寝殿
本殿から下って来た右側に寝殿があります。
寝殿は、大正13年(1924)に建立され、木曽の御料林の檜材が使用されました。
八月に開催される如法写経会の道場となりますが、普段は非公開です。
転法輪堂
寝殿の向かいに転法輪堂があり、1Fの洗心亭は無料休憩所と
ギャラリーが併設されています。
転法輪堂は昭和44年(1969)に建立されたものですが、1丈6尺の江戸時代作の
阿弥陀如来像も安置され、先祖に感謝の祈りを捧げる道場とされています。
転法輪堂-転法輪
入口に石造りの転法輪が設置されていて、「南無阿弥陀仏」と唱えてこの転法輪を
一転すれば念仏六万遍の功徳があると伝えられています
850年前の平安時代に、重怡上人(じゅういしょうにん)が13年間堂内に籠もり、
毎日十二万遍の弥陀宝号を唱え続け、六万遍の弥陀宝号を書いて法輪に納めた
ことに因み、「一転の南無阿弥陀仏、その功徳六万遍の称名に等し」と伝わります。
その現物は本殿内に安置されています。
巽の弁財天社
寝殿から下った所に「巽の弁財天社」があります。
本殿の東南(巽)の方角にあるので「巽の弁天さま」と呼ばれ、福徳・智恵・
財宝・伎芸を授けてくれる福神、弁財天が祀られています。
社殿には水琴窟が付設されていて、
自然に落下して奏でられる音を楽しむことができます。
新参道との合流
巽の弁財天社から下った所で、ケーブル多宝塔駅からの新参道と合流します。
福寿星神
鞍馬山七福神の福寿星神(福禄寿・寿老人)を祀る祠があります。
福禄寿は、もともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、
三体一組の神でしたが、日本には寿星(南極老人)の化身として
単独で伝わったようです。
福禄寿と寿老人は、共に寿星(南極老人)の化身で、
同体・異名の神とされています。
貞明皇后行啓御休息跡
福寿星神の祠の先に、「貞明皇后行啓御休息跡」の石碑が立っています。
大正13年(1924)に皇后が行啓された際に休息された場所です。
中門
中門は、元々は山麓の仁王門の横に建てられた勅使門でしたが、
現在地に移築されました。
双福苑
門をくぐって下って行くと、朱色の橋が架かり、橋の袂には玉杉大黒天が祀られ、
背後には杉の巨木が聳えています。
橋を渡った所には玉杉恵比寿尊が祀られていて、この辺り一帯は
「双福苑」と呼ばれています。
愛と光と力の像
愛と光と力の像「いのち」は、鞍馬寺顧問である
澤村洋二氏によって制作されました。
この像は、鞍馬山の本尊である尊天(宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を
具象化したものです。
像の下部に広がる大海原は一切を平等に潤す慈愛の心であり、
光輝く金属の環は曇りなき真智の光明、そして中央に屹立する山はすべてを
摂取する大地の力強い活力を表現しています。
この愛と光と力こそは、宇宙生命ー尊天のお働きそのものであり、
先端の三角形はその象徴です。
朽ちた楓
朽ちた楓の古木
稚児之桜の碑
筝曲「稚児之桜」の碑
大阪の菊武祥庭(1884-1954)により明治44年(1911)に作曲されました。
氏は、京都の五条まで行き、牛若丸と弁慶の気分を味わい、作曲されたそうです。
義経供養塔
義経供養塔は、牛若丸が住した「東光坊」跡に建てられています。
牛若丸は、平治の乱で父・源義朝が敗死したことにより鞍馬寺に預けられ、
稚児名を遮那王と称しました。
自分の出生を知ると、僧になることを拒否し、昼は東光坊で学問を行い、
夜になると僧正ガ谷まで通い、天狗から剣術の手解きを受けたと伝わります。
川上地蔵堂
川上地蔵堂は、牛若丸の守り本尊である地蔵尊が祀られています。

由岐神社へ向かいます。
続く

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