山門
下御霊神社から更に南下すると行願寺があります。
山号を「霊麀山(れいゆうざん)」と号する天台宗の尼寺で、
神仏霊場・第114番の札所となっています。
寛弘元年(1004)、行円により一条小川の一条北辺堂跡に創建されました。
京都御苑の西方には、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残されています。 
行円は仏門に入る前は猟師で、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から
子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったと伝わります。
行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、「皮聖」、「皮聖人」などと呼ばれ、
寺の名も「革堂(こうどう)」と呼ばれました。
行願寺はその後、度々の火災で焼失、再建を繰り返し、天正18年(1590)に豊臣秀吉による都市計画のため、寺町荒神口へ移転しました。
宝永5年(1708)の大火の後に現在地で再建されましたが、
天明8年(1788)の大火でも焼失しました。
山門は元治元年7月19日(1864年8月20日)の禁門の変(蛤御門の変)で焼失し、
その後再建されました。
行願寺は戦後荒廃していましたが、昭和44年(1969年)から中島湛海尼が住職となって
寺を再興し、名誉住職となりました。
湛海尼は昭和63年(1988)に尼僧で初めて天台宗最高位の大僧正になりましたが、
平成18年(2006)10月28日に91歳で亡くなりました。
手水舎
山門を入った左側に手水舎があります。
本堂-1
門を入った正面に本堂があります。
現在の本堂は文化12年(1815)に再建されたもので、
京都市の有形文化財に指定されています。
本堂-2
本尊は像高2.5mの千手観世音菩薩像で、行円が上賀茂神社のご神木を得て
3年をかけて自ら刻んだと伝わります。
本尊は秘仏とされ、毎年1月の17と18日のみ開帳されます。
加茂明神塔
境内の西北隅にある五輪塔は「加茂明神石塔」と称され、行円が上賀茂神社のご神木を
得た報恩として、加茂明神を勧請したと伝わります。
かっては、石塔前に鳥居が建っていたそうです。
百体地蔵堂
その東側に百体地蔵堂があり、多くの地蔵尊や石仏、石塔が祀られています。
鐘楼
更にその東側には文化元年(1804)に再建された鐘楼があり、
京都市の有形文化財に指定されています。
梵鐘
鐘は許可なく撞くことはできませんので、勝手に撞かないよう、
時々猫が見張りをしています。
鎮宅霊符神堂
鐘楼の東側に鎮宅霊符神堂があります。
鎮宅とは、家宅の災禍を祓い消し鎮めるとの義で、下記のような由来があります。
『風水・宅相に精通していた漢の孝文帝が、あるとき孔農県に行幸されました。
滅茶苦茶凶相の地に、立派な邸宅のあるのを怪しみ、その主人をよんで尋ねたところ、
「その昔、災禍打ち続きど貧民となり不幸のどん底にありました。
ある時、いずこともなく書生二人が現れ、七十二霊符を伝授され、
十年にして大富豪となり、二十年にして子孫栄え、三十年にして天子までが訪ねて
来るであろうと預言し、忽然と消えた」と答えました。
孝文帝はこの霊符の法を深く信仰し、天下に伝えた』と伝わります。
但し、単に霊符を書いて壁に貼っておくだけでは駄目で、
この霊符を用いるには修法を実践する必要があるそうです。
日本に伝わってからは、鎮宅霊符そのものを神として祀られているようです。
お守りやお札の元祖の神で、節分や七夕など星祭りは、この神の家内安全、
商売繁盛のお祭りです。
庫裡
鎮宅霊符神堂前の東側に庫裏があります。
七福神
庫裏の向かいの参道を挟んだ西側に七福神の像が祀られています。
寿老神堂
その南側に安土・桃山時代に建立された寿老神堂があります。
本尊の寿老人は「都七福神めぐり」の札所本尊でもあります。
愛染堂
更にその南側には愛染堂があります。
大日如来
本堂の南側に天道大日如来と延命地蔵菩薩を祀った社があり、
画像はありませんがその東側に宝物館があります。
宝物館には行円が身につけていたとされる鹿皮の衣が保存され、
毎年1月に2日間だけ公開されます。
また、お盆の期間のみ公開される「幽霊絵馬」には以下のような伝説が残されています。
『江戸時代の文化8年(1811)、行願寺の近くにあった質屋で子守として奉公していた
「おふみ」という少女が、よく境内で子守をしていました。
革堂から聞こえてくる御詠歌を子守歌代わりに、唄い聞かせていたのですが、
質屋の主人は熱心な法華信者でした。
ある時、おふみが唄う御詠歌が主人の耳に入り、
それに怒った主人に虐待され殺されてしまいました。
主人はおふみの遺体を親に返さず、蔵に隠しました。
行願寺での通夜に訪れていた両親の前におふみが幽霊となって現れ、
両親に真相を告げたました。
両親はおふみを葬った後に幽霊を絵馬に描き、
手鏡をはめて寺に奉納した』と伝わります。

寺町通を北上して京都御苑へ向かいますが、丸太町通を境に北は上京区、
南は中京区に分かれ、京都御苑は上京区となります。
続く
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