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天王殿
東へ曲がった回廊の先で二方向に分かれ、南へ進むと
萬福寺の玄関として天王殿があります。
寛文8年(1668)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
天王殿の起源はチベット仏教寺院で、中国に伝わり中国寺院では一般的に
玄関として見られますが、その後日本に伝わってからは黄檗宗の寺院しか見られないお堂です。
匂欄( 高欄=欄干)は、日本では珍しいX形に組まれた欅匂欄(たすきこうらん)で、
チベット・中国で使用されているデザインです。

参道には正方形の平石が菱形に敷かれ、両側は石條(せきじょう)で挟まれています。
これは龍の背の鱗をモチーフ化したもので、中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、
黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、菱形の石の上立てるのは住持のみです。
天王殿-扁額
扁額「天王殿」は隠元禅師の筆によるもので、国の重要文化財に指定されています。
布袋
堂内中央には、弥勒菩薩の化身とされる布袋尊が祀られ、萬福寺では弥勒菩薩像と
されていますが、美しい弥勒菩薩と同一とするにはやや抵抗があります。
像高110.3cmで、明から来日した仏師・范道生(はんどうせい)の作によるものです。
韋駄天
布袋尊の背面には韋駄天像が安置されています。
韋駄天は、増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める
天部の仏神で、特に伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、
布袋尊ととも山門や本堂前によく祀られます。
以前は范道生作の像が安置されていましたが、
現在の像は像高112.9cmで中国・清で造立されたものです。
広目天
堂内の四方には四天王像が安置されています。
西方を守護する広目天
多聞天
北方を守護する多聞天
持国天
東方を守護する持国天
増長天
南方を守護する増長天
黄檗樹
回廊を南へ進むと、西側にまだ若い黄檗樹が植栽されています。
黄檗樹はキハダとも呼ばれ、ミカン科キハダ属の落葉高木で、
樹皮を乾燥させたものは、漢方薬の黄檗となります。
聯燈堂
回廊の突き当りに寛政元年(1789)に建立された聯燈堂(れいとうどう)があります。
鐘楼堂
聯燈堂の手前で回廊を東に曲がった所に鐘楼堂があります。
寛文8年(1668)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
巡照板
鐘楼堂の左に巡照板が掛けてあり、朝夕これを打ち、
一山の僧の戒めの句を声高らかに唱えるそうです。
伽藍堂-
伽藍堂-2
鐘楼の先に寛文9年(1669)に建立され、国の重要文化財に指定されている伽藍堂があります。
本尊は関聖大帝菩薩で、中国・後漢末期に劉備に仕えた関羽が神格化されたものと思われます。

伽藍堂の東側に斎堂(さいどう)がありますが、画像は撮り忘れました。
寛文8年(1668)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
堂内には寛文2年(1662)に范道生により造立された像高107.5cmの
緊那羅王菩薩(きんならおうぼさつ)立像が安置されています。
緊那羅王菩薩は、インド神話に登場する音楽の神(または精霊)ですが、
仏教では帝釈天の眷属とされ、八部衆の一人に数えられています。
中国の少林寺では寺の護法伽藍菩薩とされています。
炊事場の雑務を務めていた行者が、紅巾軍が攻めてきた時、身の丈が大きく伸びて
「緊那羅王」と名乗ると、これを見た紅巾軍は慌てて逃げ去りました。
少林寺の僧はこの行者が緊那羅王の化身であったことを悟り、
緊那羅殿を建てて緊那羅王の像を安置し、寺の護法伽藍菩薩としたとされています。
萬福寺では衆僧の食事を見守る火徳神とされています。
生飯台
斎堂は食堂のことで、斎堂から回廊を挟んだ前に生飯台(さばだい)があります。
正式には出生台(チユセンタイ、「しゅっせいだい」、または「すいさんだい」とも読む)と
呼ばれ、餓鬼や鬼神に食料を供養するための石製の台です。
食事をとる僧たちは自分の口に入れる前に先ず一箸、この台に運び、
餓鬼衆等に供養してから自分たちの食事に臨むことになっています。
雲板
回廊には青銅製の雲板(うんばん)が吊るされ、朝と昼の食事と朝課の時に打たれます。
かいばん
東西と南北の回廊が交わる角に、開梆(かいぱん)が吊るされています。
木魚の原型とされ、鯉に似た姿で玉をくわえていますが、これは玉ではなくあぶく(煩悩)です。
眼を閉じることのない魚は、不眠不休を象徴し、
あぶくを吐くことで煩悩から解放されるとのことです。
開梆は黄檗宗のみで使われる呼び名です。

回廊の東側に売店があり、奥には納経所があります。
萬福寺は、「都七福神めぐり」布袋尊の札所になっています。
雙鶴亭
売店前から左側に進むと雙鶴亭(そうかくてい)があります。
かって、西方丈の中にあったそうで、お茶会などで使われているそうです。
大雄寶殿
回廊を南に進むと本堂に当たる大雄寶殿(だうおうほうでん)があります。
寛文8年(1668)に建立され、正面・側面とも22mあり、境内最大の建物で、
国の重要文化財に指定されています。
大雄寶殿-扁額
上層の扁額「大雄寶殿」は隠元禅師の筆、その下画像では切れてしまいましたが
「萬徳尊」は二代・木庵性瑫(もくあん しょうとう)よるもので、
ともに国の重要文化財に指定されています。
また、堂外及び堂内の聯も国の重要文化財に指定されています。
大雄寶殿-桃
小扉に桃の図柄が彫られているのは、魔除けの意味があります。
大雄寶殿-木魚
堂内には大きな木魚がありますが、木魚を本格的に使用したのが黄檗宗です。
大雄寶殿-本尊
堂内中央には釈迦如来坐像、向かって右側に迦葉(かよう)尊者、
左側に阿難尊者像が安置されています。
釈迦如来坐像は像高250cmで、京仏師・兵部により寛文9年(1669)に造立されました。
隠元禅師像
中央の背後には隠元禅師像が安置されています。
十八羅漢
両側には十八羅漢像が安置されています。
賓頭盧尊者
観音霊場でよく見かける賓頭盧尊者像は、博識であり慈悲深く十善を尊重し、
阿羅漢果を得て神通力を得ました。
説法が鋭く、他の異論反論を許さずライオンのようであったため
獅子吼第一といわれるようになりました。
羅怙羅尊者
羅怙羅(らごら)尊者は、釈迦の実子であり、また十大弟子の一人に数えられています。
不言実行を以って密行を全うし、密行第一と称せられ、また釈迦仏より、
多くの比丘衆でも学を好むことで、学習第一とも称せられました。
両手で開いた胸の中に仏の顔が見えるのは、誰の心の中にも仏が宿ることを表しています。
大雄寶殿-真空
天井に掛る扁額「真空」は明治天皇の筆によるものです。
怨親平等塔
回廊を北へ進むと東西と南北の回廊が交わり、右に折れて東に進んだ左側に
宝篋印塔が建立されています。
この塔は「怨親平等塔(おんしんびょうどうとう)」で、「怨親」とは自分を害する者と、
自分に味方してくれる者の意味があります。
昭和12年(1937)、日中戦争で犠牲になった両国の精霊を慰めるため、
当時の山田玉田和尚により宝篋印塔内に妙法蓮華経69.643文字を
一字一石に謹書して納められました。
納骨堂
宝篋印塔の先に延宝3年(1675)に建立され、
国の重要文化財に指定されている納骨堂があります。
「慈光堂」と称されています。

回廊の突き当りに西方丈がありますが、平成29年(2017)9月17日の参拝時には
工事をされていましたので、撮影及び立ち入りは遠慮しました。
寛文元年(1661)、創建時に総門とともに建立されたもので、
国の重要文化財に指定されています。
この奥に徳川歴代将軍を祀る威徳殿があります。
法堂
回廊を右に曲がると法堂(はっとう)があります。
寛文2年(1662)に「円通殿」として建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
寛文4年(1664)に法堂となり、仏像は安置されず説法を行う場所になっています。
匂欄は卍くずしの文様で組まれています。
法堂-扁額
扁額「獅子吼」は、隠元禅師の師・費隠通容(ひいんつうよう)禅師の筆によるものです。
獅子吼とは、獅子がほえて百獣を恐れさせるように、
悪魔・外道 (げどう) を恐れ従わせるような説法を意味します。
蛇腹天井
法堂前の回廊の天井は蛇腹天井(黄檗天井)と呼ばれています。
方丈
回廊を南に突き当たった左側に東方丈があります。
寛文3年(1663)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
東方丈の奥に住職が居住する甘露堂があります。
方丈内は立ち入ることはできません。
方丈庭園-1
方丈庭園-2
方丈庭園-3
方丈前には庭園が築かれています。
禅堂
北側の回廊を下り、斎堂と対面する所に禅堂があります。
寛文3年(1663)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
斎堂と禅堂及び浴場は境内の三黙道場と云われ、内部は非公開となっています。
禅堂-扁額
扁額「選仏場」は隠元禅師の筆によるものです。
祖師堂
禅堂の西側に寛文9年(1669)に建立され、
国の重要文化財に指定されている祖師堂があります。
祖師堂-堂内
堂内中央には禅宗の初祖となる達磨大師像が安置され、
左右に歴代住職の位牌が祀られています。
達磨大師は、南インドの国王の第三王子として生まれ、
釈迦から数えて28代目の菩提達磨(ボーディダルマ)になったと伝わります。
南北朝の宋の時代(遅くとも479年の斉の成立以前)に中国に渡り、
洛陽郊外の嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)にて面壁を行い、中国禅の開祖とされています。
中国禅の典籍には、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多く、
見慣れた姿ですが、ここでは風貌が異なり、
達磨大師と知らずに見れば、分からないかもしれません。
鼓楼
祖師堂の西側、鐘楼と対面する所に鼓楼があります。
延宝7年(1679)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
朝の4時半と夜の9時鐘楼の鐘と鼓楼の太鼓が交互に鳴らされます。
鎮守社-1
鎮守社-2
天王殿前の北側に延宝3年(1675)に建立され、
国の重要文化財に指定されている鎮守社があります。

醍醐寺へ向かいます。
続く

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寺号標石
正明寺は蒲生郡日野町大字松尾556にあり、山号を法輪山と号する黄檗宗の寺院です。
推古天皇の御代(554~624)に聖徳太子によって創建されたと伝わります。
平安時代には延暦寺の地方大寺として栄え、
93の支院と300余りの僧坊を有する大寺院となりました。
しかし、永禄11年(1568)9月7日、織田信長が足利義昭を奉じて上洛を開始すると、
征戦沿道の敵対勢力を排除しました。
正明寺は悉く灰燼に帰し、寺領は没収され、93あった支院も1院を残して散逸しました。
本尊の十一面千手観世音菩薩、脇侍の不動明王、毘沙門天の三尊は、
兵火の中を持ち出され、難を逃れました。
その後、江戸時代になって永源寺の僧・一絲文守(いっしぶんしゅ)和尚の尽力により、
後水尾上皇の勅建寺として再興されました。
無縁塔
石畳の参道を進むと山門があり、その手前に石仏や墓石が
ピラミッド状に積まれた無縁塔があります。
地蔵堂
無縁塔の北側には地蔵堂があります。
地蔵堂-堂内
堂内には地蔵菩薩の石像が安置されています。
徳本名号碑
山門の左側には「南無阿弥陀仏」と刻字された「徳本名号碑」が建っています。
徳本=もろもろの功徳の根本である名号。
山門
山門は屋根の両端に鯱を配し、中央に宝珠が載せられた黄檗宗の門となっています。
寛文4年(1664)1月、臨済宗黄檗派の僧・龍溪性潜(りゅうけいしょうせん)禅師が
正明寺に入寺し、禅堂、経堂等を整え専用道場の寺格を整えました。
本堂
門をくぐると正面に本堂があり、左右には屋根付の廊下の中に建物が配置されています。
現在の本堂は正保2年(1645)に、後水尾上皇から京都御所の清涼殿
下賜されて移築されたもので、国の重要文化財に指定されています。
正面の柱間5間、側面4間の桃山様式の建物で、正面に唐破風造の向拝が付けられています。
本尊
パンフレットに掲載されている本尊。
堂内には後水尾上皇宸筆の扁額「正明寺」が掲げられ、厨子内には
本尊の千手観音立像と脇侍として左に毘沙門天、右に不動明王像が安置されています。
臨鏡亭
本堂の右側には臨鏡亭が付随していますが、現在では使われていないように見えます。
本堂前庭-右
臨鏡亭前から山門への光景です。
賓頭盧尊者
本堂前には賓頭盧尊者像が安置されています。
本堂前庭-左
本堂の左側から山門への光景です。
方丈玄関
本堂の左側には方丈の玄関がありますが、方丈は公開されていないようです。
方丈から南側に庫裡が棟続きとなっています。
斎堂
庫裡に続き斎堂(さいどう)があります。
斎堂とは食堂の事で、南側に棟続きで台所があります。
斎堂の前には手水舎があります。
かいばん
斎堂前に吊るされている開梆(かいぱん)は木魚の原型とされ、鯉に似た姿で
玉をくわえていますが、これは玉ではなくあぶく(煩悩)です。
眼を閉じることのない魚は、不眠不休を象徴し、
あぶくを吐くことで煩悩から解放されるとのことです。
禅堂
斎堂の向かい側には禅堂があります。
斎堂と禅堂及び浴場は境内の三黙道場と云われ、内部は非公開となっています。
大日如来像
パンフレットに掲載されている大日如来像
禅堂の堂内には鎌倉時代作で県の文化財に指定されている
大日如来坐像が安置されています。
放生池
禅堂の北側には放生池があり、中島には弁財天が祀られていると思われる祠があります。
経堂
禅堂から東側の石段を登った所に、県の文化財に指定されている経堂があります。
黄檗宗の僧・鐵眼道光(てつげん どうこう)から後水尾上皇に献上された
鉄眼一切経が正明寺に施入されたことにより経堂が建立され、元禄9年(1696)に竣工しました。
寛文9年(1669)、鉄眼禅師が一切経の開版を志し、黄檗宗の大本山・萬福寺を開いた
隠元禅師から黄檗山内に寺地を授かり、藏板・印刷所として宝蔵院を創建しました。
天和元年(1681)に完成した、全6,956巻の一切経には6万枚の版木が使われました。
その版木が日本の原稿用紙形式の起源とされています。
文字には明朝体が使われ、書体としての明朝体はこれから発したものです。
正明寺に納められているのは初刷で朝廷に献上された「初刷禁裏献上本」で、
県の文化財に指定されています。
開山堂-1
開山堂-2
経堂の北側に開山堂があり、龍溪性潜(りゅうけいしょうせん)禅師像が安置されています。
宝篋印塔
付近には宝篋印塔が建っています。
鐘楼-表
禅堂の南側に鐘楼がありますが、表からだと何の建物か判りません。
鐘楼-裏
裏側に回ってみました。

龍王寺へ向かいます。
続く

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