還来神社から国道477号線を北上すると京都からの国道367号線と合流し、
その先は国道367号線となります。
国道477号線が国道367号線の下からカーブして国道367号線と交差して合流した所を
直進して坂を下った所に勝華寺があります。
この地は比叡山から葛川息障明王院の途中にあり、千日回峰行を創始した
延暦寺の僧・相応和尚(そうおうかしょう)が、「龍花村(りゅうげむら)」を
「途中村」と命名したことから「途中越」と呼ばれるようになったと伝わり、
京都から出発して最初の難所でした。
現在はお堂が一つ残されているだけですが、葛川へ向かう修験行者は
勤行するため、必ずこのお堂に立ち寄りました。
お堂には行者の名が記された幾つもの木札が掲げられています。
詳細は不明ですが、何か気になります。
石垣の中に地蔵尊が祀られています。
国道367号線は「鯖街道」と呼ばれ、この先は現在は整備された
道路になっていますが、かっては離合するのも困難な峠道でした。
現在の国道から旧峠道が残されています。
「花折峠」と呼ばれ、かって葛川明王院への参拝者が、仏前へ供えるシキミを
峠付近で摘んだことが由来となったと伝わります。
旧峠から小女郎峠、蓬莱山(1,173m)、打見山(1,108m)を経て白滝谷を下り、
坊村へと至る登山ルートがあります。
このルートも修験者によって開かれたのかもしれません。
現在の国道は峠まで登らず、トンネルが貫通しています。
その先も旧国道からは直線的で信号も殆ど無く、バイクで快適に走れます。
坊村の里に入って右折した所に地主神社があります。
鳥居をくぐり石段を登ると手水舎があります。
その付近には勝華寺で見たのと同じような石塔がありました。
拝殿、幣殿、本殿が一直線上に並んでいます。
地主神社は明王院の鎮守社として、明王院が創建された同年、
平安時代の貞観元年(859)に相応和尚によって創建されました。
祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)ですが、この地の地主神である
思古淵明神(しこぶちみょうじん)も祀られています。
思古淵明神は安曇川(あどがわ)流域に多く祀られる神で、この地域の開拓の
祖神であり水の神として、崇められています。
『葛川縁起』では、「修行に適した静寂の地を求めていた相応和尚が、
思古淵明神から修行の場として当地を与えられ、地主神の眷属である
浄喜・浄満(常喜・常満とも)という2人の童子の導きで比良山中の三の滝に至り、
7日間飲食を断つ厳しい修行を行った。
満願の日、相応は三の滝で不動明王を感得し、滝壺に飛び込み、拾い上げた
桂の古木で不動明王を刻み、祀った」のが明王院の始まりとされています。
その後、修行僧の坊舎が建ち並んだことが、「坊村」の由来となっています。
現在の本殿及び幣殿は、室町時代の文亀2年(1502)に再建されたもので、
国の重要文化財に指定されています。
本殿は春日造と呼ばれる左右が反り上がるもので、大津には珍しい建物だそうです。
蟇股(かえるまた)には、牡丹・唐草・笹竜胆(ささりんどう)・蓮など
12種類ものデザインの彫刻がなされ、しかも左右対象という
非常に凝ったものに仕上げられています。
本殿の背後には大行事社、山上社、志古淵明神の境内社があります。
神社の北側にある明王滝川に架かる三宝橋を渡ります。
橋を渡った先の石段を上った右側に、参籠の行者が寝泊りするための建物である
「行者庵室」があります。
現在の建物は天保5年(1834)に再建されました。
相応が開いた葛川での参籠修行(葛川参籠)は、かつて旧暦6月の
蓮華会(れんげえ、水無月会とも)と旧暦10月の法華会(霜月会とも)の
年2回・各7日間にわたって行われていましたが、現在はこのうちの蓮華会のみが
「夏安居(げあんご)」と称して7月16日から20日までの
5日間にわたって行われています。
夏安居には百日回峰と千日回峰の行者がともに参加し、相応和尚の
足跡を偲んでの断食修行、滝修行などが古来の作法どおりに行われています。
夏安居は山林徒渉とともに回峰行の重要な修行に位置づけられ、
百日回峰は葛川での夏安居に参加しなければ満行とは認められません。
夏安居の中日の7月18日深夜には「太鼓回し」という勇壮な行事が行われます。
相応が滝壺に飛び込んだ故事に因み、行者らが次々と大太鼓から飛び降り、
滝壺に飛び込むさまを表しています。
中世から近世にかけて、葛川参籠を行った者は参籠札という卒塔婆形の
木札を奉納することが習わしで、元久元年(1204)銘のものを最古として、
約500枚の参籠札が残されています。
それらの中には足利義満や足利義尚、日野富子のような歴史上の
著名人のものも含まれ、国の重要文化財に指定されています。
行者庵室の奥に護摩堂があります。
護摩堂は江戸時代の宝暦5年(1755)に建立され、平成の修理
(平成17年11月1 日~平成23年3月31日)で塗り替えられたと思われます。
境内の中央に本堂への石段があります。
石段の左側に弁財天が祀られています。
現在の本堂は正徳5年(1715)に再建されたものですが、滋賀県教育委員会が
平成17年(2005)から実施した保存修理工事の結果、平安時代の部材が
再利用されていることが判明しました。
堂内には、重要文化財に指定されている、いずれも平安時代作の千手観音立像、
不動明王立像、毘沙門天像が安置されていますが、厨子内に納められ、
扉が閉じられています。
御前立に不動明王立像が安置されています。
堂内には多くの絵馬が掲げられています。
堂内西側には「太鼓回し」で使われると思われる太鼓が保管されています。
三宝橋を渡った参道の左側に政所門があり、門くぐった先に納経所があります。
葛川息障明王院は近畿三十六不動尊霊場・第二十七番札所です。
明王院は境内の様子、各建物の配置などは中世の絵図に描かれたものから
ほとんど変化していません。
建物を含めた境内地全体が、回峰行の行場としての景観を良く留めており、
本堂・護摩堂・庵室・政所門の主要建物4棟に加え、
境内の石垣・石塀・石段などを含む境内地及び隣接する地主神社の境内地も
併せて重要文化財に指定されています。
明王院から三の滝を目指します。
かって登山で何回か登り、また下山路として行き来した林道ですが、
すぐ先で車の通行が止められ、荒れているように感じました。
しばらく登ると二の滝・護摩堂があります。
駒札には「回峰行者がお滝参籠の途中に、煩悩を焼き尽くすため、
護摩を修す道場である」と記されています。
但し、この場所から二の滝を望むことはできません。
更に進むと三の滝への入口があり、そこから少し下ります。
滝の上部は「く」の字形に曲がっています。
かって、林道から見たことはありますが、このように対面して見るのは初めてです。
更に下って行くと滝壺が見えてきました。
お堂があります。
お堂との間には鎖が渡され、その下は垂直に崖が切り立っています。
お堂の横に立つ杉の木は、その根が岩盤のために下へ伸ばせず、
横へと張り出しています。
途中町まで戻って京都方面へ進み、古知谷阿弥陀寺へ向かいます。
続く
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