますが、
今年は書院の公開はありませんでした。
本堂
書院前を通り過ぎると本堂への石段があり、それを登った所に本堂があります。
現在の本堂は、享和3年(1803)に第11代将軍・徳川家斉(いえなり)から
寄進されました。
本尊は如意寺から遷された像高7寸(約21.2cm)で、手に霊鏡を持つ如意輪観音像で、
恵心僧都(942~1017)の作と伝わります。
2尺8寸(84.8cm)の厨子内に納められ、厨子は黒塗りで内側には金箔が張られています。
台座に立つ像高1尺6寸(50cm)の地蔵菩薩像も恵心僧都伝の作と伝わります。
不動明王像は智証大師円珍(814~891)の作とされ、以上が智証大師円珍が創建した
とされる如意寺から遷されました。
現在は臨済宗ですが、創建当初の霊鑑寺は天台宗でした。

弁財天は宗栄女王が夢に見た仏を、厳島神社の大鳥居の朽木で
仏師に刻ませたと伝わります。
普賢菩薩は第119代・光格天皇の皇后・欣子内親王
(よしこないしんのう:1779~1846)の念持仏でした。
天保11年(1840)に光格天皇が崩御され、翌年に出家して女院号宣下を受け、
「新清和院」と号しました。
釈迦如来は第117代・後桜町天皇(1740~1813)の念持仏であったとされています。
阿弥陀如来は第11代将軍・徳川家斉の正室・広大院(篤姫:1773~1844)の
自作とされています。
その他、源頼朝(1147~1199)が兜に入れていたと伝わる念持仏などが
安置されています。
本堂前庭園
本堂前の苔庭
本堂前庭園-椿
境内には30種以上の椿の名木、原木があり、多くは寛政年間(1789~1800)に
植栽されました。
経蔵
本堂から石段を登ると右側に経蔵があります。
布袋硯
その前にあった布袋の硯
天満宮
横に鎮守社として天満宮があります。
稲荷社
その横は稲荷社と思われます。
白い椿
北へ進む参道の白い椿
本堂の屋根
本堂の屋根が見えます。
白い花
よく見るけど名前を知らない花
石段
石段を下ります。
椿‐開花
「秋の山」と記されています。
椿の品種名かは不明です。
椿‐未開花
完全な開花前
花が大きく色が鮮やかで、よく見る椿より美しく思いました。
洗い亭
石灯籠の竿には「洗い亭?」と刻まれています。
崩し字なので正しく読めているかは自信がありません。
渡り廊下
そして、書院から本堂への渡り廊下の下をくぐって拝観コースを終えます。
俊寛山荘
霊鑑寺を出た南側の四つ角に「この奥 俊寛山荘地」の碑が建っています。
俊寛僧都旧跡へ向かいますが、往復で徒歩だと約1時間を要すると思われますので、
後日バイクを利用しました。
続く

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